解放後70年:ホロコースト記念日 2015.4.17

連合軍がナチスドイツを撃退し、強制収容所の囚人たちが解放されてから70年となった。

15日夜から16日にかけて、エルサレムのヤド・バシェム(ホロコースト記念館)をはじめ、イスラエル各地で記念式典や行事が行われた。今年は、例年になく、雨が多く寒い春になっているが、この日も霧のような雨が時々降って来るような湿った夜だった。

15日の式典では、例年の通り、リブリン大統領、ネタニヤフ首相に続いて6人の生存者が記念の灯火を行い、チーフラビらの祈り、イスラエル軍カンターのしらべにのせた祈りが行われた。天候もあるが、高齢の生存者たちは、探してもみあたらないぐらいで、だいたいが生存者2代目から3代目の若い人たちが参加していた。

今年は、アメリカから1年の学びで来ている若いユダヤ人のティーンエイジャーたちが群れをなして来ていて、きゃぴきゃぴやっており、時代の流れを感じさせられた。それでも話を聞くと、祖母や祖父などがホロコースト経験者なので、感無量だったと言っていた。

雨は式典が、終わって、皆が帰りついたころから本格的に降り始めた。深夜すぎから、激しい雷がなりはじめ雨と、夜中3時ぐらいからは、白くつもるほどの雹が降った。朝まで、がらがら、ピカー、どかーん、ぱらぱら、ばらばらーと大暴れだった。どかーんと雷が落ちるときには家がゆれたような気がした。

いうまでもなく、異常気象だが、これが夜中であったことは主のあわれみだと実感した。翌朝からは雨は小降りになり、午前10時のサイレン(いったん手をとめて黙祷する)の時にはやんでいた。献花式などは、屋内で行われた。

www.bbc.com/news/world-middle-east-32330381(サイレンで立ち止まるエルサレム市内の様子)

<ホロコースト生存者の今> http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4646867,00.html

統計によると、現在イスラエルに生存しているホロコースト生存者は18万9000人。80才後半から90才以上と高齢(平均年齢83.3才)なので、年間平均14200人(月平均490人/ 2014)が死亡している。

FBHV(Foundation for the Benefit of Holocaust Victims)によると、生存者の30%にあたる4万5000人が貧困線以下の生活レベルである。

昨年のデータになるが、生存者の収入は、66%が3000シェケル(9万円)以下となっている。日本の国民年金より多いが、イスラエルでは、家賃も生活費も日本より高い上、介護にかかる料金も払うとなると、生活ができる額ではない。

その状況で、生存者の30%が、支援する家族もおらず、天涯孤独だという。

ユダヤ機関(つまり国ではなく、海外からの献金によるということ)による支援団体「Amigor」は、そうした天涯孤独の生存者たちのホームを全国で57カ所運営している。入居者は6000人。

このホームでは、生活費の80%が、団体によってカバーされる。昨年、施設を2軒増やしたが、ニーズにはまだまだ届いていない。関係者は、「これから5年間が彼らを支援するピークであり、最後のチャンス。」と語っている。5年をすぎると、多くの生存者がもはやこの世にいなくなるということである。

<次世代に伝える>

今年は、ヤド・バシェムが進めている教育活動に焦点をあてて取材してみた。ヤド・バシェムでは、子供たちにホロコーストをどう伝えるかという研究や、教材作り、教師たちの指導を行っている。

イスラエルでは、ホロコーストの学びは高校生で義務づけられている。しかし、記念日にはサイレンがなるなど国全体が動くため、小さな子供たちにもそれが何か教えなければならない。早くは6才からの指導ツールがあるという。

ディレクターのアブネル・シャレブ氏は、「ここでの教育のゴールは、知識だけではない。ホロコーストを学び、そこからもっと寛容な人間になる、民主主義の神髄を身につけるなど人間形成を目標にしている。」と語る。

イスラエル人の子供たちは、自己表現力が豊かなので、教室で学んだり、生存者の話を聞いた後は、自分の中にあるものを音楽やアートで表現させ、知識だけで終わらないようにしているという。

この学びを通して、誰が悪いのかといったうらみを次世代に引き次ぐ様子はかけらもない。そこがパレスチナ社会と大きく違うところである。

<現代っ子とホロコースト>

イスラエルには様々なユース・グループがある。シオニズム運動の流れで、国を建て上げる次世代を育てることを目的としてユダヤ機関が運営している。一見、ボーイスカウトの感じだと思ってもらえば良い(ボーイ/ガールスカウトが今も日本にあるのかどうかは不明だが)。

イスラエルには、こうしたユース・グループは、一つではなく、いろいろ多数ある。その流れの中で、メシアニック・ジューの集まりでも独自のユースグループ活動をかなり頻繁に行っている。注)こちらは当然、ユダヤ機関主催ではない。

16日には、ユースムーブメントのティーンエイジャーたちが、ホロコーストを学んで来たしあげとしての式典が行われていた。参加していたのは、14才ぐらいから18才くらいの子供たち。イスラエル生まれのイスラエル育ちでほとんどヘブル語しか知らない、100%イスラエルの現代っ子、スマホ世代たちだ。

こちらもかなりきゃぴきゃぴやっていて、そうとうやかましかった。話を聞くと、「式典に出られて光栄です。」ときちんと答えられたのは1人だけ。質問の仕方の悪さは棚に上げるとして、返答は、「どうかな」とか、ちゃんと答えられない子がほとんどだった。

ヤド・バシェムから出るバスにのると、男の子たち2人がばりばり文句いいながら乗り込んで来た。「あの教育相。腹立つ~ここでいうことか~」とか言っている。まだまだ線が細い感じの14才と17才。2人ともエルサレム郊外に住んでいて、年齢は違うが親友だという。

ホロコーストについてどう思うかと聞くと、悲壮な顔つきで「必ずまた来る。いや、もう始まってる。ダルフール、シリア・・・ダアッシュ(ISIS)もひどいだろ。」と随分悲観的なコメントをする。ホロコーストの写真や映像を見て、ISISの残虐性を思い浮かべるというのはまさに現代っ子ならではだろう。

前夜の記念式典で会ったアメリカから来たユダヤ人のティーンエイジャーたちとは反応がかなり違う。アメリカはクリスチャンの国なのでユダヤ人であるということを意識せざるをえないが、イスラエルの子供たちには、国があって、ユダヤ人であるということが、空気のように当たり前になっているのである。

しかし、こうした子供たちが、すっかり変わって大人になるのが軍隊という場である。軍隊に入って、国からユニフォームをもらい、大きな責任を伴う銃をまかされたとたん、イスラエル人としての国への思いが育まれる。

こうした流れは、日本では、右翼だと言われるのであろうが、イスラエルでは健全きわまりない教育だ。

13日、ホロコーストで家族親族を一掃され、子供を埋めない体になったハヤ・ガートマンさん(92)が亡くなった。ユダヤ教では、葬儀で特別な祈りをささげるには13才以上の男性が10人以上がそろっていることが条件になる。

男性の数が足りないと心配した知人がソーシャルメディアへ呼びかけたところ、ハヤさんを知らないのに数百人が集まった。ユダヤ人の同胞意識は、健在だ。http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4646761,00.html

日本でこういうことがおこりうるだろうか。日本はどこかで、国防ということの意味を間違えたのではないか、国を愛する若者がなかなか出て来ないのはそこに課題があるのではないかと、考えさせられた。

<石のひとりごと>

今年、ホロコースト関連を取材して特に感じたことは、時間が経つとともに、ユダヤ人のホロコーストへの思いも前進しつつあるということだった。今年のテーマは、ホロコーストそのものだけでなく、戦後の歩みへと焦点が移っていた。

今年のホロコースト記念日のテーマに使われた写真は、列車で移送中に終戦となり解放された女性たちの写真だった。

また、友人が紹介していたのだが、ユダヤ人サイトでは、「ホロコーストを別の目でみよう」とするものがあり、ホロコーストの灰の中から立ち上がって来たたくましいユダヤ人たちの笑顔が紹介されていた。

アメリカのユダヤ人が、1937年に、反ナチの大集会を行っていたこと、1943年、隠れて過ぎ越しのマッツァを作っている様子、解放後の笑顔、ネオナチに襲いかかる生存者など、ホロコーストの下にある弱々しいユダヤ人とは違うイメージである。

popchassid.com/photos-holocaust-narrative/ (上記の今年のヤドバシェムでの記念式典テーマ写真も含む)

これで、ホロコーストの惨状がうすまることがあってはならないが、「ユダヤ人の底力」とその背後で彼らの努力を助けた主がおられたことには感動する。今、イスラエル建国の歴史を学んでいるが、ユダヤ人はただ奇跡を待っていたのではなかった。時が来て、ユダヤ人が立ち上がろうとするのを受けて、主が働かれたのである。

一方的に主がすべてをなされたわけれはなかった。私たちもただ待っているのではなく、まず立ち上がってみる。その姿を主が後押ししてくださるのである。

*来週22日は、戦没者記念日、23日は独立記念日

イスラエル人たちがあちこちで集まって集会を開く。数日前、エルサレムでバス停に車が突っ込む事故が発生し、ユダヤ人男性が1人死亡した。これは一連のパレスチナ人による車両で人ごみにつっこむというテロだったという可能性が高まったいる。

ハマスが「イスラエル人を誘拐せよ。」との指令を出したという情報もある。続けてテロが発生しないように要とりなし。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

コメントを残す

*