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ハマス殲滅からぶれないネタニヤフ首相
ネタニヤフ首相は、ホワイトハウスでトランプ大統領と、2回に分けて会談した。しかし、停戦という話にはならなかった。逆に、会談終了後、ネタニヤフ首相は、人質の全員解放とハマス殲滅という目的は変わらないと強調した。
その後、停戦は望むが、そのための代償は払わない、妥協はしない、ということだと述べた。これについては、トランプ大統領と足並みは揃っていると主張した。
同じころ、イスラエルでは、カッツ国防相が、ガザ市民を一時的に収容する地域を南部に作り、そこで、市民たちをハマスの過激な教育から解放するとともに、希望者には移住を支援する計画を発表していた。ハマスをこの地上から、存在とそのイデオロギーも共になくすという計画である。
実際のところ、ガザでの激戦は続いているが、ハマスはすでに指揮系統を失い、イランからの武器支援も止まっている。
このため、ドーハで行われている交渉は、じわじわ前に進んでおり、ウィトコフ米特使はここ1-2週間野間に、結果が出るとの予想を表明している。IDFのザミール参謀総長も同様の見方を表明している。
今回、ネタニヤフ首相が、わざわざアメリカにまで行って、トランプ大統領と足並みが揃っていることを見せつけながら、ハマス殲滅を目指すと言い切ることで、ハマスに最大限の圧力をかけ、白旗を上げさせようとしているのではないかとの見方もある。
ネタニヤフ首相は本日10日(木)、アメリカ国防省ペンタゴンを訪問。明日には帰国予定となっている。
なお、トランプ大統領との会談後、ネタニヤフ首相は、ハマス殲滅に向けて、以前よりも激しい攻撃を指示したとのこと。
ガザでは、イスラエル空軍の空爆と地上軍による、ハマスへの激しい攻撃が続けられている。
www.timesofisrael.com/pm-says-hes-in-sync-with-trump-on-hostage-deal-wont-agree-to-one-at-any-price/
ハマスとの戦争長期化で代価を払うのはイスラエル市民という見方も
ネタニヤフ首相は、ハマスとの停戦のために代価は払わないとして、ハマスを打倒するまで戦いを続けようとしている。しかし、停戦が先延ばしになればなるほど、その間に死ぬ国民が出ることも否定できない。
停戦のチャンスは、これまでに何度かあったが、いわゆる代価を伴う(妥協を伴う)ものであったことから、ネタニヤフ首相はそれらを見送ってきたのだった。
しかし、イスラエルメディアの評論家の指摘によると、たとえばこの1月にも停戦案が浮上した時に、停戦していれば、その時から今にいたるまでの間に、戦死した兵士や警察官など38人が死なずに済んだわけである。
代価を払うような形での停戦はしないとネタニヤフ首相は言っている。しかし、停戦が先送りになれば、その間に、死ぬ市民が出る。イスラエル市民たちは、すでに、ハマス殲滅の代価を払う結果になっているのである。
また、ハマスを殲滅したとして、果たして、イスラエルが安心して暮らせる時代が来るのかどうかは、わからない。それなら、もう早くに停戦する方がいいのではないかと訴えもあるのである。
ネタニヤフ首相が進める方針が正しかったか否かは、後の世が決めることになるだろう。
石のひとりごと
ガザでは、ここ毎日のように、若いイスラエル兵たちが戦死している。イスラエル人でなくても、もう十分、もう停戦させてほしいと叫ぶ思いである。
しかし、ネタニヤフ首相は、自分の信念を信じきって、ゆらがないでいる。本当にすごい政治家だと思う。ネタニヤフ首相には何が見えているのだろうか。
確かに、ハマスは、人間の域を超えた、悪魔的とも言える執念でイスラエルを攻撃し続けている。倒しても、倒しても、再現なく出てくる様子からは、霊的な異常さも感じさせられる。
このハマスとの戦い。霊的な一面は確かにあると思う。そうなると、イスラエル軍だけで、これを殲滅することは無理である。
1日も早く、このガザで支配を続けるハマスとその背後にあるものが消えるように、霊的な戦いの必要性を感じる。それによって、ガザ市民だけでなく、ハマス戦闘員たちも解放されるのである。
マルコの福音書5章には、レギオンと呼ばれる大勢からなる悪霊に憑かれていた男をイエス・キリストが解放する様子が書かれている。
ガザにいるのがレギオンかどうかはわからないが、どんな悪霊でも追い出せるのは、イエス・キリストだけである。私たちは、この名で、祈ることができるということである。
こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。
この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖をひきちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。
それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからあを傷つけていた。彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」
それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。
そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。 彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」
イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのをみて、恐ろしくなった。 (マルコの福音書5:1-15)
