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イランからのミサイル攻撃3日目:テルアビブ周辺とハイファで8人死亡
イスラエルが、イランの軍関係施設や、核施設を攻撃しているのに対し、イランは、明確に、毎晩、市民の居住地に弾道ミサイルや超音速ミサイルを発射している。
6月15日から16日にかけての攻撃では、弾道ミサイル70発、ドローンも合計で100機以上が発射された。ドローンは、すべて迎撃されたが、弾道ミサイルは、複数が市街地に着弾していた。
ミサイルが着弾したのは、テルアビブ、ペタフ・ティクバ、ブネイ・ブラック、続いてハイファである。
ペタフ・ティクバではアパートにミサイルが着弾。がれきの中に埋まっている人々を救急隊のマーゲン・ダビッド・アドンが必死に探していたが、これまでに4人の死亡が確認された。以下はペタフ・ティクバの様子
ペタフ・ティクバで死亡した2人は、自宅内のシェルタールームにいたのに、死亡していたという。自宅内シェルターは通常安全とされているが、これは、破片が飛んできた場合には、保護できるが、ミサイルの直撃とか爆発物までは保護できないとのこと。
ブネイ・ブラックでは、1人の死亡が確認された。昨夜からの死者は現時点で5人。92人が負傷して救急室へ運ばれていた。以下はブネイ・ブラックの様子。アパートと多数の車が破壊されている。
16日午前中には、ハイファでも市内2着弾。市街地では3人が死亡したとのこと。
ハイファ港付近の火力発電所で火災となっている。
また午後には、イエメンのフーシ派が、イスラエル南部へミサイルを発射してきている。被害状況はまだ報じられていない。
イランは常に夜に攻撃してくるため、人々はほとんど寝ていない。サイレンはいつ鳴るかわからず、聞き落とせば死ぬかもしれないからである。昨夜はそうした3回目の夜だった。昼間になってもサイレンはなり続いている。人々、特に子供たちの体力にも限界があると懸念される。
*シェルターでつながるイスラエル人たち
長く続く緊急事態だが、イスラエル人たちが、助け合っている様子も伝えられている。
お金持ちは自宅の中にある保護ルームに避難できるが、多くはアパートの地下にあり、アラームがなるといっせいに地下に降りて、同じアパートの人々と緊張の時を過ごす。テルアビブでは、公共のシェルターがあり、サイレンがなると、ホームレスや、シェルターのないアパートに住んでいる人たちが駆け込むことになる。
エルサレムポストの記事では、ユダヤ教に宗教的な人で、2人の子供の母親であるナオミさんは、安息日に電気をつけないため、アラームに気がつかない。それを知っている、世俗派の隣人が、危機を知らせてくれるという。
また宗教的なナオミさんは、安息日には、ドレスを着て、頭にはかつらをかぶる。狭いシェルターでは非常に暑い。隣人は、世俗派なのでTシャツと半パンツである。そのため、だまって扇風機をナオミさんの前に置いてくれたという。
テルアビブではステファニーさんとメラニーさん姉妹が、不安そうにシェルターを探していた80歳の女性を助けた。女性が、息子に無事を伝えたいから写真を撮って欲しいと言ったので、一緒に撮って息子さんに送ったら、なんと、その息子さんは、ステファニーさんと以前一緒に働いたことにある人だった。80歳女性の緊張は一気にほぐれたといいう。
エルサレムでは、男性が、シェルターに向かうときに、スニッカーズバーというチョコスナックが食べたいと思ったとのこと。途中で高齢女性がシェルターに入り、家に戻るときにも手伝ったら、帰るときに、その女性が、お礼にと、スニッカーズバーを男性に出してきたという。この偶然が、男性を大いに力づけ、またこの女性との近所付き合いも始まったとのこと。
www.jpost.com/israel-news/article-857849
ブラジル系イスラエル人のガイドの友人は、この混乱の中、ブラジル人グループのガイドをしていた。おそらくは福音派とみられるが。シェルターの中で、大騒ぎで賛美している様子を送ってきている。
石のひとりごと
イランの攻撃とその被害の後の様子は、まさに戦場の様相に見える。人々はどうしているのだろうか。数百人がホームレスになったとの記事があった。
しかし、まだまだ終わる気配はなく、この記事を書いている横で、サイレンがなり始めて、ずっと、ずっと、ずっと、鳴り続けている。今回はかなり長い。。。
イスラエル人たちは今頃シェルターに走っているか、入っているだろう。けっしてほのぼのではない。自分も一瞬で死ぬもしれない。家族も死ぬかもしれない。家もなくなるかもしれない。
初日のミサイルが、ハイファ近郊のアラブ人地区タムラでは、男性が、妻とその妹、そして娘2人と、家族全員を、ミサイルが着弾した一瞬で失ったのである。
複数の友人が疲れを表現している。あなたは、日本にいてラッキーだよという人も。
こんなことは許されてはならない。天地を支配される主が、正義を行なってくださるようにと祈る。
