国連での演説の数時間後、ベネット首相は、ニューヨークのJFNC(ニューヨークユダヤ指導者連合)のカンファレンスに登壇した。
ネタニヤフ前首相の時代、超正統派を優遇する視点から、超正統派意外の宗派のユダヤ人をユダヤ人と認めないという流れになり、イスラエルとディアスポラ(主にはアメリカのユダヤ人社会)との間の分裂が深刻になりはじめている。
最近では、嘆きの壁を支配するのは超正統派であるため、アメリカ系ユダヤ人に多い保守派や改革派(男女一緒に祈る)は、嘆きの壁の南にある特設の部分で祈らなければならないという問題が表面化していた。そうした中で、ベネット首相は、改めて、イスラエルとディアスポラユダヤ人の一致をよびかけた形である。
ベネット首相は、ここでも、今の政権が、イスラエル史上最も多様な政府であり、最初はこれがうまくいくはずはないと思ったということから話をはじめた。ベネット首相は右派で、2年後に首相を交代するラピード外相は左派である。それが今はパートナーである。政権には、右派、左派、中道、シオニストからアラブ政党もいる。
ベネット首相は新政権で学んだことを、イスラエルとアメリカのユダヤ人社会との関係においても行かせると思うと語った。ベネット首相はまた、エルサレムの第二神殿が崩壊したとき、ユダヤ人の間に大きな分裂があったことを指摘。神殿の破壊の原因は、互いの「根拠なき分裂」にあったといわれていると語った。
ベネット首相は、アメリカのユダヤ人から学べることは、聞く力。人々を規制概念の箱にいれないということだ。皆さんはユダヤ人。それだけで、歓迎すると述べた。
これに対し、JFNCのCEO、エリック・フィンガーハート氏は、嘆きの壁についての話し合いが、進んでいないことは残念だと表明。それが進むことを期待していると述べた。また、ベネット首相が、アメリカで今悪化を続けている反ユダヤ主義の現状を認識していることに感謝を表明した。
また今は、不一致を話し合うことが目的ではないとし、ベネット首相がアメリカに来る時はいつでも歓迎し、イスラエルへの支持を表明する。また、アメリカのユダヤ人も、コロナの事態がなかったら、この秋の例祭にも数千人がイスラエルに行っていただろうと述べ、イスラエルとディスポラの関係は変わらないと述べた。
<ニューヨークで仮庵最終日>
ベネット首相は、前回、バイデン首相訪問の際、安息日にぶつかり、急遽、滞在を1日伸ばしたということがあった。今回のアメリカでの働きも、仮庵の祭りの最終日(月曜)、シェミニ・アッエレートにぶつかった。この日も安息日と同じ扱いになるため、1日予定を伸ばしてイスラエルに戻ることとなった。しかし、今回は前もっての準備がなされていたとのこと。
ベネット首相は、この最後の例祭日を、20年ほど前に。ニューヨークで企業を立ち上げたころに通ったシナゴーグ(ケヒラ・エルサレム)ですごしている。ベネット首相は、ものものしい警護の中、5番街を25ブロックほども歩いたとのこと。
シナゴーグでは、祈りをささげ、15分のメッセージを語った。
ベネット首相の妻ギラッドさんは、このシナゴーグで、世俗派からユダヤ教に立ち返ったという。ベネット首相は、それがイスラエルではなく、ニューヨークであったとして、互いの一致を証したのであった。
www.timesofisrael.com/bennett-focuses-on-jewish-israeli-unity-in-address-to-us-jewish-leaders/
<石のひとりごと>
筆者もニューヨークに2年ほど住んだ経験がある。まさに多様を絵に描いたような町である。多くの黒人とアジア人。ヒスパニック。そしてユダヤ人がいる。違う、ということが当たり前なので、人々は少々のことがあっても驚かない。違うことは不思議ではないのである。
これは、ほとんど全員日本人で、同じ文化と同じ価値観を共有し、だからこそ、空気を読むことを期待され、違うことを言うと村八分になる日本の社会とは全く180度違う文化である。
国際社会に出ると、空気は下手に読んではいけない。言葉で正確に誤解のないように伝える。そうして違いのある相手との論議を通じて、たがいのwin-winで合意点を見つけていく。論議をしても関係自体が切れるわけではないのである。むしろ、正直に話し合うことの方が健全ということである。
日本では昨日、岸田総裁が選ばれた。これについて、読売新聞に時事川柳が出ていた。「腹を読み、顔色も読み票を読む」(大阪:小林幹治さん)日本では、対人関係において、言葉にはない腹や顔色を読まなければならないということである。この文化の違い。。。これもまた、面白がって受け止めなければと思う。