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テルアビブで反司法改革反対デモ再開
イスラエルでは、ティシャベアヴ(神殿崩壊記念日)が終わるやいなや、テルアビブで、大規模な反司法改革デモが再開となった。デモ隊は、「これからは防衛ではなく、攻撃だ。」と叫んでいたとのこと。
警察のとりしまりも強化される中であったことから、暴力的な衝突にエスカレートしていくのではないかとの懸念も広がっていた。幸い、負傷者もなく、デモは終わった。
צעדת המחאה ברחוב הרכבת
תמונת מצב לשעה 21:00 pic.twitter.com/3ISgWZ5DBa— Bar Peleg (@bar_peleg) July 27, 2023
今後、司法制度改革法案が、覆される可能性はあるのかどうか。いずれにしても、国会で論議されるのは、9月から11月になる。
それまでの間に対立がエスカレートして本当に国が分断することになるのか、違いに歩み寄る癒し期間になるのか。
論議する時間がないような国会閉会ぎりぎりにこれほど重要な決議を出したことに批判もあがっている。
民主主義とリーダーシップのバランスということ
民主主義は、個人の権利を保証しつつ、多数の意見が尊重されるシステムである。
しかし、その多数の意見が必ずしも常にに正しいとはいえないだけでなく、民意を常に反映しているとも限らないということが、近年、明らかになってきている。
それが原因で、国連と安保理が、今、機能不全に陥っていると言われている。
よいリーダーシップとは、その人がいなければ、到達しないようなところに、人々を導く人のことである。常に多数派の意見を聞いているだけの人物ではない。民主主義は確かに尊重しなければならないのだが、今は、それを尊重しながらも、リーダーは、時に国民の反対を押し切ってでも、国にとっての最善を決断していかなければならない時代に直面しているということのようである。
とはいえ、ではそのリーダーが常によい判断をしているかどうかはわからないので、それを監視するシステムが必要になる。イスラエルの場合、それが最高裁ということである。
しかし、ではその最高裁が常によい判断をするのかどうかもわからないわけである。それを監視するシステムはイスラエルにはない。
ネタニヤフ首相は、民主主義で選ばれた首相の決断を阻止する最高裁は、民主主義で選ばれていないと指摘して、その権限が強すぎることこそ、民主主義の妨害に当たると指摘する。
まとめると、今、問題になっているのは、民主主義とリーダーシップのバランスが問題だということである。
最近右派の間で、メナヘム・ベギン第7代首相の話が出回っているという。ベギン氏は、最初は極右であったが、首相になってからは、極右に傾くことなく、エジプトと和平を結んだ。
最後は、左派を閣僚に引き入れたこともあり、広く国民の支持を集めた首相であった。ベギン氏は、最初は確かに極右であったが、常にイスラエルの最善を見ようとしていた偉大なリーダーだったと、右派たちは主張している。
確かに、戦争続きのころは、いざとなれば、首相が国民の反対を押し切ってでも決断する、それが、イスラエルのこれまでの歩みだった。そのように、責任もって下した首相の決断を、民主主義を主要な審査基準とする最高裁が、妨害してきたという動きはみられない。
国の重大時にあたっては、結局首相とその政府が決めることになる。したがって、今論じられている、最高裁が首相とその政権の方針を却下する権力の問題は、実は、“マイナー”なこどなのだとネタニヤフ首相は言っている。(アメリカのメディアでのインタビューでの発言)
www.jpost.com/israel-news/politics-and-diplomacy/article-752861
実際のところ、例えば、日本では、国会多数派の与党自民党が決めることを、最高裁が却下する動きがあるだろうか。民主的な選挙で選ばれれいるということの上に座して、国会過半数を占める自民党、岸田首相が思う通りに動いているが、それを牽制する権力はないに等しいように思う。
今、この問題が、イスラエルで論じられていること自体が、イスラエルがいかに民主主義国家かということを表しているとも言える。
ただでは、ネタニヤフ首相が、そこまでの国民の信頼を得られているかと言えば、全くそうではない。まず、ネタニヤフ首相自身は、イスラエルへの情熱には自信を持っているかもしれないが、汚職と背信で、刑事裁判を受ける身の上にある。
また連立継続のために、強硬右派の極端な人事や、ユダヤ教政党の要求を受け入れているので、イスラエルでは、クリスチャン排斥、外人排斥の傾向がすでに始まっている。
こうした動きがあるからこそ、左派の人々は、国の性質が変わってしまうとの危機感から、自分の人生を犠牲にしてまで、デモのために立ち上がっているのである。
今、いったい何が起こっているのか、何が肝心なことなのかを見分けるのは本当に難しい。
しかし、いずれにしても、今内戦となり、周りの敵たちを笑わせるのはあまりにもおろかなことであろう。
ティシャベアヴに続いて今日からは安息日入りである。今、双方、いったん頭を冷やせというのが、主のお導きかもしれない。
*イスラエルの右派左派問題:ベン・グリオン初代首相(左派労働党)とメナヘム・べギン第7代首相(右派リクード創始者)
イスラエルの歴史を振り返ると、右派と左派の対立の問題は独立前夜にまでさかのぼる。
イスラエル独立宣言当時のベン・グリオン初代首相は、左派労働党であった。左派とはいえ、完全な世俗派ではなく、基本的には世俗派だが、聖書の神や約束は信じていた首相であった。このため、ユダヤ教超正統派たちは、国のために祈ることが仕事であるとして、兵役や税金の免除を決めた首相としても知られる。
しかし、この当時、イスラエル独立のために戦っていたのは、左派だけではない。独立の前には、修正シオニストと呼ばれる強硬右派のユダヤ人も多くいた。その代表が、後に第7代首相となるメナヘム・ベギンである。
メナヘム・ベギンは、当時、パレスチナ地方を委任統治者として、ユダヤ人の移住に厳しい制限をかけていたイギリスを追放しようと、ゲリラ戦を繰り返していたイルグンの指導者であった。1946年7月、イルグンは、当時エルサレムでイギリス軍の駐留拠点となっていたキング・デービット・ホテルの大規模爆破事件を起こしている。
このため、イギリスとはそれなりにうまく付き合おうとしていたベン・グリオンにとっては迷惑きわまりない存在であった。また、イルグンは、パレスチナ人と戦いにおいても過激な行動を行い、今も残虐に村人を殺害したと非難の的になる、デイル・ヤシーン村事件を起こしたことでも知られている。
しかし、1948年5月にイスラエルが独立を宣言。ベン・グリオンが初代首相となり、その配下の武装組織ハガナーを、正式にイスラエル国防軍として立ち上げ、アラブ5カ国軍との独立戦争に突入していった。この時。ベギン氏は、イルグンもイスラエル国防軍に入ることに同意し、正式に署名も交わすこととなった。
しかし、一部のイルグンメンバーは、左派政権下に入ることに反発。独立宣言の翌月、1948年6月、イスラエル軍に武器を輸送していた大型船アルタレナ号に、テルアビブ沖で立て篭もり、イスラエル軍にそれを引き渡すことを拒否した。
この当時のイスラエルは、武器が喉から手がでるほどに欲しい時期だったが、ベン・グリオンは、今は、国が分裂している時ではないと判断し、アレタレナ号の爆破を命じたのであった。この時、諸説はあるが、メナヘム・べギンも、今は内戦の時ではないとして、イルグンメンバーたちに、爆破される前に海に飛び込むよう説得したと伝えられている。
その後、1948年8月、ベギン氏は、右派政党へルートを立ち上げ、これが1973年には今のネタニヤフ首相のリクード党になった。右派政治家として政治に関わり続け、1977年、第7代首相となり、イスラエルで初めてとなる右派政権を立ち上げた。元は極右であったベギン氏だが、その後は、左派労働党とも協力し、1978年、イスラエル史上最重要とも目されるエジプトとの和平を成立させた。これにより、ノーベル平和賞を受賞した。
ベギン氏は、1983年までの6年間を首相として、イスラエルを導き、イラク原子炉を急襲、第一次レバノン戦争を決意した首相としても知られる。
ベギン首相は、1982年に妻アリザさんが、ベギン氏訪米中に死亡したことで、うつになり、1983年に首相を辞任したのだが、その時点で、ベギン氏には、家も財産もほとんどなかったという。1992年に死去するまでの8年間は、国からの年金で、テルアビブのアパートをレンタルしていたという。まさにイスラエルに捧げた一生であった。
石のひとりごと
今起こっていることをじっくり考えると、最終的には右派と左派、聖書を掲げるユダヤ教エルサレムと、世俗の知恵を謳歌する聖俗派テルアビブの対立という、霊的な要素が見えてくるような気がする。
また、世界で起こることのサンプルを示すことの多いイスラエルが、今起こっていることを通して、世界で起こっていることを表しているという要素が見えるような気もする。
民主主義とリーダーシップの対立は、まさに今世界で起こっていることである。今週、先制主義国家のロシア、中国が、北朝鮮を訪問。その結束をアピールしていた。そのロシアは、イランという抜け穴で、武器を調達し、ウクライナからの穀物輸入停止で飢餓の危機に直面するアフリカ諸国に手を伸ばし始めている。民主主義を基盤とする国連は、こうした動きになんの手も打てない状況にある。
イスラエルが今民主主義とリーダーシップのバランスに迫られているのは、これからの新しい時代への入り口ということなのかもしれない。
どちらかの意見にも傾きたくはないが、考えれば考えるほどに、書けば書くほどに、イスラエルの司法制度改革問題は、新しい時代のはじまりを象徴しているような気もしてきた今日この頃である。