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スイス・バーゼルで第一回シオニスト会議125周年
8月28、29日、スイスの町バーゼルでは、1897年8月29日に行われた、第一回シオニスト会議の125周年の式典が行われた。この会議は、昔からヨーロッパに根強くあった反ユダヤ主義の悪化の中で、ユダヤ人も国を持つことを目標とするユダヤ人の会議である。
この会議を実現したのが、当時のジャーナリスト、テオドール・ヘルツェルであった。ヘルツェルは、世界中の有力なユダヤ人たちに対し、ユダヤ人も祖国を持つべきだと訴えて周り、ユダヤ人の祖国建設を目指して、この第一回シオニスト会議が実現したのであった。当時集まったのは有力者208人であった。
ヘルツェルは、このとき日記に、50年後にはユダヤ人の祖国ができているだろうと書いていた。ユダヤ人の国、イスラエルの国が国連で認められたのは、ちょうどその50年後の1947年11月29日。翌年の1948年5月14日には独立宣言をすることができた。このため、イスラエルでは、ヘルツェルを建国の父と呼んでいる。
その記念すべき第一回シオニスト会議から、今年は125年目となることを受けて、スイスのバーゼルで、2日間の記念式典が行われた。
しかし、出席したのは、ほとんどがイスラエルとアメリカからの1400人で、イスラエルからは、ヘルツォグ大統領、ナフマン・シャイ・ディアスポラ相の他、イスビジネスマンらが参加した。
また、全員が裕福な4つ星、5つ星ホテルでかなり高級な様相であったことが特に注目された。世界シオニスト組織(WZO)は、費用がどのぐらいであったかは公開していないが、614万ドルから920万ドル(12億円程度)と推測されている。これらの費用は、ユダヤ人組織がカバーしている。
第一回シオニスト会議の象徴のような写真が、当時からあるホテル・レ・トロワ・ロワのテラスで撮影したヘルツォグの写真である。
この同じ場所で、今のヘルツォグ大統領の父のハイム・ヘルツォグ大統領(第6代)が写真を撮っていたが、今回、その息子である、アイザック・ヘルツォグ大統領(第11代)が、同じ場所で写真を撮った。
スイスへのテロ脅迫:イベントへの警備費570万スイスフラン(約8億円)
シオニズムという言葉自体が、世界では物議を醸す傾向がある。スイスではこのイベントに先立ち、巨大な親パレスチナのデモを行うといった脅迫が相次いだため、スイス政府は、このイベントの警備に570万スイスフラン(約8億円)をかけたとのことである。
また動員されたスイス軍兵士は700人。会場の18.5キロ半径は、28日からの2日間、閉鎖された。また、集まった人々は公開せず、イベントそのものについても中での取材や、映像も流されないこととなった。幸い、大きなテロもなく、このイベントは終了した。
後で流されたイベントの様子
世界のユダヤ人(ディアスポラ)とイスラエルの分断解決にむけて
世界では今、ディアスポラ(イスラエルの外に住むユダヤ人)次世代のイスラエル離れが問題となっている。ユダヤ人でありながら、イスラエルの存在、いわばシオニズムに無関心であるか、これに反対する者も増えているという。
これについては、親イスラエルで知られる福音派クリスチャンの次世代もまた、その親世代ほど、イスラエルを支持しなくなっていると言われている。
125周年イベントにおいて、シャイ・ディアスポラ相は、「ディアスポラがいなかったら、イスラエルは成立しなかった。今イスラエルは強くなった。今度はイスラルがディアスポラに奉仕する時だ。」と語っている。
ヘルツォグ大統領は。「シオニズム」という言葉が、世界で否定的になりつつあると言われていることについて、ショックを受けたと言い、「シオニズム」は、私たちの世代の使命なのだと語った。
ユダヤ人の国であり、民主国家である国を作ること。ユダヤ人の多様性を維持しながら、一つの家族の国を作り上げること。これは、全世界が直面するチャレンジへの解決を探すことである。これは、私たちの世代の使命なのだと語った。
www.timesofisrael.com/herzog-calls-to-reclaim-zionism-turn-it-from-a-slur-to-a-source-of-pride/