神戸のシナゴーグ:バット・ミツバ(女性成人式)で学んだこと 2021.11.29

28日、ハヌカの初日に合わせて、神戸のシナゴーグでは、ラビ・シュムリックの長女ハッシーさん(12)のバット・ミツバ(成人式)が行われた。

男子の場合のバル・ミツバでは、12歳の少年が、父親とともに、シナゴーグでトーラーの内容を読み上げなければならず、ヘブライ語の聖書箇所をほぼ暗記することになる。

しかし、そうした義務は女子にはなく、原則、母親や親族の女性たち、シナゴーグに集まっている女性たちと、招かれた女性たちだけで集まって、成人した女の子が成人したことを共によろこび、祝っている。

男子のバル・ミツバは見たことがあったが、女子のバット・ミツバは初めてであった。例の如く、行くとすでにばらばらと食事が始まっていた。人々は、それぞれが、ハッシーさんや、母親のバティヤさんに祝いを手渡している。多くの子供たちが、所狭しと走り回っていた。

少し食べ終わるとラビとその長男のシュロミテ君(4歳)が、出てきて、皆でハヌカの歌を歌った後、手をたたいて歌いながら、大きなハヌキアの1本目のろうそくに火をつけた。

その後、ハッシーさんとお母さんのバティヤさんが、高位のラビからの祝いの言葉を読み、ハッシーさんの成長の記録がビデオで流された。

イスラエルにいる友人たち、祖父母たちの祝いのメッセージがあった。その後は、友人の子供たちがダンスを披露。その後は、また食事とおしゃべり。ハヌカのスフガニヨットも出ていた。

またもう一つのビデオクリップが流されると、ハッシーさん(ラビ・シュムリック)の家系の紹介があった。ハッシーさんの名前は、その祖母の名前からきているという。

ビデオの中では、父親のラビ・シュムリックがハッシーさんに語りかける形で、祖母は、ロシアでユダヤ人迫害の厳しい時代を送ったが、ユダヤ教の教えに忠実を守った聖なる人だったと語り、あなたはその名前を引き継いでいるのだということを伝えていた。

イスラエルにいる別の祖母(?)は、ハッシーさんに、重要なラビからもらったという大切なコインをネックレスのしたものを、ハッシーさんが日本に戻る際に空港で渡す様子があった(この夏に一時帰国)。祖母の他にも叔母たちが、ユダヤ人の女性としての歩みを、やさしく話して、その役割の大事さを伝え、ハッシーさんを抱きしめていた。

ビデオが終わってしばらくすると、パン生地の塊が人数分出てきた。12歳と書いたエプロンもそれぞれ分ある。それを4つに切り、全員で、安息日のハラー(パン)を作る。

一人前のユダヤ人女性は、皆、このハラーが作れるということが象徴なので、バット・ミツバでは、象徴的にパンを作るのだという。招かれた客の女性たちや女児たちも一緒にパン作りを楽しんだ。

その後、また別のビデオが出された。今度は、バット・ミツバを控えたハッシーさんが、大人の女性として、ジュエリー(清楚な真珠のようなもの)を選んでいる風景に続いて、ハッシーさんが歌を歌っているクリップであった。

全部は覚えていないのだが、ハッシーさんがユダヤ人の女性として一人前になったこと、また世代を引き継いでいくことの喜びを歌っていた。最後には、父親のラビ・シュムリックが、大人としてどう生きていくのかの話をハッシーさんに話すところが流れた。

ラビの教えで、印象に残ったことは、ハッシーさんに、人々を助けることを教えていた点。さらに助けた時に、その人や周囲の人が誰が助けたかをしらなくてもよいのだと教えていたことであった。

良い人になれというのではなく、とにかく、困っている人がいれば、すぐに助けるようにということであった。ユダヤ教ではこれはミツバ(祝福)として数えられているのである。

その後は、ばらばらと帰る人は帰るし、いつはじまったのかと同様、いつおわったのか??じつにゆるい、らく〜な成人式であった。

<石のひとりごと>

このバット・ミツバ、日本の感覚からすると、かなりゆるく、オーダーもなく。。という感じであったが、それでも、かなりの感動があった。ちょっと泣けるほどであった。それは、家族、親族というものの重要性を感じたからである。日本に今なくなりかけているものかもしれない。。

苦難を通ったユダヤ人は、一人では生きていけないということを知っている。だから超正統派だけに限らず、世俗派でも家族親族を大事にしている。
しかし、その家族関係、親族関係に緊張感というものはあまりない。依存もなく、普通に愛する存在なのであり、無理した愛で結ばれていることもない。しかし、それぞれは家族がなくてはならないものであり、それがあってこその人生だと思っている。

その関係は形式でもない。また年上が年下、たとえそれが大人から見た子供であっても、圧倒的な上から目線ではない。自然なI love youが伝わってくる関係である。だからだろうか、年上の人々から伝わってくるのは、こうしなければならないという、厳しい教えの感じではないのである。愛ゆえのさとしというのだろうか。。ハッシーさんの様子からは、年上の人々を自然に尊敬している感じである。

また女性たちは、家族にとって、なくてはならない女性の役割を自覚している。特に大事な働きは子供を産み、世代をつないでいくこと。家族の生活をユダヤ教の教えをもって守ること。このことに女性たちは誇りを持っており、けっして男性の下という自覚はない。

逆に男性は、この役割が自分にはできないことを知っているので、女性たちに敬意を払っている。ユダヤ人社会において、子供を産む女性の地位は決して男性より低くはないのである。一方で、たとえば、ラビ・シュムリックは、パン作りや料理の腕前も相当な腕前だという。家事をする女性を男性は積極的に助けている人が多い。

こうした社会なので、女子に生まれた子供たちは、母親や祖母、叔母たちを尊敬し、自分が女性であることを誇りに思っている。だから服装も女性らしくすることを学び、大人になった祝いは、記念のネックレスということになる。

無論、ユダヤ人の中には、こうした社会になじめない人もいる。そういう人は増えているとも聞く。しかし、大部分は、こういう社会の中で一生を過ごすわけである。

お一人様社会が近づいている日本が、失ったものの大きさも思わされた。またもっと母へ敬意を示さなければとも思った。

またもう一つ感動したことは、このラビ一家が、大変な犠牲をもって日本に来ているということ。本当は家族と共に、イスラエルで、このバット・ミツバを祝いたかったであろう。イスラエルにいる親族も同じである。

しかし、神からの使命のために、この大切な家族を日本へ送り出すことを決めた。一家は2014年から神戸にいる。それは、日本、関西にいるユダヤ人たちが、ユダヤ人であることを維持できるようにするためである。

この夏一時帰国し、家族と共に日本に旅立つハッシーさんに、祖母(?)は、これからコシェルの食べ物もままならないところに行くけど、神様がいるから大丈夫と言いながら、送り出していた。イスラエルにいる親族もまた、大きな犠牲を持ってこの家族を送り出したのである。

これはキリスト教宣教師を送り出す家族も同じだろう。祖国にいる祖父母は、孫の成長をオンラインでしかみられない。

ハッシーさんのバット・ミツバを通して、人間は一人ではないということ。家族・親族というものの意味、女性の立場や役割など、改めて聖書的な視点で学んだような気がした。

しかしまた、こういう社会の中で、イエスを信じたユダヤ人の立場の難しさ、悲しさも実感させられた。イエスを信じることはユダヤ教を否定したととられ、家族からは切断されてしまうことにもつながっていく。イエスを信じたら、その人はこの社会から出ていくしかないだろう。

キリスト教の福音が、個人の救いに特化している要素が強いこともまた、ユダヤ人が福音に否定的になる一因であるかもしれないと思う。

ユダヤ人には特に、教会がその家族の部分になり得ることを示していければいいのかもしれないと思った。

石堂ゆみ

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。