ユネスコ世界遺産のひとつであるエルサレム旧市街とその城壁に関する報告書が水曜、承認される流れとなり、物議を呼んでいる。
神殿の丘を含むエルサレム旧市街とその城壁は、1981年にヨルダンの申請により、世界文化危機遺産に指定された。
whc.unesco.org/en/list/&order=year#alpha1981
なぜヨルダンかというと、エルサレムは、1967年の六日戦争で、イスラエルがヨルダンから奪回したのではあるが、国際的には、今に至るまで、イスラエルの領地、所有地とは認められていないためである。
こうした複雑な事情から、エルサレム旧市街とその城壁は、世界”危機”遺産リストに挙げられている。
危機遺産であるため、時々に調査が行われ、報告書が提出される。今回、特に問題になったのは、提出された報告書が終始、神殿の丘を、”ハラム・アッシャリフ”というイスラム名を使って報告した上、イスラエルがこれを危機に陥れていると非難する内容になっている点である。
これでは、イスラムの聖地を、その地とは何の関係もないイスラエルが、危機に陥れていると言っているようなものである。
これを受けて、イスラエルからは、烈火のような怒りと抗議が噴出し、イスラエルはユネスコへの激しい抗議とともに、同団体への協力を保留にすると発表した。一方、パレスチナ自治政府のアッバス議長はこの決議を歓迎すると発表した。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4866468,00.html
その後、ユネスコからは、理事長のイリーナ・ボコワ氏が、「エルサレムは、イスラム、ユダヤそれぞれに権利がある。」と、ユネスコ理事長自らがその決議を非難する声明を発表するに至っている。
なお、今回の採択について、反対した国はアメリカ、イギリス、オランダ、ドイツ、エストニア、リトアニアの6カ国。
賛成は、エジプト、イラン、レバノン、カタール、パキスタンなどの中東アラブ諸国、マレーシア、ロシア、中国の他、ブラジルやメキシコなどの中南米など24カ国。
フランスなどヨーロッパ諸国すべてを含む29日カ国が棄権した。日本も棄権した。
www.timesofisrael.com/full-text-of-new-unesco-resolution-on-occupied-palestine/
<複雑な神殿の丘の歴史>
こうした問題が、今、秋の例祭が行なわれている真っ最中に話題となったのは皮肉なものである。ユダヤ教の例祭は、すべて神殿が中心になって行われていた。仮庵の祭はその中でもクライマックスとも言える、神殿行事である。
だからこそ、今この時期、ユダヤ人だけでなく、聖書を信じるクリスチャンたちもエルサレムに集結しているのである。
ユダヤ教が、幕屋にはじまり、エルサレムにソロモンが建てた神殿を中心に営まれていたことは、ユダヤ人の聖書(旧約聖書)だけでなく、キリスト教の新約聖書でも一目瞭然である。さらには歴史、考古学もこれを証明している。
しかし、神殿は、ローマ帝国によって70年に破壊され、ユダヤ人も2世紀までにはエルサレムから追放されている。その後638年には、すでにイスラムがエルサレムを支配するようになった。
現在見えている黄金のドームは、692年に完成している。日本で言うなら、飛鳥時代である。それから今にいたるまで、つまりは日本史の大部分の間、十字軍が来た100年ほどをのぞいて常にイスラムの聖地であったということである。
こうしたことから、ユダヤ人がその前にはユダヤ人の神殿があったと主張しても、イスラムとしても非常に長い間、イスラムの聖地であったのであるから、その所有はユダヤ人にあるといわれても納得しかねるわけである。