イスラエル軍がジェニン難民キャンプに大規模に侵攻してから10日になる。最終的にパレスチナ人の死者は12人。イスラエル軍兵士1人。イスラエルは、パレスチナっ人の死者は、すべて戦闘員だったと主張している。
この戦闘に、パレスチナ自治政府は、ほとんど関与しなかったことから、戦闘後にジェニン難民キャンプへの訪問を試みたアルール副議長たち数名の幹部は、住民に拒否されるという事態になっていた。
さらに、今後の平穏を維持する上で、イスラエルが、パレスチナ自治政府を強化するしかないという流れもあり、ジェニン(特に難民キャンプ)住民と、パレスチナ自治政府の関係は、非常に難しい状況にあるとみられる。
こうした中、12日、パレスチナ自治政府のアッバス議長(87)が、ジェニン難民キャンプをヘリコプターで訪問。“特に”殉教者”とされる9人の墓に献花した。アッバス議長は、難民キャンプの再建を約束する声明を出した。
関係の悪さからか、アッバス議長が、ジェニン難民キャンプを訪問するのは、10年以上ぶりであった。訪問により、パレスチナ人が一つであることを証明しようとしたともみられる。
*ジェニン難民キャンプ:イスラエルへの筋金入の怒り70年
1953年、当時はまだヨルダン支配下であった、大きなパレスチナ人都市ジェニンの中に、ヨルダンが、1948年のイスラエル独立戦争で難民となった人々(76万人)の一部を収容する難民キャンプを設立した。その14年後の1967年、ジェニンを含む西岸地区は、ヨルダンからイスラエルが支配する形となった。
したがって、難民キャンプとはいえ、もう70年も経過している。もはやテント生活ではなく、普通の建物になっている。しかし、そこに住むパレスチナ人たちは、70年も自立できないまま、代々難民というステータスと、国際社会からの支援を受け続けているということである。現在のジェニン難民キャンプの住民は1万8000人にまで膨れ上がっている。
この住民たちは、1948年以来のイスラエルへの怒りで生きているということで、2000年代に発生した第二インティファーダ(テロで死亡したイスラエル人は約1000人)にのぼる。一方、イスラエルもジェニン難民キャンプへの反撃を続けており、死亡したパレスチナ人は3000人以上だという。(Times of Israel)
イスラエルへの怒りは筋金入りで、そのイスラエルと協力する一面を持つパレスチナ自治政府、特に汚職にまみれているアッバス議長は、ジェニン難民キャンプの人々にとっては、なんの意味もない存在かもしれない。