イスラエルとイスラム聖戦が停戦になってからまもなくの9日朝、西岸地区ナブルスの旧市街で、テロリストの摘発に入ったイスラエル軍と、パレスチナ組織ファタハのアルアクサ殉教団が衝突。パレスチナ武装勢力3人が死亡。40人が負傷した。
死亡した3人のうちの1人、イブラヒム・ナブルシは、アルアクサ殉教団の司令官で、イスラエル人やイスラエル軍兵士に対する多数のテロに関わっていた人物である。
イスラエルはこの2月にもナブルスで、アルアクサ殉教団メンバー3人を殺害していたが、ナブルシは、この時に死亡したと思われたところ、無事であることがわかり、その後指名手配になっていた。
ナブルシは、イスラム聖戦にも関係していたとみられているが、イスラム聖戦は、ナブルシらを組織のメンバーとは言っていない。
www.timesofisrael.com/wanted-terror-operative-among-3-said-killed-in-idf-raid-in-nablus-30-injured/
この戦闘で、イスラエル側に負傷者は出なかったが、ベテラン国境警備隊警察犬(9歳)のジリが死亡。ジリの働きで治安部隊が無事で済んだ可能性があるとのこと。ラピード首相は、ジリの所属部隊司令官に対し、ジリへの敬意を語っている。
停戦になってもまったく手を抜かないイスラエル。その諜報活動もそうとうなもので、だれがどこに、どの時間にいるのかを正確に把握している。
ガンツ防衛相は、「我々を脅すものは、生きられない」と、イスラエルの防衛感覚の徹底さを表明している。西岸地区では、この後も、テロリストの逮捕が続いている。
<石のひとりごと>
要するに、イスラエルと手を結ぶなら、技術・経済的にも共に繁栄していく用意はあるが、その逆にイスラエルを抹殺しようとするなら、その正反対の死がまっていると言っているわけである。
世界はこれをどう受け取るだろうか。なんであれ、イスラエルによって、人の命が失われているので、なんとも複雑な思いだ。
しかしながら、ここに、ホロコーストを生き延びて、国をようやく手にしたユダヤ人たちのジレンマもみてほしいと思う。パレスチナ人を攻撃して喜んでいるのではないということである。
ユダヤ教は天地とすべての命の想像したを神、主を信仰している。どんな命をも殺したくはない。しかし、その場合は、逆に自分の命が失われてしまう。だから最強の軍備を持ち、それに備えている。攻撃されたらそれを使うことになり、強いだけに相手に死者が出てしまう。
「世界を祝福するものになりたい。しかし、黙って殺されることを受け入れるわけにはいかない。わかってほしい。だからどうか、こちらから攻撃しないですむよう、我々への攻撃をやめてほしい。その計画からしてやめてほしい。憎むのをやめるなら、共に繁栄していけるように協力していきたい。」これが、イスラエルのジレンマではないかと思う。(イスラエルにもいる極右は別として。。)