嘆きの壁近くで2000年前の隠れ家跡発見 2020.5.20

遺跡現場でのバラク・モニケンダム・ギホン博士 出展:IAA
発掘現場
出展:IAA

19日、イスラエル考古学局が、エルサレム嘆きの壁近くで、約2000年前、ローマ帝国の支配下で、人々が隠れて生活していたとみられる3部屋の発掘に関する発表を行った。22日のエルサレム統一記念日を記念しての発表である。

この遺跡は、嘆きの壁北側の公衆トイレ隣に続く建物で、その購入者で事前事業家ネーサン・シュトラウスに、ベイト・シュトラウスと名付けられたビルの地下に位置している。このビルは、西壁トンネルへの入り口にもなっている。

今回発表された2000年前の3部屋は、先に発掘されていた1400年ごろのビザンチン・イスラム帝国(ウマヤド王朝)時代のモザイク通路の遺跡の下にあり、硬い地盤を削って作られていた。

神殿の丘周辺には、硬い地盤を削ってつくられたミクベ(神殿に上がる前の聖めのプール)は、多数発見されているが、同様の居住部屋が発見されたのは今回が初めてである。

深く、硬い地盤に掘られていることから、この部屋の目的が、2000年前にエルサレムを破壊しに来たローマ帝国から隠れて住んでいた人々がいたことを証明する貴重な遺跡だと、考古学局副長官バラク・モニケンダム・ギボン博士と、テヒラ・サディアル博士は語る。

当時のオイルランプ
出展:IAA

3部屋は、2.5×4メートル、2.5×2.5メートルの2部屋と、まだ発掘中の一部屋で、おそらく2.5メートル四方の3部屋である。入り口にはドアや、棚、オイルランプ置き場が彫り込まれている。第二神殿時代の調理道具、オイルランプ他、ユダヤ人が宗教的な用途で使っていた大きな水瓶も見つかっており、人々が生活していた様子がうかがえる。

生活の場であったとはいえ、神殿に近い重要な位置であることから、もう少し大きい公共施設の一部であったのではないかと考えられている。また、この遺跡には、修理の後が多数みられる。

以前発見されたカイロ・ゲニザの中に、1035年の地震のあと、エルサレムのシナゴーグをレバノンのユダヤ人たちが出資して修理したと記録されていた。そのものとは言えないが、そうした修理が行われていたこと、またレバノンのツロ在住のユダヤ人がそのために出資したという記録を連想させるものだと語っている。

新約聖書ではイエスがツロに行ったことが書かれているが、そこにユダヤ人が異邦人とともに実際に住んでいたということも連想できる。(マタイ15:21)

この建築システムは、その破壊の後から、それから遠くない11世紀のファーティマ朝時代に崩壊したとみられている。

תעלומה ליד הכותל המערבי

חשיפה מיוחדת לקראת יום ירושלים: מערכת תת-קרקעית התגלתה לראשונה ליד הכותל המערבי 🧐🔍>>> bit.ly/3dZDLVh רשות העתיקות – לגעת בעבר#יום_ירושלים_תשפצילום ועריכה: יניב ברמן, רשות העתיקות

לשכת העיתונות הממשלתית‎さんの投稿 2020年5月19日火曜日

www.timesofisrael.com/in-first-2000-year-old-3-room-underground-complex-uncovered-near-western-wall/?jwsource=em

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。