バビロンの破壊を耐えたエルサレムの城壁発見:586BCダビデの町から 2021.7.16

Dr. Joe Uziel, Ortal Kalaf, and Dr. Filip Vukosavovic are standing by the exposed section of the wall. Photo: Koby Harati, City of David

18日のティシャ・べ・アブ(神殿崩壊記念日)を前に、先の第二神殿遺跡に続いて、あらたな第一神殿時代の城壁が、エルサレムのダビデの町で発見されたとの発表があった。

この城壁は、586BCにバビロンが来て、エルサレムを破壊していった際に破壊されずに残ったとみられる城壁の部分である。

この壁は、過去にすでに発見されたいた壁を結ぶものであり、バビロンに破壊されずに残った壁が200メートルに及んでいたことがわかる。

壁のすぐ裏には、破壊の際にバビロンから持ち込まれていたとみられる押印なども発見されており、聖書に書かれたバビロン捕囚と第一神殿の崩壊を生なましく伝えるものとなった。

*ダビデの町とは

エルサレムの神殿の丘から南側に続くエリアで、聖書が明記しているダビデ王の宮殿、王たちがいたとみられる政府関連の遺跡や、王たちの墓、ギホンの泉、ヒゼキヤのトンネル、シロアムの池など、旧約聖書に関連だけでなく、新約聖書でも関係が深い聖書考古学の宝庫である。

発掘は今も続けられており、特にシロアムの池から神殿へと続く巡礼が登っていった登り階段と、先週発表された第二神殿のVIP部屋のあるエリアは、最終的にはつながることになり、将来は、第一神殿、第二神殿時代を中心とする、聖書考古学の総集編のような考古学施設が出来上がる予定である。

第一神殿時代の城壁について

第一神殿時代のエルサレム
Illustration: Shalom Kveller, City of David Archive

エルサレムで現在見えている城壁は、聖書時代のものではない。基本的には12世紀の十字軍時代あたりのラインにそった城壁になっている。

聖書時代の城壁は、今の神殿の丘から、南へ下がったダビデの町と呼ばれている地域を取り囲む形の城壁である。(ヒゼキヤ時代は西へ拡大)

ダビデの町は、ケデロンの谷とヒノムの谷に囲まれ、その中に傾斜30度以上でそびえるような地形の上にある。

谷から這い上がることが難しいため、イスラエル人が来る前は、エブス人が要塞として、中に住んでいた。そこへ、ダビデの家来、ヨアブが中の洞穴を駆け上がって、この町を占領したと聖書は記している。(第一歴代11章)

これ以降、この要塞にダビデ王、ソロモン王が住み、そのすぐ北に第一神殿が建てられた。ソロモンの後、イスラエル王国が東西に分裂してからは、ユダ王国が拠点として、この地を使い続け、聖書の主な舞台になっていった。

第一神殿時代の城壁が、エブス人時代からのものを利用したとすると、発見された城壁はダビデ時代、1100BC以前にさかのぼる。

この時代からの城壁の一部は、1960年代、著名な考古学者キャサリン・ケニヨンによって発見され、ダビデの町の東側、上(北)で今もみることができる。続いて、1970年代に、同じ東側だが、下(南)で、同時代とみられる城壁を考古学者イーガル・シロアが発見した。

今回発見された第一神殿時代の城壁は、この2つの遺跡を結ぶ形で発見された。長さ30メートル、高さ2.5メートル、幅5メートルである。これまで上記2箇所の城壁が第一神殿時代の壁かどうかは、まだ議論の余地があったが、今回の発見で、これらが継続した東側の城壁であることはほぼ間違いないとされた。トータルに城壁の長さは200メートルに及ぶ。

バビロン捕囚に至る戦いの証

City of David

加えて、今回は、城壁とともに、バビロン関係の遺跡も発見されたことから、この壁がバビロン捕囚とユダ王国の最後の時代にまで存続していたことも確認できた。

また、その破壊を逃れていたこともわかったということである。第二列王記25:10によると、バビロン軍は、エルサレムを守っていた城壁を取り壊したと書かれているが、エブス人時代と同様、東

地層から出てくる破壊と燃やされて黒い灰
City of David

側の強固な城壁は取り崩せなかったのだろう。

過去の発掘で、城壁のすぐ内側にある建物は破壊されていることがわかっている。取手に、「ラメレク(王のもの)」など、様々ユダ王朝の印形が掘り込まれた容器が並んで破壊されたものや、黒焦げの様子まで生々しく当時の様子を表している。

また、バビロンの神、マルドゥクとナブがほりこまれた印形が発見されたころから、この破壊がバ

バビロンからの印形
City of David

ビロン捕囚時代のものであったことを証明している。このすぐ近くでは、ツファンというヘブル人の名前のブラエも発見されており、当時の戦いを生々しく思い浮かべさせている。

これらの発見のすぐそばで、発見された城壁である。この時の激しい破壊を見、また耐え抜いたことを証している。

www.timesofisrael.com/first-temple-era-walls-razed-in-biblical-account-found-unbreached-in-jerusalem/

 

第五の月の7日―それは、バビロンの王、ネブカデネザル王の第19年であった。―バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の宮(神殿)と王宮(ダビデの町)とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。

侍従長ネブダルアダンは、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕え移した(バビロン捕囚)。        

                              第二列王記25:8-12

石のひとりごと

イスラエルの観光地で、個人的にも最も興奮するのがこのダビデの町である。何度行っても飽きないし、つねに新しい発見がある。ここにくると、聖書の世界が現実であることを体感できる。タイムスリップして、その世界に入っていける。

早くコロナが退散し、みなさんをご案内したいと思う。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。