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超危険な戦場でまた5人死亡:1人は福音派クリスチャンのボランティア兵士
ガザでの戦闘は、どこに罠や爆発物がしかけてあるか、どこにハマスが潜んでいるのか、自爆する目的で、急にハマスが目の前に現れるなど危険きわまりない戦闘になっている。
トンネルの中は特に危険であり、兵士をできるだけ中へ入れない方がよいとも言われている。
そうした中、日々戦死者が出ていて、ここではすべては報告できていない状態である。
今日時点でまた5人が戦死の報告があった。これまでのガザ地上戦開始後からの戦死者は126人となった。
今日発表された4人は以下の通り。ウリヤ軍曹以外は、昨日中の戦闘で死亡した。3人は、それぞれ部隊の部隊長とされている。
リアブ・アローシュ第一軍曹(21)、エイタン・ナエ軍曹(26)、タル・フィリバ軍曹(23・工兵部隊)、リドール・ヨセフ・カラヴァニー一等兵(23)
ウリヤ・バイヤー一等軍曹(20)
ウリヤ軍曹は、南部カンユニスの戦闘で、12月14日に頭を撃たれたが、即死にはならず、病院で人工呼吸器依存状態で、生きながらえていた。しかし、脳死となり、回復することはなかった。
ウリヤ軍曹は、イスラエル人ではなく、ドイツ人で、福音派クリスチャンのボランティア兵士だった。所属は、カルミエルの、ペニエル・コングリゲーションだった。
ダニエル・ヤハブ牧師は、両親と共に、ウリヤさんに最後の面会をすることができたという。意識はなかったが、平安な顔だったとのこと。即死でなかったのでまだ生きている状態で出会えて、幸いだったとヤハブ牧師は伝えている。深い悲しみの中にも、天での再会を書いている。
*ドイツ人としてユダヤ人に仕えたバイヤー一家
ツダカが最初に設立されたのは、1960年。ドイツ人としてホロコーストへの謝罪と、ドイツ人でも皆がナチスではない、といった歴史に違った足跡を残そうとする福音派クリスチャンたちの団体である。以下は、ツダカのホームページ
ツダカを創設したノサッカー夫妻は、最初は、ホロコースト生存者のためのゲストハウスを立ち上げたが、1969年には、ナハリアのシャベイ・チオンにホロコースト生存者のためのリハビリセンター・ベイト・エルを設立。
さらにマアロットに、高齢者施設ベイト・エリエゼルを立ち上げた。これらは、ドイツ人クリスチャンによる献金で成り立っている施設である。
しかし、ドイツ人による施設なので、最初はユダヤ人に激しく敬遠されたという。しかし、心のこもったすばらしいケアが認められ、今では、入るのが難しいぐらいだと聞いた。
戦死した、ウリヤ軍曹の祖父母は、1972年に、ツダカの代表として、イスラエルにやってきて、ユダヤ人でなかったが、イスラエルに移住し、生涯をこの働きに捧げた。
現在は、叔父のミシャ・バイヤーさんが、ベイト・エリエゼルの代表を勤めている。
ウリヤ軍曹は、この家族の使命を全うし、ユダヤ人とイスラエルのために戦死した形である。両親と姉妹2人が遺族となった。
www.ynetnews.com/article/bkdpc006lp
キリストを信じる若者たちも戦場にいるということ
ウリヤさんは、異邦人のクリスチャンだが、ユダヤ人でキリストを信じる、メシアニックジューの兵士で重傷を追って病院にいる人がもう一人いる。カルメル・アッセンブリーの賛美リーダーの一人の息子さんで、エリ・エシュさん。
数日前に、12人の兵士とともに、爆発に巻き込まれて、重傷となった。顔面に熱傷を負い、腰臀部が破壊されている。化学物質を吸い込んだか何かで、喉にも大きな傷があるという。
ICUで意識を抑えての人工呼吸状態だったと思われるが、最新情報では、意識が回復したとのこと。あまりにも爆発に近かったので、生きているのは奇跡だと語っているとのこと。
エリさんのお母さんのイラさんは、長年、BFP(Bridges for Peace)の現地で働いているスタッフとのことで、日本にも祈りの要請が来ている。
名前は全部不明だが、他にも多くのメシアニックの若者たちが最前線に出ている。覚えてとりなしを。