ニューヨーク・マンハッタンにあるTimes Square Church。アメリカが大きく揺すぶられている中、どのように生きていくのか、メッセージを発信し続けている。13日のメッセージは、箴言3:5-10からであった。
聖書によると、かつて出エジプトに成功したイスラエル人たちは、約束の地を目指して出発していった。しかし、そこは、未知の地であり、様々な困難がある道中でもあった。彼らがするべきことは、自分の悟りに頼るのではなく、心を尽くして主をより頼むことであった。
しかし彼らは、主に完全により頼むことをしなかったので、まっすぐ行けば11日で行けるところ、シナイ半島などで、ぐるぐる回ってなんと、40年もかかったのである。とにかくまっすぐいくことが最短であるとディレナ牧師。そのためにはどうしたらいいのか。
ディレナ牧師は、この世界のすべてにおける主権をもっているのは主であることを改めて強調する。その上で、いかなる決断においても、主を信頼し、主の相談することこそが最大の知恵だと語っている。主は、信頼して間違いないお方であるということ、だからこそ、恐れずに、これまでに経験のない、新しいことにもチャレンジできるのである。
ある小さい女の子が、プールに行くと、泳げないのに必ず水にジャンプして飛び込むのだという。どうしてそんなことをするのか、父親が聞くと、「だって、お父さんが必ず助けに来てくれるでしょう。」と言ったという。確かにそうなのだ。
その主への信頼をどう表すのか。それは、十一件金だとディレナ牧師。何よりも先に、すべての収入の10%を捧げる。(箴言3:9)それはお金の問題ではなく、それによって、主に栄光を帰すということである。お金をどう扱うかが、私たちの心を表すものである。
したがって、そのお金において、主を最優先すること、これは、主こそが私のすべてを管理、支配しておられるお方であることを認めるという告白なのである。
これにより、私が与えられているものの責任を100%負うのではなく、主が私の手元にのこる9割で奇跡を起こしてくださることを信じるということである。この順番を間違えないなら、主はあふれるほどに祝福すると約束されている。(箴言3:10)
主は、なんといってもこの世界を全てその主権下においているのだから、だれでもない、この方を信頼して間違いのない方だということである。特に自分よりは信用できるということである。
ある意地の悪い夫をもつクリスチャンの女性の話を出した。その女性は、クリスチャン出ない夫の手前、自分の自由になる分から必ず十一をしていた。夫がいよいよ死亡するというとき、夫は、「俺が死んだら、すべての財産を金にして俺の棺桶に入れて俺と一緒に埋葬しろ」と言った。
夫は、「お前はクリスチャンなので、必ず約束は守るはずだ。」と言ったという。実際に、夫が死ぬと女性は、すべての財産を金にして銀行に入れ、その額を小切手にして夫の棺桶に入れた・・。これは主が与えられた知恵であったと、会衆を笑わせた。
収入の10%というのは決して小さい額ではない。十一献金というのは、私たちの信頼が本当に神にあるかどうかが現れる場所なのである。しかし、本当にやってみると、その真実を経験するようになる。そのうち、それが普通になっていく。そうして主との関係が深いものになっていくのである。ディレナ牧師は、これは、バプテスマと同様に、主への信頼と従順を表すものということである。
私たちはどうしてもギリシャ思想なので、論理的に考える癖がついている。論理的に考えるなら、10%は多いだろう。しかし、どのようにしてかはわからなくても、主の考えは常に私たちよりも高く、かつよいものであるということを信じるならどうだろうか。用意されている祝福もまたわたしたちには全部わかっていないのである。私たちには全部わからない。それこそが祝福なのである。だからこの方を信頼する。
だから、自分の判断だけで、限界を決めないということである。自分の判断がいつも正しいと思わないということである。多少疑いも入っている、「もしかして」の信仰こそが、イスラエルの信仰であり、主への信頼であるということではないかと思う。
心を尽くして主に依頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵あるものと思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは、新しいぶどう酒であふれる。(箴言3:5-10)