10月23日、エルサレムのイスラエル博物館、並びに死海写本館に隣接するバイブル・ランド博物館(ユダヤ系財閥による公立の博物館)で、新約聖書を含む様々な時代の聖書の特別展示「Book of Books」が始まった。
今回の展示では、ユダヤ教の聖書と共に、新約聖書を含むクリスチャンの聖書(ユダヤ教聖書と旧約各書の並びが違う)が対等に展示されている。これはイスラエル史上初で画期的なことである。
www.youtube.com/watch?v=2un4CKJbxZk(CBN ニュース・博物館内部ビデオ)
<ユダヤ人とクリスチャンが共同作業>
特別展「Book of Books」はアメリカの福音派クリスチャンで億万長者のグリーンファミリーが集めた4万点に及ぶ様々な時代の聖書からの展示である。
展示の目的は「ユダヤ教とキリスト教は土台が同じ。どちらもイスラエルから発している。」ということを伝えることと明記され、グリーン・ファミリーは、これらのコレクションを世界に持ち回って展示している。
しかし、今回のエルサレムでの展示は、発案から実現まで、4年もかかったという。23日のオープニングにおいて、バイブル・ランド博物館の主事アマンダ・ウエイス氏は、「クリスチャンからの申し出によって、ユダヤ人とクリスチャンが対等に協力して、このような展示か実現するのはイスラエル史上初めてのこと。」と語った。
オープニングには、イスラエル政府から文化相、観光相の他、驚いたことに、アシュケナジー・チーフラビのダビッド・ラウ氏も出席していた。
あれほど新約聖書を毛嫌いしていたはずのユダヤ教指導者、しかもチーフラビが、「新約聖書の原点はイスラエルにあり、同じ根っこをもっている」という展示、しかも十字架など、イエスの絵付き新約聖書を多く含む展示のオープニングで、推薦の挨拶をしたのである。
エルサレムでの一般公開は来年4月まで。次はバチカンで展示され、その後、ワシントンDCで常設の展示として落ち着くことになっている。
<億万長者の福音派クリスチャン:グリーン・ファミリー>
グリーン・ファミリーは、フォーブス誌によると世界第90位の億万長者。会社はホビー・ロビーというアート&クラフトの会社で、1973年にデービッド・グリーン氏が創設し、今では561のチェーン店を持つ。
このグリーン・ファミリー。敬虔な福音派クリスチャンである。今でも日曜日は店を開けずに礼拝を守っている。ビジネスとともに伝道活動も行っているようである。
オーラル・ロバーツ大学など聖書大学への献金を含め、これまでにグリーン財団が捧げた額は5億ドル(500億円)に上るという。さらにアフリカやアジアに配布する福音書を14億冊提供している。
さらにビル・ゲイツとウオーレン・バフェットが始めた「Giving Pledge(捧げる約束)」にも登録している。これは億万長者たちに対し、少なくとも財産の半分は、チャリティーに捧げようという運動である。
<クリスチャンによって中東から世界に運ばれた聖書>
聖書(トーラー)はもともとヘブル語だが、そのままではユダヤ人のラビしか読めなかった。しかし、その聖書がエジプトでギリシャ語に翻訳され、セプチュージェントと呼ばれるようになり、もっと多くの人が読めるようになった。
ちょうどそのころ、エジプトではクリスチャンが激増している。西暦400年ごろまでにはエジプト人口の80-90%はクリスチャンだったという。パウロの書簡の最古の写本の切れ端がみつかったのもエジプトである。(ヘブル書9章、ローマ書9,10章、エペソ4:14-21 いずれもギリシャ語、2-4世紀)
ギリシャ語になった聖書は、エジプトからチュニジア、イエメン、イラク、エチオピアへと広がっていった。展示にはこれらの国で発見された聖書の切れ端が転じされている。ところで、当時の聖書はギリシャ語とアラム語だが、アラム語の方はシリアで発展している。
こうしてみると、イエスの十字架と復活から2世代もしない間だに新訳が加わった形で、聖書は世界に持ち運ばれた。しかも今はイスラム主義に完全に支配されている中東・北アフリカから、世界に広がっていった!のである。
新しく信じたばかりのクリスチャンは最も喜んで伝道するが、この当時の聖書の切れ端をみていると、当時のクリスチャンたちの興奮した様子が伝わってくるような気がした。
その後、聖書はヨーロッパにわたり、様々な言語に翻訳され、印刷技術が開発されたことで聖書は飛躍的に広がっていった。展示には、中世13-15世紀の聖書から、最初の機会による印刷板グーテンバーグ聖書も展示されている。
しかしそれでも、中世の時代、聖書は一般の人々が持つことことはできず、教会にしかなかった。最後に盗まれないよう鎖がつけられた聖書が展示してあり、印象的だった。
聖書はユダヤ人に与えられたが、長い歴史の中で、全世界に聖書を持ち運んだのは異邦人クリスチャンたちであったということに改めて感動した。