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スーダンとイスラエルの国交正常化合意を発表するトランプ大統領
23日、アメリカのトランプ大統領は、ホワイトハウスから、イスラエルと、エジプト南部に隣接するアフリカの国、スーダンが、国交を正常化することで合意したと発表した。イスラエルとアラブの国が和平を結ぶという、アブラハム合意3国目にあたる。
先のUAEとバーレンは、どちらもイスラエルを攻撃したことがない国である。しかし、スーダンは、長らく、イスラエルを憎み、ハマスに武器を届けるなどの敵対行為を続けてきたことから、アメリカからはテロ国家に指定されていた国である。
それが、イスラエルとの国交正常化と方向転換したということは、非常に特記すべきことといえる。大統領選挙を目前に控えたトランプ大統領は、ドヤ顔ということである。
報道によると、24日、アメリカのトランプ大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、スーダンのアブデル・ファタハ・アル・ブルハン暫定軍事評議会議長、同じくスーダンのアブダラ・ハムドク首相は、電話会談を行い、スーダンの民主化について話しあった。
結果、スーダンとイスラエルが和平を結ぶことで合意したと、トランプ大統領は報告している。しかし、トランプ大統領は、このために、スーダンのテロ国家指定を解除すると発表した。
イスラエルとスーダンの共同声明によると、両国は、まず農業にフォーカスを当てながら、交易関係をすすめていくとのこと。
www.ynetnews.com/article/rkwxbtguD
まだ内戦から湯気があがっているスーダン
スーダンは、1956年にイギリスとエジプトの支配から独立するが、それ以降、イスラム政権が支配するスーダンと、非イスラム系住民が多い南スーダンの間で、紛争が続く。
1983年、オマル・アル・バシール政権(イスラム政権)が実権を握って、非イスラム住民が多い南部の反政府勢力への圧力を強化。250万人もの住民が殺され、数百万人が難民となった。
2003年からは悪名高いダルフールのジェノサイドが勃発。ここでもイスラム系、非イスラム系が内乱を起こして、35−50万人が死亡した。
これを受けて、2008年、ウガンダとコンゴ民主共和国が、スーダンを攻撃。南スーダンはこれに援軍を送って、協力した。これにより、バシール大統領は、大量虐殺の罪で、国際刑事裁判所から、逮捕状が出されることとなった。
その後も紛争は続いていたが、2011年、南部自治政府で住民投票が行われて、独立を希望する住民が多かったことから、国連の介入で、南スーダンが独立することとなった。しかし、その後も紛争は続くことになる。
2018年、再びスーダン全土で反政府運動が勃発。2019年4月に独裁バシール政権は終焉となった。
その後、軍による暫定政権が国を治める中、民主化勢力が、政権樹立を目指すこととなった。その方法として、2019年8月から3年3ヶ月を暫定政権とし、前半を軍がトップを務め、後半を文民が政権を治めながら、2022年に総選挙をすることになったのであった。
このため、今回のイスラエルとの国交正常化合意についても、ブルハン暫定評議会議長と、ハムドク首相の2者が登場しているということである。
スーダンのイスラエルとの敵対・テロ支援の歴史
1)1960−70年代:イスラエルへの3つのNOを象徴するスーダン
1967年の六日戦争の後、アラブ同盟は、スーダンの首都ハルツームで、国際会議のホスト国となった国である。この会議において、アラブ同盟は、3つのノー、”イスラエルとの和平にノー。イスラエルの存在を認めることにノー。イスラエルとの交渉にノー。”を採択したのであった。スーダンはいわばこの3ノーを象徴するような国であった。
このため、1970年代、イスラエル軍は、南スーダンの反政府・独立闘争を支援する。これにより、スーダンは、1973年のヨム・キプール戦争のときに、他のアラブ諸国に混じって参戦することができなかった。
2)1980年代:エチオピア系ユダヤ人の帰還出発地点であったスーダン
1982年、シャロン故首相は、スーダンと交渉し、この年、エチオピア系ユダヤ人のイスラエルへの帰還を勝ち取った。このため、エチオピア系ユダヤ人は、急ぎ歩いてスーダンまで行って、そこからイスラエルへと旅立ったのであった。
3)1990年代:オサマ・ビン・ラディンの拠点であったスーダン
スーダンは、アルカイダ指導者オサマ・ビン・ラディンを擁護し、1998年、アルカイダによるケニアとタンザニアの米大使館の攻撃に協力した。
4)2000年代:ダルフールのジェノサイド(大量虐殺)でイスラエルにスーダン難民流入
スーダンでは、2003年からのダルフールのジェノサイドが始まり、最終的に、35万から50万人が死亡する。この時、陸路エジプトを経由して、スーダン難民がイスラエルにも流れ着いたのであった。この難民が、テルアビブにまで流れ着いて、のちに様々な問題になっていった。
2009年には、スーダンからエジプトを経由して、ガザのハマスへ大量の武器が搬入されようとしていたのを、イスラエルのドローンが破壊。これと同様に、2012年には、ハマスに流れるとみられた武器があるヤルムクの倉庫をイスラエルが破壊するという事件もあった。
しかし、その後、厳しい経済危機の中で、アメリカのなんらかのテコいれがあったのか、スーダンの態度が変わってきたとみられる。今年2月には、ネタニヤフ首相が、ウガンダを訪問した際に、スーダンのブルハン暫定評議会議長にも面会。国交正常化に向かうのではとのニュースも流れ始めていたのであった。
mtolive.net/ネタニヤフ首相:ウガンダ訪問で敵対国スーダン/
危うい現状とイスラエルの関係
上記のように、スーダンの様子はまだまだ不安定きわまりない中での、今回のイスラエルとの国交開始への動きということである。専門家によると、現在、政権を担っている軍による政権は、イスラエルとの関係を歓迎する動きにある。
しかし、文民の方は、パレスチナ人の権利を重視すべきとの考えを持っているという。実際に、両国が国交を結ぶかどうかはまだ不透明な部分も残されているといえる。
しかし、イスラエルにとっては、スーダンとの和平は非常にありがたいことである。紅海にめっ面していることや、スーダン上空を民間機が飛べるようになると、ラテンアメリカへ行きやすくなり、さらなる経済の発展も期待できるという。
しかし、スーダンは、聖書の預言によると、エチオピアとともにクシュとよばれる地域に入るとみられる。クシュは、イザヤ書18章、エゼキエル29,30章など多数登場して、裁きを受けると書かれている他、将来、ロシアやイランとともに、イスラエルに攻め入る国の一つ(エゼキエル38章)と考えられている。
この合意にあたり、アメリカが、テロ支援国家のレッテルを外す約束をしているのだが、これがどう出てくるのか、若干の懸念を覚えるところである。
確かにアブラハム合意は、喜ばしいことではあるが、落とし穴もある。ガンツ防衛相は、まずはUAEとの合意に際し、ネタニヤフ首相が、アメリカがUAEに、F35ステルス戦闘機を販売することを黙認していたこと、またそれを当初、隠していたことについて、将来のイスラエルの治安を危うくする可能性があると非難している。今回のスーダンも、まだ国が安定しない中での合意なので、大丈夫なのか・・との懸念も感じられるところである。
アブラハム合意が、今後多くの国に広がっていくとトランプ大統領は豪語しているが、それが、イスラエルにとって大きな落とし穴にならないようにと注意しながら、とりなしもまた必要であろう。