ネタニヤフ首相は法廷へ:リブリン大統領は各党と面談 2021.4.5

リクードと会談するリブリン大統領:リクードはネタニヤフ首相を推薦 出典:Mark Neyman (GPO)

5日朝、ネタニヤフ首相は、予定通り汚職の刑事裁判のため、エルサレム地方裁判所へ向かった。同時に、リブリン大統領は、総選挙後に、誰に連立交渉を任命するかを判断するため、各党の党首との面談を開始した。今日中に全党と会談する予定。

その様子は、YouTubeでも中継中である。ヘブライ語ではあるが、日本の挨拶的報告的なものではなく、大統領が言い終わらないうちに話し始めたり、否定したりと、結構な議論になっているのがわかる。

www.timesofisrael.com/rivlin-to-meet-with-party-leaders-to-hear-their-preferred-candidate-for-premier/

リブリン大統領は、面談に先立ち、「様々な主張を克服し、安定した政権を立ち上げて欲しい。」と述べた。これにより、リブリン大統領が暗に、ネタニヤフ首相を退け、右派左派混じる反ネタニヤフ陣営による政権を望んでいるのではないかとの声が出ている。

ネタニヤフ首相続投は困難?

エルサレム地方裁判所に入るネタニヤフ首相 Photo by Reuven Kastro/POOL ***POOL PICTURE, EDITORIAL USE ONLY/NO SALES, PLEASE CREDIT THE PHOTOGRAPHER AS WRITTEN – REUVEN KASTRO/POOL***

ネタニヤフ首相(30議席)は、今日、証人喚問が始まる予定であるのに加え、現時点で連立で合意するとされる議席の総数がまだ52議席。仮にまだどちらに着くともわからないベネット氏が入ったとしても59議席と過半数に不足する。打倒ネタニヤフ陣営に行ってしまったサル氏が戻ればいいが、その様子はない。

となると、イスラム主義政党のラアム党を仲間に入れるしかないが、もしそうなれば、今はネタニヤフ陣営に連なっている極右のスモルトビッチ氏が陣営を出ると発表した。ラアム党については、ベネット氏も明確に受け入れないと表明しているので、現時点ではもはやネタニヤフ首相が、過半数を実現する可能性はかなり低くなっている。リクード内部からは、ネタニヤフ首相は政治を降りて大統領になることで、刑事訴追を逃れるしかないとの話も出始めている。

一方、打倒ネタニヤフ陣営では、ラピード氏(17議席)とこちら側に立つと見られる党を全部入れて57議席。こちらは、ベネット氏がこちら側についてくれさえすれば、一気に64議席と過半数になるわけである。とにかくネタニヤフ首相を退陣させたいラピード氏は、なんとかベネット氏を取り込もうとして、首相交代を条件に、ベネット氏が先に首相になることを認めるとまで言っているという。

www.ynetnews.com/article/BkjZRaLr00#autoplay

しかしもし、ベネット氏が首相になったとしたら、今回30議席と最高議席数を持つネタニヤフ首相ではなく、次に17議席をとっているラピード氏でもなく、わずか7議席のベネット氏が首相になるという、まさに民主主義の崩壊を絵に描いたような事態になるということである。しかし、もしこれが実現しない(ベネット氏が入らない)となると、こちらもまたラアム党を入れない限り、過半数には達しないということになる。

一体何が起こっているのかというと、ユダヤ人の国と主張するイスラエルの政治が、ラアム党というイスラム主義政党を取り入れた方が、連立を立ち上げる可能性が出てくるという、なんとも皮肉極まりない事態になっているということである。

しかし、逆にいえば、イスラエル総人口の20%強はアラブ系市民なのであるから、民主国家を歌うのであれば、アラブ系のラアム党を加えた方が、より民主国家的であるとも言えるわけである。イスラエルが、ユダヤ人の国でありつつ、民主国家であるということが可能なのかどうか。イスラエルは今、根本的な問題に直面しているということである。

アラブ系イスラエル人を代表するラアム党:ユダヤ人とアラブ人共存のイスラエルを主張

ラアム党のアッバス氏は、連立を決める鍵的な立場から、右派でも左派ではなく、新しくユダヤ人とアラブ人の共存を目指す新しい政府を訴えた。

1)イスラエル系アラブ人とは?

イスラエルの総人口のうち、約21%にあたる189万人はアラブ人である。主に北部にいるアラブ人と、南部にいるベドウィンたちで、多くはイスラム教徒だが、キリスト教徒もいる。この人々は、20世紀に入って、ユダヤ人たちが、この地域で自分たちの祖国を再建しようと戦っていた時代に、この地域に住んでいたアラブ人たちの子孫である。

当時のアラブ人たちの多くは、イスラエルが優勢になるにつれ、ヨルダンや、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区に逃れて難民となり、いわゆるパレスチナ人と呼ばれるようになっていった。

*当時は、倒れかかっていたオスマントルコ帝国からの難民ということであり、パレスチナという国からの難民ではなかったということに留意

一方、こうした地域に逃れず、そのまま独立したばかりのイスラエルに残留したアラブ人もいた。イスラエルは、この人々には、市民権を与え、選挙権や教育、医療など、基本的な権利は、ユダヤ人と同等にすると決めたのであった。これが、今に続くアラブ系イスラエル人社会である。

このほか、主に南部に居住地を持つベドウインのアラブ人は、アラビア半島からの移動生活をしていた遊牧民が、イスラエル建国の際に、たまたまこの地域にいたために、イスラエルが独立後、出られなくなったという人々である。多くは、ベエルシェバ近郊の砂漠地帯に定着し、イスラエルの市民権を取得しているが、そうでない人も多く、イスラエルの中では最も貧しいとされる人々である。

建国から70年以上経った今、イスラエルで生まれ育ったアラブ系イスラエル人の世代が、社会で活躍する時代に入った。大学では、アラブ人たちもユダヤ人たちとともに自由に学ぶことができている。特に、北部ハイファ大学では、アラブ人女子の学生が男子の数より多いという、中東の多くのイスラム社会ではありえない状況にもなっている。

この人々にとって、イスラエルは、ユダヤ人の国ではあるが、同時に自分の国という認識になっている。にもかかわらず、アラブ人であるというだけで、2級市民扱いになることに、アイデンティティの問題を抱える若者も少なくない。特にキリスト教徒のアラブ人は、イスラエル軍に従軍したいとまで願う愛国心を持つ人も数なくない。近年、ようやく、アラブ人クリスチャンで希望するものには従軍も認めるようになった。

ラアム党はこうしたアラブ系イスラエル人の声を代弁したいとして立ち上がった党である。

2)アラブ系住民の課題

市民としての基本的人権は、アラブ系市民でも、ユダヤ人と同等であることが認められている。しかし、アラブ系イスラエル人とユダヤ系イスラエル人が、すベて自由で平等ということではない。現実社会では、やはり、ユダヤ人社会でアラブ系学生が就職することは難しい。従軍していないということも、就職を難しくしている。

また最近では、アラブ人地区では、警察が十分に働いていないという問題が深刻になってきている。イスラム主義のアラブ人地域では、昔からの習慣で、姦淫しているとされる女性が家族に殺されるいわゆる名誉殺人が横行している。また、アラブ系マフィアによる暴力団的な衝突、殺人も急増しており、今年に入ってから殺されたアラブ人は24人に上っている。

アラブ系イスラエル人たちは、イスラエルの警察が、こうした問題に十分な対処をしていないと訴え、デモを行うようになっている。

www.timesofisrael.com/ending-violent-crime-a-top-issue-for-arab-israeli-voters-in-election/

さらに2018年、Nation State Lawと呼ばれる「イスラエルはユダヤ人の国」と定義するという基本法が可決された。これは、ユダヤ人より、アラブ人の方が出生率と人口増加率が高く、民主国家のままでは、やがてイスラエルがアラブ人の国になってしまうという懸念があるからである。実生活に置いて、この法律による直接の影響はまだ見えてはいうないが、これによると、ユダヤ人でないアラブ系市民は、2級市民ということになるため、アラブ系市民たちは大いに反発したのであった。

www.haaretz.com/israel-news/elections/.premium-netanyahu-nation-state-law-not-meant-to-harm-arabs-but-stop-infiltrators-1.9637618

こうした問題に対して、従来からあるアラブ政党(前回から統一アラブ党)は、ただただ政府を非難するだけであった。逆にパレスチナ人の権利を訴えて、ユダヤ人政府そのものに反発し、まるでパレスチナ人の代表のようであり、アラブ系イスラエル市民の声を、十分に代弁していないとの声が出てくるようになった。

この流れの中で、結成されたのがラアム(人々のためにという意味)党である。ラアム党は、イスラム主義政党ではあるが、イスラエルという国を認めた上で、ユダヤ人とアラブ人が、平等に共存するイスラエルを目指すことを主張する。今回の選挙では、アラブ統一政党から離脱。ダメもとで、単独で選挙に打って出たのであった。すると予想以上に票を得て、単独で、4議席を獲得したということである。

ラアム党のマンソール・アッバス氏は、先週、演説を行い、ユダヤ人とアラブ人が共存する政府の実現を訴えた。しかし、ラアム党がムスリム同胞団の流れであることや、最終的にはパレスチナ人の帰還権を認めるなどの党憲章から、やはり、この党を連立に迎えるとか、連立に入らなくても国会では常に政権の支持にまわってもらうなどの契約を結ぶことに、どのユダヤ人政党も一様に、抵抗を呈している。

リブリン大統領は、今日、各党との面談において、ラアム党とは最後に面談する予定である

石のひとりごと

もう2年も政府なし状態で、今回の総選挙でも反論なしの明確な政府ができるとは考えられない状況に陥っている。しかも、ユダヤ人政府が、アラブ政党の助けなしには成立しないなど、特に右派の政治家には、この上ないへりくだりの時であろう。この状態は、イスラエルにとって何を意味するのであろうか。

イスラエルは、紀元後70年(日本では弥生時代!)に国を失ったユダヤ人たちが、長年の流浪と迫害を通して、ユダヤ人のための国の必要性を悟り、壮絶な痛みと流血を通して1948年(昭和23年)に独立した、まさにユダヤ人の国として出発したのである。

特に、独立が、ホロコーストという絶滅の危機を通ったわずか3年後のことであったので、国の存続は、まさに生存のための条件であるというのが、国民の認識になっている。左派もいるが、近年では、右派の方が優勢になる傾向にある。

今、イスラエルは、民主国家ではあるが、ユダヤ人の国であるという定義を内外にどう発信していくのかを改めて、考える時がきているのかもしれない。

しかし、イスラエルの場合、いかに世界から非難されても、いわゆるポリコレ(政治的な公正、中立、正義主義など)に道を譲るというような余裕はない。今後、アラブ系市民に好ましくない状況であったり、世界にさらにイスラエルが嫌われるような道筋になっていくかもしれない。今後の流れが注目されるところである。

 

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。