市民生活に変わりなし:エルサレム 2014.6.20

西岸地区で大規模な作戦が行われているが、エルサレムの市民生活には、まったく変わりはない。

朝5時半、始発のバスは、いつものように満員。乗っているのは、早朝から出勤するユダヤ人と、多くはアラブ人の中年のお父さんたちや、若者たちである。まだ薄暗いバスの中、無口に、それぞれ考え事をしている。

アラブ人たちは、日に焼けて真っ黒なのですぐわかる。市内の肉体労働のほとんどーおそらくすべてーはアラブ人によって行われている。日が昇るとあっというまに暑くなるので、早朝に出勤し、まだ涼しいうちに仕事を片付けるのである。

ところで、こうしたアラブ人たちは、たいていカバンというものを持っていない。お昼の弁当や水は持っているのだが、たいがいスーパーのビニール袋に入れて持っている。

表情をみると、ただ毎日の暮らしを追いかけている普通の人々である。ユダヤ人の家や道路をつくるために汗を流している。彼らにとってはハマスもファタハもイスラエルも、まあどっちでもいいのかもしれない。

彼らの本心は知る由もないが・・・誘拐事件があっても彼らの生活は変わらない、ということは確かである。

ヘブライ大学では、昨夜卒業式と祝賀パーティが行われた。夜に歓声が聞こえた。子供たちも昨日から夏休み入りした。新学期は9月1日。長い夏休みが始まる。

エルサレムでは、少年が誘拐されたちょうどその夜から、毎年恒例の、旧市街での光の祭典が始まっていた。

昨夜で終了したのだが、毎夜、ユダヤ人家族と並んで、多数のアラブ人家族が群衆となって旧市街を訪れ、城壁などに映し出された光の芸術を楽しんだ。昨夜は最終日とあって、狭い旧市街の通りが「人間渋滞」になり、将棋倒しになりそうなほどの混み具合だった。

<異常な中の平和に生きる>

エルサレムからヘブロンまでは、車で1時間もかからない。西岸地区のラマラもベツレヘムも30分以内で行ける。ロケット弾が飛んで来ているアシュケロンも、渋滞がなければ1時間半程度である。

エルサレムで、群衆が光の祭典を楽しんでいたちょうどそのころ、アシュケロンではサイレンが鳴り響いて迎撃ミサイルが、発動し、ラマラやヘブロン近郊では、パレスチナ人がイスラエル兵にむかって火炎瓶を投げつけ、イスラエル軍は発砲し、死者まで出ていたのである、

人々が誘拐された少年たちを忘れているわけではない。ユダヤ人の特徴は、たとえ直接知らない人であっても、ユダヤ人であるというだけで、自分の家族のように痛みを共有してしまうということである。

イスラエルでは市民たちが、フェイスブックに“Bring Our Boys Back”と表示した写真を次々にアップ。ネタニヤフ首相、ペレス大統領の他、チーフラビも個人的に家族らに会い、励ましている。

イスラエルのユダヤ人たちが、誘拐された少年たちを自分の息子のように思っていることは確かである。しかしだからといって、よほどのことがない限り、日本人のように楽しみを自粛するということもあまりない。心配しつつ、日常の楽しみは続ける。

また、ハマスの地獄発言を聞いても恐れて人の集まる場所を避ける人もまったくいない。”毎度の話”であり、強大なイスラエルの治安部隊に絶対的な信頼もある。イスラエル人は、こうした状況と同居して生きることに慣れているということである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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