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イスラム聖戦によって殺されたガザ市民
5日間の戦闘が終わったところで、やはり大きな痛みを受けているのは、ガザの一般市民パレスチナ人という現状がみえつつある。
1)イスラム聖戦とガザ市民の被害
この5日間で、イスラム聖戦の死者数は、上記のとおり18人。市民の犠牲者も入れると合計33人が死亡。151人が負傷した。(ガザ保健省)
ここから数えると、戦闘員でないのに死亡した市民は、15人ということになるが、イスラエルはこのうち、4人は、ガザ地区内に落下したイスラム聖戦のロケット弾で死亡したとみている。イスラエルは、子供を含むガザ市民10人の死亡の責任については認めている。
アルジャジーラは、この戦闘を通ったガザ市民の様子(特に子供たち)を伝えている。14歳のサル・アル・バティニさん(14)は、イスラエルの攻撃で、片足を骨折するとともに、5歳の妹と両親を一度に失った。サラさんと6人の兄弟が、遺族となった。
このほか、4歳児を失った父親もいる。またトカ・アルダローさん(10)は自分と家族は生き延びたが、大の親友を失い、大きすぎる心の痛みを受けていると懸念されている。
www.aljazeera.com/news/2023/5/12/children-in-gaza-experience-trauma-beyond-their-endurance
2)イスラエルで働くガザ市民がイスラム聖戦の攻撃で死亡
この5日間に発射されたイスラム聖戦のロケット弾攻撃で死亡したイスラエルは2人だが、そのうちの1人は、イスラエルのショケダの農場に働きに来ていた、ガザの市民、アブドラ・アブ・ジャバさん(34)であった。ジャバさんは、11歳を最年長に6人の子供を持つ父親であった。
イスラエルの労働組合が、労働者としての補償金は出すよう
だが、どれぐらいなのかはわからない。これからこの家族は、父を失って、いっさいの収入を断ち切られることになる。
また、この時、ジャバさんの近くにいたジャバさんの兄も重傷を負っていた。イスラエル国内には、許可を受けてガザからイスラエルに来て働く労働者が1万8000人いるという。
戦闘が始まると、ガザ国境が閉鎖されたため、約100人のガザ市民労働者が、イスラエルに足止めになっていた。今、国境が再開され、再び労働者の出入りも始まっているようである。(写真は、停戦後、ガザからイスラエルに入ろうとするパレスチナ人労働者たち。)
なお、ジャバさんとその兄の2人と、そう遠くないところにいたイスラエル国籍のベドウイン男性も中等度の負傷を負っていた。このほかにも6人の外国人労働者(タイ、中国、モルドバ)が、付近にいて負傷した。
地域は、ガザ国境から遠くない広い農地なのでで、近くに有効なシェルターがなく、サイレンも鳴っていなかったという。なぜそんな場所で働いていたのかなど、なんとなく、問題はあったのであろう。
www.timesofisrael.com/gazan-man-killed-in-rocket-strike-on-israel-recognized-as-victim-of-terror/
ガザ市民の苦難;破壊と回復、また破壊の連続の歩み:石のひとりごと
ハアレツによると、2005年にイスラエルがガザから撤退して以来、こうしたイスラエルとガザとの戦闘は、今回で少なくとも15回目になるという。(平均14ヶ月に1回)
破壊され、なんとか修復したところでまた破壊。。毎年のようにやってくる破壊の繰り返しということである。イスラエルは、これまでに、ガザへのさまざまな復興計画を提案してきた。
しかし、ガザの支配者らはそれを受け入れることなく、ただイスラエルへの攻撃と反撃によるガザへの被害をもたらしただけであった。
今回もまた、同じような破壊と家族を失った人々の涙が報じられている。ガザの支配者が、ガザ市民ではなく、イスラエルを滅亡させることを第一の目標にあげる組織が常に、ガザの支配者であるからである。ガザ市民の疲労、絶望。それが常識なのである。
今回(以前にもあるが)のイスラム聖戦も、ただイスラエルを破壊することが目的の組織なので、ガザ市民はその戦いの盾にしているような団体である。停戦に応じた理由も、「自らの指導者がこれ以上、暗殺されることがないように」ということであった。市民のより良い生活などはまったくゼロ、かけらも眼中にないということである。
イスラエルも人命は第一に考えるのではあるが、自国市民の命優先である。結局、ガザ市民は、だれにも気にかけてもらえない。。なんとも悲しすぎるところに置かれた人々である。
そこで育つ子供たちに主の愛を届けようとする人々はいるだろうか。もしガザで働く教会や宣教師がいるなら、今、主が助けてくださるように。