イスラエル政府は、西岸地区入植地の合法化法案(Regulation Bill)を国会審議にかける条件として、切り捨てられることになった前哨地(Out post)アモナ*の強制撤去が1日、行われた。
*アモナとは?
アモナは、入植地ならぬ”前哨地”とよばれる西岸地区のユダヤ人居住区である。土地は書類上、パレスチナ個人の所有となっているため、イスラエルの法律によっても違法とみなされている。そのために入植地として認可されていない。
西岸地区にはこのような前哨地が60以上あるのだが、アモナは開拓されてから20年になり、大きさも最大で、政府の撤去命令にも従わず、長年、問題になってきたところである。それが今回、ついに撤去されたということである。
<延期されていた撤去期限>
最高裁が命じた撤去期限は、本来昨年12月25日だったが、期限を前にアモナ住民と政府間の交渉行われ、アモナ住民が撤去に応じたため、撤去期限が、この2月8日に延期されていたものである。
その条件とは、①アモナ住民(42家族)が撤退することで、他の同様の地域が合法化すること。②アモナの42家族のうち、24家族は今のアモナのすぐ近くの丘に、18家族は、シロにそれぞれ新しい住居を用意する。③政府は補償金を支払う、であった。
これを条件にアモナ住民は静かに撤去すると約束していた。ところが、アモナ住民によると、政府は約束を守らず、新しい家屋はまだ準備できていないという。
そのため、1日を前に、アモナ住民は、強制撤去に抵抗する準備をはじめていた。さらにアモナに同調するユダヤ教右派で、過激で知られるヒルトップ・ユースを含むティーンエイジャーたちが次々にアモナに終結し、ものものしい雰囲気となった。
<住民VS警察3000人>
1日朝、数千人におよぶ警察官らが、特別なブルーのトレーナー姿でアモナ入りを開始した。若者たちはタイヤを燃やしたり、投石したりして暴力的な衝突となった。家やシナゴーグの中ではバリケードを築くなどして、立てこもった。
日中、警察が来るは、座り込んで泣くティーンエイジャーの少女たちや、入植者1人を警察官4人が抱えて家屋やシナゴーグから出てくる姿など、ユダヤ人同士のなんとも悲しい争いが続いた。
最終的に、40家族は日中に撤去させられ、若者たちとシナゴーグにこもっていた2家族も翌朝にはほぼ撤去を完了したと伝えられている。
警察の報道官によると、今回、アモナに立てこもった住民200人(応援にかけつけた者を含めると800人)を撤去させるのに要した警察官は3000人だったという。
この24時間で、警察官に暴力を振るうなどして13人が逮捕され、警察官24人を含む多数が負傷した。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/224284 (ビデオあり)
*入植者たちはなぜそこまでこだわるのか?
ヨルダン川西岸地区は、ユダの山脈があるところで、ユダヤ人によると、「ユダヤ・サマリヤ地区」「ベニヤミン地方」とよばれる地域である。
中でも特に、ジェニン(シェケム)、エルサレム、ヘブロンを直線につなぐ地域は、アブラハムも歩いた地であり、神がユダヤ人に与えた地であると信じられている。アモナもこのライン上にある。
右派宗教シオニストの正統派ユダヤ教徒たち(黒服の超正統派とは違うグループであることに注意)は、この地に住み、守ることは、神に従うことであり、イスラエル全体の祝福になると固く信じている。
今回も、たてこもった人々は、神への賛美を歌いながら警察に抵抗した。そうすることが神の意志であると信じているからである。
<西岸地区合法化への決意:ユダヤの家党ベネット党首>
合法化法案を国会審議に乗せるために、アモナをいわば”すて石”にしたベネット氏は、入植者たちから激しく非難された。
しかし、「この難から希望が生まれる。私たちはこの後、新しい入植地をつくる。ユダヤ・サマリヤに新しい法をもって、入植地すべてを合法化する。」と約束した。また、入植者たちに、立ち上がって開拓を続けるよう、呼びかけた。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4916203,00.html
*ベネット党首のビジョン
ベネット氏は、二国家二民族案は、非現実的だと考えている。
イスラエルがエルサレムを再分割してパレスチナと首都を分け合うことはないし、西岸地区がパレスチナになっても40万人を超える入植地のユダヤ人がパレスチナ国家の下へはいることはありえないからである。
ベネット氏は、最終的には、西岸地区の中で、入植地を中心とする地域で、イスラエルがすべてを管理しているC地区*のみを合併する案を主張する。その一歩が、C地区にイスラエルの法律を適応するという、「合法化法案」なのである。
その上で、A地区(パレスチナ自治区)とB地区(イスラエルとパレスチナ双方で管理)にパレスチナという”国”を作る。ただし、その際のパレスチナは、通常でいう完全な”国”ではないという。2つの条件がつくからである。
*C地区ーオスロ合意(1993)で定められた分類
イスラエル外務省地図
A地区(茶色): パレスチナ自治区
B地区(黄色):パレスチナ行政だがイスラエルが治安維持
C地区(白色):イスラエルの完全管理
その条件とは、①1948年以前からのパレスチナ難民とその家族がイスラエルに帰還する要求を放棄すること。また、②パレスチナは非武装ということである。それ以外の主権は有するので、”国”ではあるが、いわば”国マイナス”ということである。
これが成立すれば、イスラエルは西岸地区をさらに発展させ、パレスチナ人にもさらに労働許可を出して、双方、豊かに暮らせるようになるというのがベネット氏のビジョンである。
しかし、これに、パレスチナ側が応じるとは、どうにも考え難い。エルサレムをあきらめる上に、非武装になるという屈辱に応じるはずがないからである。
また地図をみれば明らかだが、A、B地区をとりかこむ道路がすべてC地区に分類されている。
もし、C地区が全部イスラエル領になるということは、結局のところ、AとBの出入りをイスラエルが支配することになる。つまりは、実質的には、イスラエルが、パレスチナの行政責任を首尾よく避けた形で、西岸地区全体を合併している形になるのである。
ベネット氏は、今回、アモナを犠牲にしても、この道を突き進む考えだったのである。
今のネタニヤフ政権は、右派で固まる連立政権である。ネタニヤフ首相は、このベネット氏とうまく付き合いつつ、国際社会の機嫌もとらねばならない。。。という難しい舵取りをしいられている。