囚人の息子を迎える母:ラマラ 2013.8.14

13日深夜、イスラエルの刑務所にいたパレスチナ人の囚人26人が、釈放された。最終的には15人がガザへ、11人が西岸地区に戻された。

今回は、囚人が、バスの窓から顔や手をだして勝利をアピールするのを防ぐため、窓はぜんぶテープのようなもので遮断されていた。

ガザでは祝祭はなし。西岸地区の11人は、ラマラでアッバス議長はじめ、家族親族など約1000人が集まっての歓迎となった。ただし、ラマラには1人、あとはナブルスなど他の西岸地区出身者だった。

<ラマラの人々の反応>

13日、囚人釈放予定の午後、ラマラを訪ねた。町はいつもと全く変わらない活気とにぎわいで、人と車がまじりあってかなり混み合ってた。

道行く人々に囚人釈放について聞くと、「あらそう」「へえ知らない」とどうでもいいといった感じ。「囚人の釈放はいいことだ。」と言っている人に、彼らがなぜ(何の罪で)刑務所に入っているか知っているか聞いてみた。

たいがいは、そういえば・・という顔で、「う~ん。知らない。」「はっきり知らない。」という答え。彼らの表情からは、本当に知らないということが読み取れた。20年以上前ということもあるが、とにかく「イスラエルと戦った英雄」というところで止まっているのである。

ある女性は、ラマラではないが、別の町で息子が帰ってくると思って家族は準備して待っていたのに、最終的にリストからはずされ、家族が非常にがっかりしていると語った。

1人の若い男性は、「イスラエルは馬鹿だ。囚人は捕まってもすぐでてくるんだよ。」と笑っていた。そのあとで「日本はいい国だ。コウゾー(岡本公三)はパレスチナのためにテルアビブの空港で自爆した。パレスチナのためにやった。赤軍派を尊敬している。」とにこにこして言うので、「赤軍派はもういない。」と返答しておいた。

<アスマット受刑者>

ラマラから車で20分ほどの小さな村がある。この村のパレスチナ人の多くはアメリカが住所で、西岸地区にも家があるというパターンの人が多く、意外に立派な家ばかりである。そこに今回イスラエルから釈放されるアスマット受刑者の実家がある。中国新華社通信の記者に同行し、アスマット受刑者の母親を訪ねた。

アスマット受刑者は16才の時に、養鶏場にたまごを買いに来ていた入植地のユダヤ人男性(31)を、3人の仲間と共に殺害。22年の刑でオフィルの刑務所で服役していた。来年には刑期が終わる予定が1年はやまったことになる。

アスマット受刑者の家では、帰ってくる息子の写真、DFLP(パレスチナ解放民主戦線)の旗、パレスチナの国旗、アラファト議長の写真などが上げられ、数人の男性が集まっていた。翌日の夜、200人以上が集まるという大祝宴の準備が始まっていた。

<恵まれている?刑務所生活>

アスマット受刑者の母親によると、16才で逮捕されオフィル刑務所に入ったが、そこでヘブライ語を習得。高校教育の後、ヘブライ大学の修士までとった。(最近廃止されたが、受刑者はヘブライ大学の特別なコースを受講できた)。両親は月に2回は面会していた。

母親によると、刑務所に行く前のアスマット受刑者は、本を読むことがきらいだったという。それが刑務所でたくさんの本と読み、自分で小さな本を書くまでになった。

それだけではない。アスマット受刑者は入所中、月に7000シェケル(約21万円)の給料をパレスチナ自治政府から受給していた。これはアスマット受刑者の母親の証言なので間違いはない。

そのお金でラマラ市内に家を買ってあるという。出所したアスマット受刑者はそこに住んで、妻を迎え、「英雄」としての新しい人生を歩むことになる。

確かに16才から、37才まで人生の最良の時を刑務所ですごしたことは、悲惨である。しかし、それで得た「報酬」は予想以上だった。

ただし、アスマット受刑者の母親によると、イスラエルは厳重にスパイをつけて、見張っているため、再びテロをおこすことはもちろん、自由に西岸地区から出ることも許されないという。「ハラス!(もう終わり)」と繰り返し言っていた。

<悔い改めなし、感謝なし>

母親はアスマット受刑者が帰ってくるこの日、新しいパレスチナの民族衣装とジュエリーに身を固め、ヘンナの果汁で両手の手のひらを赤オレンジに染めていた。結婚式など祝いの時の習慣だという。

ただただ息子の帰りをまちわびるやさしいおかあさんの表情である。ほんとうにうれしそうだった。息子の罪状については、「ユダヤ人入植者だってパレスチナ人を殺している。彼らは捕まらないのに、息子が捕まるのはおかしい。」と言った。これがパレスチナ人の考え方だと新華社通信の記者は言った。*写真:母親と孫娘

1人の人間を殺したという事実自体は、認識にない。したがって、それを悪いとは全く思っていない。またイスラエルからこれほどの教育を受けさせてもらった事への感謝のことばもまったくなかった。

ただ母親として、息子を21年ぶりに抱きしめることができる。ただただそれだけなのである。部屋にあったテレビからは、囚人たちが帰ってくる事に関するニュース、映像ばかりが延々と流れていた。

<和平交渉2回目、本日午後予定>

囚人が釈放された翌日の今日午後、ワシントンでの会議に続く2回目、いよいよ本格的な交渉が始まる。入植地の建築問題で、パレスチナ側の腰がひけていたが、ケリー国務長官の電話によるカツで、少なくとも今日の交渉は実施されるみこみ。現在午後1時。まだ始まっていない。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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