戦没者記念日(追悼23169人)2014.5.5

4日日没後、午後8時、1分間のサイレンと黙想とともに、イスラエルは戦没者記念日に入った。

エルサレム、またテルアビブでも、店もレストランも閉まり、道路を走る車も極端に少なくなっている。テレビでは、映画などの娯楽番組はなく、戦没者の名前が一人一人読み上げられている。いわば国をあげての追悼の日である。

4日午後8時、嘆きの壁では、ペレス大統領、ガンツ・イスラエル軍参謀総長などが参列しての追悼記念式典が行われた。聖書が朗読され、神への祈りが捧げられた。若いイスラエル軍兵士たちと、戦没者の家族や知人などが招かれていた。

ペレス大統領は、「イスラエルの建国の実現は、67年前に国連での分割案受け入れたときではない。息子たちの血と、開拓者の汗と、将来へのビジョンを見ていた人々の上にイスラエルはある。」と語った。

戦没者とは、1860年からこれまで戦争や紛争で戦死した兵士や警察官、テロの犠牲者で、昨年から57人*増えて23169人と発表されている。一番新しい名前は、先月の過ぎ越しの時にテロの犠牲となったバルフ・ミズラヒさん。現時点で、遺族と登録されているのは、17308人。

*高齢になったベテラン兵士で、この1年に死亡した人を入れると107人。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/180247#.U2dH8aW9BCs 

式典の後、記念の点火とそれを守っている護衛している兵士2人を、若い正統派ユダヤ教徒の若者たちが取り囲むように見ていたのが印象的だった。正統派は、表向きには兵役を拒否しているが、実際には静かに徴兵に応じる若者が増えてきているという。

この後、エルサレム市役所前広場の前を通りかかると、ヘブル語のフォークソングのコンサート(アコースティック・ギター)が開かれていた。若い人ばかり1000人以上はいたと推測するが、入り口には立ち見の人があふれている状態だった。

静かな曲がほとんどで、観衆も歌手と一緒に歌って、追悼を共有していた。イスラエルは総人口818万の小さな国だ。だれもが、家族、親族、友人の中に追悼する人を持っていると言われる。

5日は、11時に2分間のサイレンと黙祷。エルサレムのヘルツェルの丘をはじめ、全国各地52カ所の軍墓地で、戦没者、テロ被害者のための追悼式典が行われている。エルサレムポストによると、今日だけで150万人が、墓地を訪れる。

しかし、イスラエルは全国的に夏日続き。エルサレムは34度。ティベリアでは39度まで上がるみこみ。すべての墓地で救急車と救急隊が待機している。

<今夜からは独立記念日>

戦没者記念日にあたる今日5日の日没からは、独立記念日となる。悲しみから一転、花火が打ち上げられ、朝まで人であふれかえって大騒ぎのお祭り騒ぎになる。

なお、この両日のために、国境や検問所では厳しい警備体制がしかれている。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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