1日水曜、1995年に故イツハク・ラビン首相が、過激右派ユダヤ人に暗殺されたから22周年を迎えた。エルサレムでは、ヘルツェルの丘で国家記念式典が行われた他、リブリン大統領官邸でも特別なイベントが行われた。
さらに、今週土曜、安息日あけには、毎年恒例、ラビン首相暗殺の現場となったテルアビブの、今は”ラビン広場”と呼ばれているところで、市民たちの大きな記念ラリーが行われる。
ラビン首相がなぜこれほどまでにイスラエルに大きな影響を今も与え続けているのか。それは、ラビン首相が、真実に平和への深い願いを持ち続けていたことを市民たちが感動しているからである。
しかし同時に、ラビン首相が、平和をもたらすと信じて、1993年に決行したオスロ合意(宿敵アラファト議長との和解)が、逆にテロを増加させ、多くのイスラエル人を犠牲にしたという現実は否定できない。このため、右派たちはラビン首相を支持しない傾向にある。
いうならば、ラビン首相は、それでも平和のためにパレスチナ人との対話を続けるべきだとする左派と、パレスチナ人との対話は無駄であると主張する右派との決別を作り出したとも言えるのである。
右派と左派の対立は近年、増強する傾向にある。現ネタニヤフ政権は、明らかに右派で、トランプ大統領がイスラエルよりということもあいまって、左派の主張とは反対に、パレスチナ人との対話を遮断し、西岸地区の入植地拡大や、エルサレム拡大と次々に論争となる政策を打ち出している。
強硬な路線を実施するため、ネタニヤフ首相の権限が増し、反対者の意見は握り潰され、首相は刑事訴追を免れるという法案まで出るようになっている。この国家の分裂、民主主義が危機に陥り始めていると懸念する発言を繰り返しているのが、リブリン大統領なのである。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5037140,00.html
<右派左派融和への動き?:テルアビブでの大記念ラリー 11/4予定>
水曜にヘルツェルの丘で行われたラビン首相追悼記念式典において、故ラビン首相の息子ユバルさんは、名前こそ出さないまでも、今のイスラエルは、分裂がすすみ、政府と違った考えを持つものは、すぐに「裏切り者」のレッテルをはられると批判した。
これに対し、ネタニヤフ首相は、ラビン首相は国に忠実であり裏切り者ではなかったが、その政策は誤りであったと語り、「私は私の判断で進む。」と答えた。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/237518
ラビン広場でのイベントは、基本的には左派が行ってきたイベントである。しかし、オスロ合意から確かにテロが増えたことなどから、徐々に左派が左派色を失いつづあるのかもしれない。
今年のテーマは、「私たちは記憶する:私たちは一つの民」となっており、暗殺そのものが強調されていないということである。さらに今年は、西岸地区入植地に住む右派たちのスピーチも予定されている。これは、イベント始まって以来のことである。
また、国の一致がテーマになるならと、これまでは参加したことのない右派議員たちが、イベントへの参加を考えている。右派ユダヤの家党で、農業相を務めるウリ・アリエル氏が参加を表明している他、大三神殿推進派で知られる右派リクードのユダ・グリック議員は、イベントに参加すると思われる。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/237549
左派議員などからは、こうした右派との迎合傾向が、過激右派に暗殺されたラビン首相の追悼式典にふさわしいかどうかと疑問を投げかけている。「このイベントの本来の目的はなんだったか。ラビン首相は右派に暗殺された。一致は大事だが、歴史を歪曲してはならない。」と訴えている。