戦時下のハヌカ:イスラエル中部住民は毎夜シェルターへ走る日々 2024.12.27

Haim Zach (GPO)

イスラエルでは、まだ戦時中ながら、12月25日(水)日没から8日間続くハヌカの祭りに入った。今年はクリスマスとかぶっており、厳しい情勢の中、どちらも神の光、神にある希望を覚える時となった。

*ハヌカとは?マカビー一家のストーリー

(Image by Elizabeth Karpen)

紀元前2世紀、エルサレムは、大帝国シリアの王アンティオカス・エピファネスに支配され、ユダヤ人たちの神殿も異教の神の宮とされていた。

この不可能な状況の中で、ユダヤ人のマカビーとその5人の息子たちが、この少人数で、奇跡的に神殿を奪回し、異教の偶像礼拝からきよめることができた。

この時、マカビーたちが、神殿でろうそくを灯そうとしたところ、神殿用のきよい油が1日分しかなかったが、不思議にも8日間燃え続けた。この祭りは聖書に記されているわけではないが、このことから神を覚える時として、ユダヤ人の間で代々引き継がれている例祭である。

油がテーマでもあることから、中に甘いゼリーなどが入った揚げパン、スフガニヤが、鮮やかにデコレートされ、町に並べられている。非常に高カロリーであることから、最近では、油を使っていない、スフガニヤなど、ダイエット版が販売されたりしている。

ネタニヤフ首相はオフィスで:ヘルツォグ大統領はテルアビブでハヌカ1本目点灯:GPOより

Amos Ben-Gershom (GPO)

ネタニヤフ首相は、12月25日(水)、首相府オフィスで、スタッフとその家族と共に、また10月7日にハマスと戦って死亡したオメル・ニュートラ大尉の両親を伴って、ハヌカの1本目を点火した。

ネタニヤフ首相は、「今日、私たちは、昔のマカビーの勝利を覚えるが、同時に今のマカビーの勝利も覚えよう」と語った。

ヘルツォグ大統領は、テルアビブで負傷兵たちとともに、ハヌカ1本目を点火した。ヘルツォグ大統領は、人質を取り戻す交渉に全力を尽くすよう、指導者たちに要請すると語った。

エルサレムのハヌカ:嘆きの壁で人質家族がハヌキアに点灯

エルサレムでは、今のところ、ほとんどミサイルが来ることなく、サイレンが鳴ることもない。嘆きの壁で行われる、ハヌキアとよばれる8枝のろうそくへの点灯式も行われ、楽しむ人々の様子もみられる。

しかし、式典では、人質になっている人々の写真が掲げられ、人質家族が点灯している。また、多くの家族友人が、従軍して戦地にいることを思うハヌカであった。

以下は25日の嘆きの壁の様子:式典は24分ぐらいから

旧市街ユダヤ地区の様子

以下はエルサレム旧市街に通じるマミラ通りの様子。ハヌカに食べるスフガニヨットを配る女性たちがいる。

テルアビブ周辺ではサイレン続きのハヌカ:ベン・グリオン空港も30分閉鎖

しかし、エルサレムから車で1時間ほど西からテルアビブにかけての広範囲地域では、イエメンのフーシ派によるミサイルが発射され続けており、ほぼ迎撃して被害は出ていないものの、連日、夜中にシャルターに走るハヌカとなっている。

こうした中、イスラエルは、ハヌカ2日目の12月26日(木)に、イエメン本土への2回目攻撃を行った(次項詳細参考のこと)。

するとフーシ派はこりずに、また弾道ミサイルを発射し、27日(金)朝5時半すぎ、テルアビブを含む広範囲地域で、サイレンが鳴った。

この時、ベン・グリオン空港では、30分閉鎖を余儀なくされ、ヨーロッパから到着予定だったエルアルの4機が地中海上空で待機を余儀なくされた。30分後、空港は通常に戻ったとのこと。

石のひとりごと

奇しくもハヌカの時期に、現代もシリアの王、アサド大統領が打倒された形である。打倒したのは、ユダヤ人ではなく、シリア人だったが、ユダヤ人の中には、今年のハヌカをリアルに感じた人もいたようである。

今のシリア情勢には、まだほとんど先が見えないが、神に不可能はないということは確かなことである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。