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パレスチナを引き合いにしたテロ:フランスとドイツ
10月7日以来、ヨーロッパでは、反ユダヤ主義暴力が激増している。中には、親パレスチナの様相での暴力もある。今週、フランスとドイツでそういう事件が発生していた。
1)フランスのシナゴーグ放火:犯人はパレスチナ国旗装着
24日、南フランスでは、シナゴーグの外にあった車2台が放火された。同時にシナゴーグのドアにも放火されたが、すぐに消し止められたとのこと。
駆けつけた警察官が1人負傷した。放火された車のうち、1台からはガスボンベが発見されており、爆発寸前だった可能性がある。
監視カメラの映像によると、犯人とみられる男は、パレスチナ国旗を体にまとい、頭にはパレスチナ人特有の赤いカフィアを巻いていた。
マクロン大統領は、これをテロと断定。反ユダヤ主義との戦いは、日々のこととなっているとXに投稿した。フランスでは、10月7日以降、反ユダヤ主義暴力が急増。2024年だけですでに887件になっている。
www.timesofisrael.com/man-arrested-over-suspected-terror-attack-explosion-at-french-synagogue/
2)ドイツでISIS関連のナイフテロで3人死亡:イスラム教徒とパレスチナ人の復讐と
23日、ドイツ西部ゾーリンゲン(人口16万人)では、市の650周年を記念するフェスティバルが行われる中、刃物を持った男が無差別に殺戮を行い、3人(男性2人と女性1人)が死亡。8人が負傷した。
ISISは、イスラム教徒とパレスチナ人のための復讐だと犯行声明を出した。ただし標的は、ユダヤ人ではなく、キリスト教徒だったと言っている。
当初警察は15歳の少年の身柄を拘束したが、少年はテロを実行した者ではないと判明。その後警察は容疑者を1人逮捕したとのこと。ISISとの関連も含め、詳細はまだ不明である。
10月7日には、イスラエル人が数時間で1200人殺害という、ホロコースト以来とも言われる虐殺を受けたのだが、そのことを取り上げるメディアはもうほとんどない。
一方で、その後のイスラエル軍のガザでの戦闘に対する批判が高まっている。イスラエルを批判することが正義のように取り扱われる傾向になりつつある。それをテロ組織が利用するようになっているようである。
イスラエル非難が正義になる流れ
アメリカの有名大学では、イスラエルを非難する大規模で暴力的なデモが発生したことから、大学も取り締まりを行なってきた。
しかし、それでもさまざまな式典に親パレスチナ活動家が突然乗り込できて妨害する事件が発生しているという。
アメリカ民主社会主義青年会という、アメリカの大学100校に支部を持つ団体は、パレスチナ人のための全国学生ストライキを奨励しているとのこと。
また、アメリカの大学教授協会は、これまでボイコットを奨励しないとしていたが、これを変更した。これにより、教授たちはそれぞれの判断で、イスラエルの大学をボイコット、投資撤退や制裁行為ができるようになった。
イスラエル・ユダヤ人社会の変化
ホロコーストの時代、ユダヤ人たちは、ユダヤ人というよりは、ドイツや在住国のアイデンティティを自覚していた人が多かった。
しかし、ナチスは、ユダヤ人たちがどれほどドイツに貢献していても、ドイツ人ではなく、ユダヤ人だとレッテルを貼っていった。
こうして、離散していたユダヤ人社会に、ユダヤ人と言うアイデンティティを回復させ、イスラエルという国への想いを育てたのも、皮肉ながらナチスであったという一面がある。
ハマスの被害を直接受けたガザ周辺の人々は、ユダヤ教に反発する傾向もある、世俗派で左派人道主義者がほとんどである。ガザの貧しい人々を助けていた人も少なくなかった。しかしそれでもユダヤ人というだけで殺された。
キブツ・べエリ在住だったビビアン・シルバーさんは、ガザのパレスチナ人たちをイスラエルの病院で治療できるよう、献身的に取り組んでいた人である。しかし、ビビアンさんも10月7日、ハマスにガザへ拉致され、そこで殺されたとみられている。
ユダヤ人は、どんなイデオロギーであってもユダヤ人なのである。この現実に今、ユダヤ人たちは直面している。
また、10月7日のハマスの奇襲で、イスラエルという国自体が完璧でないこと、国が分裂していては立ち行かないことを思い知らされた人も少なくない。
エルサレムポストの以下の記事は、ユダヤ教イシバ大学のラビが書いたものだが、イスラエルは今、宗教的に成長しているわけではないが、より聖書的な本質を受け入れつつあることは否定できないとしている。
www.jpost.com/opinion/article-815887
石のひとりごと
戦争やテロで虐殺され、大切な家族を失っていても、そんなことは気にもかけてもらえず、個人にかかわらず、ユダヤ人というだけで、世界中から嫌われる人の気持ちはどんなものか、私たちにはわかっていないかもしれない。
先日、神戸で、アメリカのユダヤ人観光グループに会った。中にひと組の高齢イスラエル人夫妻がいた。イギリス出身でイスラエルに移住して47年になるという。
ジャーナリストだと言うと、「私たちにいいこと書いてくれてる?」と聞かれた。世界中がイスラエルについてひどいことしか書かないからねと言っていた。
日本へ来たのは、日本は珍しく反ユダヤ主義がないからとのこと。イスラエルから来たこの夫妻は娘婿が従軍しているという。旅行はやめようかと思ったが、いついけなくなるかもしれないので、行けるなら行こうと決めたという。話を聞く中で、少し心が通じ合った気がした。
夫妻は、全然普通の夫妻である。なぜユダヤ人、その国イスラエルはここまで嫌われるのだろうか。不思議でしかない。不条理なほどに嫌われる理由は本当に霊的としか考えられない。
イスラエルやユダヤ人に罪がないわけではないが、神の主権の中で、やはり聖書の神の名を担っているので、この神に属さない者からは受け入れられないのである。
しかし、それらも含めて、この天地創造の神は全てを支配している。だからその大きすぎる痛みを通しても、ユダヤ人は一つになり、イスラエルに戻ることになっている。そのこと自体、聖書の神が現実であることをいつも実感させられる。
聖書によると、将来、エルサレムにユダヤ人がいる中で、キリストが再臨すると書かれている。ユダヤ人は今イスラエル、そしてエルサレムにも住むようになっている。
石のひとりごととしては、日本の皆さんにも、キリストが来る前に、自分の罪を認め、キリストの贖いによる罪の赦しを受け取って、この神に敵対しない側に立っておくことを、ぜひおすすめしたい。