新型コロナ爆発感染下:ニューヨークの教会は今 2020.3.28

出展:Victor J. Blue for The New York Times

わずか2週間でオーバーシュートに陥ったニューヨーク市

アメリカでは、27日、新型コロナの感染者が、10万973人、死者1572人と、中国を抜いて世界最大の感染を記録した。アメリカでの感染はカリフォルニアではじまり、今や全50州で感染が確認されている。25の州などで緊急事態宣言が出され、全国で少なくとも2億2800万人(アメリカ人口の3分の1)が、自宅待機となっている。

トランプ大統領は、2兆2000億ドルというアメリカ史上最大の支援策に署名した。

そのアメリカで最も深刻な状態になっているのがニューヨーク州である。全米感染者の約半数にあたる4万4635人、死者の3分の1にあたる510人がニューヨーク州となっている。

そのニューヨーク州だが、3月13日の時点での感染者は、421人、死者は0であった。それからわずか2週間後に、今の状況になったのである。まさにオーバーシュート(爆発的感染)である。

www.nytimes.com/interactive/2020/us/coronavirus-us-cases.html

ニューヨーク州の中でも特に危機的な様相を見せているのは、マンハッタンを含むニューヨーク市で、感染者は2万6000人、死者は450人を超えた。ニューヨーク市では、集団感染を予防するため、リッカー島の刑務所にいる400人を釈放することを検討している。

医療崩壊寸前:人工呼吸器のシェア(ありえない処置)

これだけの感染者が急増したことで、病院には数百人の列ができた。ニューヨーク州では、オーバーシュートに伴い、病院では医療崩壊になりかかっている。アメリカは医療最先端の国である。それでもこれだけの患者が押しかけたことで、医療従事者のための防護服やマスク、手袋が一気に不足した。

ニューヨーク市エルモースト病院・コリーン・スミス医師が報告した病院内の様子(3月24日)

特に深刻なのが、重症者が必要とする人工呼吸機の不足である。たとえば、患者が4人いるとして、呼吸器が1台しかなかった場合、医師は、どの患者に呼吸器を使うかを決めなければならない。それは、残り3人の死を意味する。

このため、ニューヨークの病院では、1台の呼吸器を2人の患者でシェアするというアクロバット技を始めた。

www.nytimes.com/2020/03/26/health/coronavirus-ventilator-sharing.html

現在、ニューヨーク市の病院にある人工呼吸器は1万台。市は国に2万台の支援を要請しているとのこおと。

また医療従事者の不足も深刻である。ニューヨークのビル・デブラシオ市長は、全国に、早急に医療従事者を派遣してほしいと懇願している。しかし、さすがアメリカである。すでに、定年退職者を含む医療従事者6万2000人がボランティアとして手を挙げたとのこと。

学校は引き続き4月15日まで休校となる。

ニューヨーク州でのオーバーシュートのはじまり

ニューヨーク州のオーバーシュートは、3月中旬、マンハッタンの北部ニューロシェルで始まった。この時のアメリカの感染者は1000人。そのうち170人がニューヨーク州だった。その中心にあったのが、ニューロシェルの、ユダヤ教シナゴーグである。

www.nytimes.com/2020/03/10/nyregion/coronavirus-new-rochelle-containment-area.html

クオモ知事は、このシナゴーグを中心に、ニューロシェルを封鎖。人々に外出禁止を命じ、国防軍兵士の監視させた。そのかいあってか、ニューロシェルの感染者は、今週、38人にとどまっている。

ただ、郊外の閑静な町と、マンハッタンでは、条件が違いすぎるかもしれない。。。

歴史に残る怪物との戦い:クオモ・ニューヨーク州知事

危機的な状況から、ニューヨーク州のクオモ知事は、以下のような緊迫したメッセージを語った。(治安部隊に向けたメッセージ)

”これはいままでになかったような怪物だ。目にはみえない、狡猾な怪物だ。この戦いが短期で終わると思ってはならない。このできごとは歴史に残り、世代を超えて語り次がれていくことになる。

今は、国が大きく変わろうとする瞬間だ。人々も、強くなるか、弱くなるか、変わっていくだろう。10年後、皆さんはこの時のことを子や孫に語り継ぐことになるが、その時には、悲しみの涙が伴っているだろう。

亡くなった愛する人々を思い、我々がどれだけ必死で働いたかを思うことになるだろう。とても悲しいことだが、同時に、(そこから立ち上がったことを)誇りに思うことになる。

(クオモ知事のメッセージ:New York Times)
www.nytimes.com/video/us/politics/100000007057992/cuomo-coronavirus-update.html

マンハッタンのタイムズ・スクエア・チャーチ

ニューヨーク州マンハッタンの代表的な福音派キリスト教会のタイムズ・スクエアチャーチは、1987年、故デービッド・ウイルカーソン牧師が、薬物中毒の人々を大勢救いに導いたことから始まった。マンハッタン237西第51ストリート、ブルードウェイの真ん中に位置している。

現在はカーター・コンロン牧師がみちびく。教会はブルードウェイシアター(1500席)で、人種るつぼのアメリカらしく、世界100カ国を超えるあらゆる人種が毎週、満員状態で、しかも3回に分けて礼拝している。

筆者はこの教会で3年近くすごし、多くを学んだ。聖書に忠実でありながらも現実を見据え、祝福強調でもなく、悔い改め強調でもなく、非常にバランスのとれた教会である。

ニューヨーク市からの指令で、この教会でも、集まることが不可能とされた。以前からオンラインでメッセージは聞けたが、2週間前から、日曜礼拝は、教会に賛美チームとスタッフだけが集まって行われ、中継されている。メンバーはそれを家で見ながら共に礼拝する。

日曜礼拝だけでなく、祈り会などもすべてオンラインで参加できる。献金も、オンラインでできる。共に集まる以上のことはないが、この状況下でも、霊的にはほぼ不自由はない感じである。

コロナ危機が始まってからは、あらたなシステムとして、登録すれば、毎週、教会で何が起こっているかとともに、コンロン牧師が自宅のキッチンから発している3分ほどの「キッチンからのメッセージ」が配信されてくる。ファミリー感が高まり、以前より教会が近くなったように思う人も多いのではないだろうか。

22日の礼拝では、ティム・ディレナ牧師は、次のように祈り、恐れに取り巻かれる中での礼拝について、3つのポイントを挙げて語った。

”主よ。私たちは今、今までに見たことのない試練にあっています。しかし、あなたに予想外はいっさいないというこを感謝します。あなたにとって、憐れみ、親切、そして救いを与える腕が短すぎるということはありません。アメイジング・グレイス(驚くばかりのめぐみ)が、私たちの国に、そして世界に与えられることでしょう。

どうか、私たちを導いてください。感染した人や、恐れに囲まれている人を覚えてください。何よりも、彼らの目をイエスに向けさせてください。主こそ、癒しぬしであり、支えであり、私たちの希望です。

*恐れの中での礼拝/ティム・ディレナ牧師メッセージ(3月15日(日))要約

①恐れはうちにあるものを表す。

マタイ8章には、イエスと弟子たちが船に乗っていて大嵐に遭遇しているが、この時明らかになったこがある。問題は、大嵐の風や大波ではなく、弟子たちの小さい信仰であったということ。大嵐でそれが明らかになった。問題はコロナではなく、私たちの内にある信仰の小ささである。

②主は恐れという言語を使わない。

時に恐れが来て、避けたために大惨事を逃れたというようなことがあるが、恐れは主からくるものではない。恐れは神からのものではないと認識すること。

「恐れてはならない。」と聖書の神はなんども語っている。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(第二テモテ1:7)
力を失えば弱くなるし、愛が弱くなれば自分勝手になる、慎みがなくなって、買い出しに走ったりと謝った考えに支配されてしまう。

③最終的には、主は、コロナやどんな状況よりもはるかに大きい。

恐れがあるということは信仰の問題であり、信仰が小さいということは、主がどんなお方かの認識が間違っているということ。イザヤ書40章は、イスラエルがアッシリアの恐怖の中にいる時に語られた預言。恐怖の真中で、神がいったいどんなに大きいかをしめしたものである。

たとえば、この神は、人間には測定不能とも言われる地球上の水を手のひらではかり、人間には想像すらできない宇宙を手の幅で計ると書かれている。(イザヤ書40:12)

私たちが直面するコロナ危機は、リアルである。子供達は学校へ行けず、倒産する会社もある。明日何が起こるか、だれにもわからない。そんな中での希望は、この神は、コロナよりも、私たちのどの問題よりも大きいということ。そして、良い方であり、「恐れるな」と言っておられるということ。

私たちは必ず、勝利を得ることになる。

石のひとりごと

ニューヨークの様子を聞くと心がふさがれる思いがする。確かに今、クリスチャンたちは、大きな訓練の中にいる。確かに、恐れは神からのものではないのだが、信仰があるといって、何もしないで楽観するのもどうかと思う。要は、正しく恐れるべきところは賢く恐れ、かつ恐れに支配されないということであろう。

別のメッセージで、ディレムナ牧師は、危機がクリエイティビティをもたらすと言っていた。確かに、日本でも客が来なくなったレストランのシェフが、出張シェフを始めたなどのニュースがある。

教会も新しくオンラインの形も工夫され、今までアクセスのなかったひとへのアプローチもできるようになっている。近所の人々を気遣い、声もかけやすくなった。

今、これまでに経験したことのないような試練を経験しているということは、今までに経験したことのない祝福も来るということである。神は悪くて信用できないお方ではなく、良いお方だからである。必ず何か良いことも用意されているはずだ。

ニューヨークのオーバーシュートはわずか2週間で広がった。今、東京がニューヨークの後につづくのではいかとの懸念も出ている。想像を超える大きな天地創造の神を覚え、今、東京に立てられている教会が支えられ、この危機をもまた祝福に変えてしまうようなクリエイティビティで、周囲の祝福となっていくように、新たに救われる魂が起こるよう、期待しつつ祈る。

最後になるが、ディレムナ牧師の入り口の話が、心に残ったので紹介する。

ある時、ボストンへ向かう飛行機が、かなりの悪天候にまきこまれ、墜落するかと思われるほどに何度も大きく揺れた。乗客は皆、パニックになったが、一人だけ、あわてず編み物をしている女性がいた。どんなに飛行機が揺れても、落ち着いて編み物をやめなかった。

「あなたは怖くないんですか!」と聞くと、「私は今から、ボストンにいる息子に会いに行くところです。でも、私にはもう一人息子はありまして、ひと月前に死にました。いずれにしても、息子に会いに行くことになるので、あわててないのです。」 これが最終的なクリスチャンの希望である。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。