息子は使命を立派に終えた:息子戦死の母親に見る全知全能の神を知る強さ 2024.8.15

アルーツ7の記事の中に、2か月前に息子のエリ・モシェさん(21)をこの6月に、ガザでの戦争で亡くした母親のサラ・ジンバリストさんのインタビュー記事が出ていた。

この6月、安息日の朝、ガザのラファで、戦車がハマスの砲撃を受け、8人の兵士が死亡したが、エリ・モシェさんは、そのうちの1人だった。エリ・モシェ(エリ・モ)さん一家は、エリ・モさんが2歳の時に、アメリカからイスラエルに移住した家族である。

イスラエルで育ったエリ・モさん自身も、イスラエルとトーラー(聖書)に土台を置いた人生を送っていたとのこと。

21歳という若さでこの世を去ったのだが、サラさんは、ここで19年間、エリモさんを育てることができて神に感謝していると語る。

「彼自身もこんなふうに人生を終わるとは思ってなかったと思うが、わたしたちにハシェム(聖書の神。主)の計画はわかるものではない。その主の計画のほんの小さな部分として、今、私たちはこの地(イスラエル)に生きているのです。だからすべてのことは、主の計画の一部なのです。」

「息子たちは、私たちが平和に暮らせるように、「アム・イスラエル・ハイ(イスラエル人は生きる)」のために、働き、その使命を果たしてくれた、祝福になってくれたのです。

急にいなくなったのですが、それは主が決めたことであり、彼のここでの時間が終わったということ。彼の使命は終わったということです。今、主が彼を戻すことを望まれたのだから、私たちもそれを受け入れるのです」

サラさんは、エリ・モさんが、子供でも高齢者でもだれとでもつながりをもつような人だったと語る。生きている時間、精一杯人々の祝福になれたということを誇りに思うと語っている。

www.israelnationalnews.com/en/news/394567

jewishlink.news/eli-moshe-zimbalist-hyd/

石のひとりごと

サラさんの場合もそうだが、ユダヤ教、つまりは聖書を土台においている人の場合、家族を殺されても、その殺した人物に憎しみをぶつける言葉はほとんど出てこない。サラさんの場合もそうである。憎しみや恨みを乗り越えている様相なのである。

苦難の歴史を通ったユダヤ人たちは、聖書が示すように、この天地はすべて主が創造されたのであり、主権は人間ではなく、完全に主にあるということを体感させられている。わからなくても、それが常に、最善であることを受け入れる訓練がなされているのかもしれない。

神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。ヘブル書11:6

筆者は、自分の力ではなく、イエスキリストの贖いを通して、それを信じ、受け入れることで、この聖書の神につながることができた。ユダヤ人のこの気持ちが少しはわかるような気がするのである。将来の苦難の時に、ユダヤ人のようになれるかもしれないと思うのである。

日本人であっても、主につながることができる道は提供されている。これから苦難の時代が予想される今、この真の主権者であり、良いお方である主につながっておくことを、心からすすめたいと思う。

注)これは、日本人がユダヤ人になるということではなく、またユダヤ人がイエスを信じないままで救われているということを言っているのでもありません。考え方の方向性という意味です。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。