月曜夜、イスラエル政府とヨルダン政府が合意し、アンマンのイスラエル大使館でのテロでヨルダン人2人を殺害したイスラエル大使館警備員はイスラエルへ帰国。公式発表ではないが、その見返りとして、イスラエルは、神殿の丘に設置した金属探査ゲートの撤去をその夜のうちに完了した。
ところが、翌日、ヨルダンのワクフは、この合意には賛同できないと発表。パレスチナ自治政府のアッバス議長も、7月14日以前の状況に戻すまで、イスラエルとの治安協力を始めとするあらゆる協力体制の保留を継続すると発表した。
パレスチナ人たちは、まだ神殿の丘へ入らず、外で祈りを捧げている。夜の祈りでは、火曜の夜も再び暴動となり治安部隊と衝突。30人が負傷し、うち1人は重症となった。水曜もライオン門外で祈るパレスチナ人は増えているようである。
アッバス議長は水曜、パレスチナ人の様々な派閥を集めて会議を行い、今週金曜から、継続して大規模なデモを行う準備をするよう、指示した。金曜だけでなく、それ以後も衝突が続いていく可能性もあり、第3インティファーダ(自爆テロを含むパレスチナ人の武装闘争)の再来かとの懸念もされていた。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/233055
<明日金曜:2回目の”怒りの日”呼びかけ>
神殿の丘の現状維持については、イスラエルとヨルダン、それから現場の当事者のパレスチナ自治政府の3者が同意するということになっている。にもかかわらず、今回のイスラエルとヨルダンの合意において、パレスチナ人は完全に蚊帳の外であった。
このため、イスラエルとヨルダンは金属探査ゲート撤去で暴動は静まると考えたかもしれないが、パレスチナ自治政府としては、この合意に敬意を払って、暴動を鎮圧させる義務はない、というわけである。
ヨルダン王室は、パレスチナ人らに、落ち着くよう呼びかけているが、その声に聞き従う様子はない。前回お伝えしたように、ヨルダンは大多数がパレスチナ人であるため、国王も彼らにはあまり強くものを言うことができないのである。
実際、ヨルダンでは、正当防衛であったとはいえ、ヨルダン人2人を射殺したイスラエル大使館の警備員が、イスラエルで、ネタニヤフ首相らに暖かく迎えられたことに立腹。25日、殺害されたジャワウデ(17)の葬儀に数千人が参列し、「イスラエルに死を!」と叫んでいる様子が伝えられている。
ヨルダン政府も、イスラエルが、警備員をヒーローのように迎え入れたとして不快を表明し、捜査が明らかになるまでは、アンマンのイスラエル大使館は閉鎖したままになるみこみ。
イスラエルは、今後、この警備員の行為について、捜査を進めるるとともに、流れ弾に当たって死亡した、物件のオーナーの家族には、補償金を支払うことになっている。
<水曜朝のエルサレム旧市街>*アルアクサでの祈り再開決定の前日
水曜朝、ダマスカス門から、ライオン門に行ってみた。
ニュースによると、現在、イスラム教徒がアルアクサ(神殿の丘)への入るゲートで開いているのは、9つあるゲートのうちうち、ライオン門付近の”部族ゲート”と、イスラム地区に面する西側の2つのゲートの計3つだけである。
*ユダヤ人、異邦人が入るムグラビ・ゲートは、以前から金属探知ゲートを設置した状態であったため、ゲートは撤去されず、前と同じ状態で入場できる。
ダマスカス門から城壁内に入っていくと、イスラエルの旗印をつけた国境警備隊は、要所要所に5~6人づつ固まって立っていた。その前を、イスラムのおじさんたちのグループが過ぎ去り、また逆方向からは黒服の超正統派男性が歩いてくる。
ところどころに、緑のハーブを売るおばさんたちが座っていたが、いつもの元気はないし、数も少ない。買う人もいない。路上やごみ捨て場に散乱するごみを回収しているのは、エルサレム市の黄色いハッピを着たパレスチナ青年たちである。
国境警備員たちは、みな20歳前後の若い青年たちである。みな厳しい顔をしているが、こっちにむかって、「ニーハオ」とか声をかけてくる者もいる。そこで、「ボーケル・トーブ」とヘブル語で返すと、「わはは~」と一斉に笑ったりして、やはり普通の若者たちである。
しかし、ライオン門付近に来ると、さすがに、空気は緊張でパンパンだった。
部族ゲートの前は、確かに金属探査ゲートは撤去されていたが、順番待ち用の柵は、そのまま残されていた。そこを通らなければならないとなると、探知ゲートはなくても屈辱感は同じだろうと感じた。
国境警備員たちは、部族ゲート直近に7-8人。さらに、ライオン門から部族ゲートに向かう角にも6-7人立っていた。
ライオン門のすぐ外、毎夜暴動が起こる現場には、10人以上の警官が立っていた。国境警備隊といっても、皆ライフルを担ぎ、重装備の機動隊のような様相である。筆者が取材したのは朝の時間帯なので、問題の祈りの時間帯にはもっと警官の数は増やされるものと思われる。
ライオン門の道幅は3メートルほどだが、出る車と入る車がどちらも譲らず、頭を突き合わせたままになり、クラクションを鳴らす一方になっていた。どういうわけか、こんなところに1台だけ、ユダヤ人の車両も混じっていた。
その車の間を、いかにもアフガニスタンといったいでたちの、大柄で恰幅のよいイスラム男性が、城壁内にすり抜けて入っていくのが見えた。手には、配布用のペーパー伝道用コーランか、トラクトを持っている。
この男性は以前にも見たことがあるが、パレスチナの若者たちをつかまえては、何かを説いていた。神殿の丘では、旅行者に説教していたこともある。イスラムへの帰依を説いているようだった。
ライオン門から、神殿の丘に沿ってビアドロローサをハガイ通りまで戻って行くと、その道中にある2つのゲートは閉じられており、その数十メートル前にはやはり治安部隊が5-6人で立っていた。
ハガイ通りに面するゲートの一つは、コットンマーケット・ゲートと呼ばれる。市場の突き当たりにあるゲートなのだが、ゲートも店も全部閉鎖しているので、真っ暗である。その手前には警備隊が立っている。マーケットはこの2週間ほど、閉まったままである。
歩きながら、これでは、イスラム側は、まだ神殿の丘がイスラエルに支配されていると感じるのも無理はないだろうと感じたが、案の定、水曜午後、ワクフは、部族ゲート前の柵を全部撤去すること、監視カメラも新しく増やしたものは撤去し、警備員の数も減らせと要求を出してきた。
これを受けて、イスラエルは、水曜夜、部族ゲート前の柵を全部撤去した。ライオン門から柵が撤去されていく様子を、大群衆のパレスチナ人が見て歓喜の叫びをあげていた。さらにはキャンディーを配り回って”勝利”を祝ったと伝えられている。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4995043,00.html
<ハマス:軍事パレードでイスラエルとの闘争呼びかけ>
ハマスは、水曜、ガザ市内で、大きな黄金のドームの模型を筆頭に、大規模な軍事パレードを行った。パレードは、アルアクサにおける抵抗運動を支持することが目的であった。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4994757,00.html
ハマス指導者のイシュマエル・ハニエは、明日金曜には、イスラエルとの国境付近に行き、イスラエルとの闘争に備えるよう、指示していた。これを受けて、アッバス議長もまた西岸地区で、大規模なイスラエルとの闘争を呼びかけていた。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4994897,00.html
アル・アクサでの祈り再開に、ハマスは、イスラエル軍に対する大きな勝利だと言っている。
ヒズボラの、ナスララ党首もまた、イスラエルの大勝利だとコメントを出した。
<警察官2人殺害のテロリスト葬儀:1万人参列で反イスラエルスローガン>
神殿の丘問題のきっかけとなる事件は、イスラエル北部、ウム・エル・ファハン在住のアラブ人3人だった。3人の遺体は、イスラエルが保管していたが、水曜朝、家族に返還されたことを受けて、夕方には葬儀が行われた。
葬儀には1万人が参列し、「我々の血と魂でハラム・アッシャリフ(神殿の丘)を取り戻す」などと叫んでいた。
www.timesofisrael.com/thousands-attend-funerals-of-terrorists-who-killed-two-cops-at-temple-mount/
<トルコのエルドアン大統領がアラブ世界にアルアクサ防衛を呼びかけ>
火曜、トルコのエルドアン大統領は、「イスラエルは、(金属探知器設置)間違いを犯した。今、中東のイスラム教徒は、パレスチナのアルアクサを防御するため、エルサレムに向かえ。メディナやメッカを防衛するのと同様に、アルアクサを守るのだ。」と公に発言した。
この呼びかけに対し、イスラエル外務省は、「オスマントルコの時代はすでに終わっている。」とこれを一蹴するコメントを出していた。
神殿の丘(アルアクサ)問題が、一応ながら、早期にあっさりと一段落した今、エルドアン大統領のこの発言もこっけいなものに聞こえるほどである。
<イスラエル世論>
パレスチナ側、またアラブ世界も巻き込んで、暴力の気配がエスカレートする中、イスラエルでは、金属探知ゲートを撤去するとの発表が報じられると、警察官の妻たたちが、夫を神殿の丘での任務につかせないとの声をあげていた。
圧倒的な大群衆の非常なる憎しみの中に、警察官たちは、十分に保護する設備もない中、少人数で立たなけれなならないからである。神殿の丘での任務は、これまで以上に危険になったと思われた。
また、チャンネル2の調査によると、イスラエル市民の77%は、いったん設置した金属探知ゲートを撤去することは、イスラムに敗北することになると考え、撤去には反対するとの結果が出ていた。
同時に、だいたい最初に金属探知ゲートを設置したことが軽率で、思慮が不足だったとネタニヤフ首相と閣僚たち、警察への批判も出るようになっていた。
木曜朝に、イスラム教徒らがアルアクサへ戻ることになると発表されると、イスラエルでは、しばらく、この関係の記事が消えていた。夕方になるにつれ、徐々に背後関係の記事や、コメント、政府、警察への批判などが出てきているところである。
<石のひとりごと>
いやはや、この10日間、メディアは相当振り回された。海外から急遽イスラエル入りした記者たちも決して少なくない。実際、昨夜、いや今朝までは、明日金曜は、どうなることかと思わされるほど非常に危機的な状況にあった。
今回、イスラエルが、面目にこだわらず、また今後、警察官を危険な任務に就かせるのかという国民の不安にほだされることもなく、イスラム側に勝利宣言をさせてでも、金属探査ゲート、さらにまた付属設備もすべて撤去する道を選んだことは、特記すべきことと考える。
イスラエルでは、この「アルアクサを取り戻せ」に端を発する危機は何度も訪れている。昔から、暴力の正当化にはいつも使われてきたスローガンで、実際、これでユダヤ人たちは虐殺されてきた。今回の方策もよく考えられた末の方策であったことと思われる。
今回の一連のことを通して、イスラエル政府は、神殿の丘の取り扱いは、考える以上に、慎重でなければならないということを改めて学んだと言われている。
また、今回、イスラム教徒が入らず、空きになった神殿の丘へ上がって、祈りをささげたユダヤ教徒が少なからずいた。いつもは近づくことさえできない神殿の丘への入り口が閉鎖され、イスラム教徒が出入りしなくなったゲート前では、この時とばかりに、ユダヤ教徒が祈りを捧げたりしていた。
アルーツ7によると、神殿の丘への通路にイシバができて、そこで学びや祈りを始めたグループもいるとのこと。27日朝の段階ではまだ、宗教シオニスト系のユダヤ人たちが、神殿の丘へ行こうというポスターを作って、呼びかけを行っているとテレビのニュースが伝えていた。
まだ時ではなかったようだが、今回の出来事で、神殿の丘こそがユダヤ人の聖地であり、そこに第3神殿を再建したいと願うユダヤ教右派たちの願いと目標が、以前よりも明確になったと思われる。
とにもかくにも、明日金曜日、何事もなく過ぎて、この問題も本当に終了となれば幸いである。