プリム日の24日、撃たれて重傷となり、動けなくなっているパレスチナ人テロリストに対し、不要に発砲して死に至らしめたとして、「殺人」の疑いとも言われているイスラエル軍兵士(19)について。
この兵士は、29日に軍法会議にかけられたが、結論が出ず、さらに拘束を2日延長して木曜、再審が行われた。
それまでの2日間、国内では、兵士に同情的な一般世論と、イスラエル軍の倫理にそぐわないとして厳しい処置をとると主張する軍や政府との間に、デモやメディアを通じた激しい論議が続いた。
<エイセンコット参謀総長から全兵士へ>
激しい論議になる中、エイセンコット参謀総長は水曜、全イスラエル軍兵士に、書簡を配布し、その中で、次のように述べた。
「軍は、国民や兵士の命をかけた戦闘の中でミスをした者のサポートはこれからも行う。しかし、倫理的な限度を超えた行動をした場合は、兵士でも司令官でも公正な裁きを行う事になる。
イスラエル軍が、ユダヤ人の民主主義国家における市民の軍隊として、その評価(存在価値)を維持するためには、高いモラルを維持することが不可欠である。」
また。エイセンコット参謀総長は、ベングリオン初代首相の言葉を引用し、「イスラエルの存続は、その力と義にかかっている。「兵器の潔さ」と「人命の尊重」は、昔からのイスラエル軍の基礎である。
作戦すべてにおいて、目的を見失わなわず、慎重に適度に兵力を使い、プロフェッショナルに行動しなければならない。」
<二転三転:もめる軍法廷>
こうして2日後の木曜、再審が行われた。審議の焦点は、殺意があったかどうかである。現場へ急行したMDA(救急隊)は、テロリストは、自爆テロの爆弾を体に巻き付けている危険性があったと、兵士の立場を支持する証言を行った。
しかし、兵士が発砲の前後に、「友達を刺した。テロリストはまだ生きている。彼は死ぬべきだ。」と言っていたの聞いたとする証言が複数明らかとなり、発砲の動機が、自爆の危険から自分と周囲を守るためではなく、殺意からだったとの疑いが強くなった。
最終的に軍裁判長は、①兵士が、緊急対応で発砲したのではない。②殺意があったことも否定できない。として、兵士は不要な銃撃を行ったと判断したと述べた。しかし、「殺人」ではなく、「故殺罪」での裁判に持ち込む見通しと伝えられた。
*「故殺罪」とは、一時の感情で殺してしまったなどで過失致死などもこの中に含まれる。殺人よりは若干罪は軽くなる可能性がある。
しかし、軍・検察は、兵士の身柄拘束をさらに9日間延長して、審議することを求めた。軍・裁判長はこれを認めず、昨夜金曜深夜1時、軍の拘置所から釈放し、基地内での軟禁拘束に切り替えると発表した。
ところが、その後、この兵士の主張や変化しはじめ、取り調べに協力せず、態度に「後悔」もみられないことから、基地内への釈放は延期。現在金曜朝も審議が行われている。
今後の流れとしては、死亡したパレスチナ人の検死解剖が日曜に行われる予定で、これにより、死亡の原因がどれぐらい、この兵士の発砲によるものかが判定され、量刑が決まるとみられる。いずれにしても、かなりの期間、軍刑務所に入ることになるみこみとYネットは伝えている。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4785836,00.html
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/210187#.Vv4trKUWnA8
<ネタニヤフ首相:兵士の両親へ電話>
木曜の軍法廷では、兵士の家族や数百人の支持者らが集まり、「兵士を戦場で見捨てるのか。兵士を家族に戻せ。」と叫んだ。テレビでは、兵士の母親(顔は隠されている)が、兵士の頭を抱いて、「私の子を家に帰して。」と泣いている姿もあった。
*ベツァレルがネットに映像を流した時には、この兵士の顔は隠されていなかった。家族は、アラビア語なまりで、「死の警告」を受けたという。
ネタニヤフ首相は、木曜の裁判の後、兵士の父親に電話をかけた。「あなた方の訴えは聞きました。あなた方の心中をお察しします。
ここしばらく、テロリストの兵士への攻撃が続き、兵士たちが現場でとっさに判断し、射殺するという事態が続いています。こうした現状は単純に判断できるものではありません。
しかし、私は軍と国の検察を100%信じています。私たちは多くのチャレンジに直面しています。イスラエルは一致していなければなりません。
心から申し上げたいことは、取り調べの中で、すべてを隠さず出していただきたいということです。どうかご理解いただき、あなた方も、息子さんに対する調査が公正に行われていると信じてください。」
<パレスチナ人の視点>
死亡したパレスチナ人の遺体解剖については、木曜と報じられていたが、今日のニュースでは日曜となっていた。解剖するにあたっては、パレスチナ人の医師も立ち会うことになっている。死亡したパレスチナ人の家族がこれに同意していないなどの問題がまだあったとみられる。
これらの一件でまったく無視されているのが、死亡したパレスチナ人の家族である。確かにイスラエル兵を殺しに来たテロリストではあるのだが、家族にしては、やはりまだ若い息子である。家族が必ずしも息子のテロ行為に同意していたとは限らない。
ニュースが流れるたびに、地面に倒れている息子がこの兵士に頭を撃たれて死亡する場面が出て来る。パレスチナ人の知人は、「何回も息子が撃たれる瞬間を見る母親の気持ちも考えてほしい。」と言っていた。
<論説:道徳的な軍隊などない?>
今回の論議について、Yネットの論説では、「イスラエル軍は、世界の中でも道徳的な軍隊になりたがっているが、そんなものはこの世界に存在しない。人を殺害する軍隊は、何が理由であれ、すでに道徳的ではない。」と論じている。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4785195,00.html
戦場という所は、人を狂気にする。昨年のガザでの作戦でも、イスラエル軍兵士が、民間人を殺害したとして国際的にも相当な非難を受け、イスラエルは自らも詳しい調査を行うという経過があった。
Yネットの論説によると、戦場でのことは、紙一重であり、西岸地区でイスラエル軍がやっていることはすでに道徳的とはいえないと言っている。戦場では、道徳など存在しないというのである。
そのように厳しい戦場。いつ自分も死ぬかもわからないような戦場において、わずか19才に、冷静な判断を要求すること事態、本来は、無理なのかもしれない。
これは、日本の19才が、本物のM16(ライフル銃)を責任を持って管理し、戦場下で正しく使用するだけの成熟が育っているかどうかを、想像していただければすぐにわかることである。
今回の19才の兵士が、事件から1週間近くも身柄を拘束され、こうした論議の的となり、今もうやけくそになっているのもなんとなく想像がつくところである。
IDF教育にかかわるエルアザル・スターン氏は、「これは、戦場において感情(恐怖と怒り)をどう処理するかの問題だ。」と言っていた。これを現代の19才に求めるところにどうしても無理がでるのだろう。
しかし、イスラエルの場合、国家存続のために、まだ20才にもならない息子たちをその狂気に満ちた戦場に送り出さなければならない。その点については選択の余地がない。
自らも兵役についたイスラエル人男性が次のように言っていた。「基本的に兵士になれる人となれない人がいる。本来は兵士はプロの職業でないと成り立たないのだが、イスラエルでは、普通の若者も皆が戦場に送られるところが、悲劇だ。」*
しかし、それでもなお、イスラエル軍は、この高い理念を掲げる以外に道はない。この兵士に今甘い顔をすることはできないということである。
*注)イスラエル軍は、戦闘部隊に配属する場合、本人の希望と、まだ兵役以前から、適正をよくみて配属し、不適切な場合は、すみやかに移動させている。
他国の軍に比べれば、イスラエル軍が、個人個人の適正は相当見ていることは確かである。兵士志願でないものも含め、市民の大事な息子たちを徴兵していることと、適材適所が国の存続に関わる事にもなりかねないからである。それでもやはり戦場では限界があるということである。