
イラクの首都モスル(かつてのニネベ)には、2700年前、紀元前8世紀のアッシリア、セナクリブ王の宮殿跡がある。
その貴重な遺跡は、2016年、ISISにかなり破壊された。しかし、その後も、写真などからの詳しい研究が続けられている。
それで、今まで見過ごされてきた浅い部分が見え、エルサレムの神殿らしき部分が見えてきたとの発表があった。
これを学会誌に発表したのは、南アフリカのステーブン・コンプトン氏である。
もしこの推察が正しい場合、エルサレムの神殿を証言する最も古い資料になる。
これまで、エルサレム神殿を表す最古の資料をされてきたのは、6世紀、ビザンチン時代にヨルダンで発見されたマダバ地図に書かれたエルサレム神殿だった。
モスルのこの遺跡は、19世紀にイギリスの考古学者によって、発見されていたものである。
特に重要な発見だったのは、紀元前705年から681年までアッシリアの王であったセナクリブの王室である。宮殿でも最大の部屋である。
その部屋の壁には33の風景?が彫り込まれていた。セナクリブ王が紀元前701年に行ったレバント地方(イスラエル含むエリア)の遠征など、聖書に書かれていることが事実であったことを証言するものであった。

たとえば、セナクリブが、滅ぼしたラキシュの様子である。セナクリブは、紀元前701年、ラキシュを滅ぼした後、エルサレムを包囲したのであった。この部分は、ロンドンの大英博物館に保存されている。
このほか、王室の壁に彫り込まれていた景色の中で、28番とされるものは、アッシリアが破壊したエジプトの領地で、ユダ後、ペリシテ人の町、エルテカだとされていた。
しかし、今回、写真の分析研究などから、そこに彫り込まれていたのは、実は、当時のエルサレムの神殿であったことがわかったということである。
聖書によると、ヒゼキヤ王は、セナクリブに包囲された時、神である主に助けを求めた。すると、18万5000人の天使が来て、セナクリブ王の軍を滅ぼしたと描かれている。(第二列王記19:36、イザヤ37:36)

エルサレムは、孤立したが、破壊されなかったということである。28番には、長い城壁が描かれており、壊されていない。またその壁の様子が特殊な建築様式になっている。

また、そそり立つ一つの塔があり、そこに一人の人物が立っている。
それが王権を象徴するものであり、人物は、ヒゼキヤ王ではないかと考えられるというのである。
また、その人物を見上げるような位置であることや、そこからの空間があることから、谷に取り囲まれるエルサレムの地理的状況ではないかとも考えられている。
石のひとりごと
イラクには、この他にも聖書を証明する多くの考古学的遺跡がたくさんある。ISISはそれらを、かなり本格的に破壊したという。このことからも、ISISが、聖書の神に逆らうものであることを証明しているようなものである。
しかし、逆に、それがゆえに、聖書に書かれていることが、架空ではなく、いかに現実のことであり、主が現実の天地創造の主であることを証しているともいえるわけである。
エルサレムに神殿は確かにあった。神はそこにおられ、ヒゼキヤ王を助けられた。これは実質的な歴史である。聖書は単なる宗教の本ではない。また一つ、その証言があったということである。
