スェーデン式集団免疫に方向転換を:医師ら90人 2020.9.7

テルアビブ市内 出展:i24 スクリーンキャプチャ

新型コロナの感染予防がもはや収拾つかない様相になってきていることを受けて、医師、科学者ら90人が、あらたなロックダウンに反対しようとのキャンペーンを始めた。この中には、ノーベル化学賞受賞者のマイケル・レビット博士や、複数の病院のコロナERの医師らも含まれている。

グループは、ロックダウンは、ウイルスの拡散を遅らせることはできても、結局、拡散を止めることはできないと主張。コロナとの共存を前提に、ロックダウンをやめて、高齢者、ハイリスクの人々をどうするかに集中するべきだと訴えている。

その理由として、新型コロナ感染の現状は、①健康な若年層には脅威になはならないこと、②ワクチンの効果が確実ではないこと(ウイルスの絶え間ない変化や、2回目感染の現状)を上げている。*統計ではイスラエル人の20%は、ワクチンはよほど安全が確実でないと受けないと答えている。

言い換えれば、いっそのこと、戦いをやめて、スウェーデン式を推奨するということである。スウェーデンでは、パンデミックの最初から、高齢者やハイリスクの人が新型コロナで死亡することを受け入れるという選択をして、ロックダウンをまったく行わず、集団感染を期待する方策をとってきた。

このため、スェーデンの感染者は、これまでに8万5000人。このうち死者は5800人と致死率はかなり高い。対策なしではやはり犠牲が多くなり、その割に集団感染には程遠いと指摘されている。しかし、スェーデン政府は、ロックダウンしたからといって、どのぐらい犠牲者が少なかったかは不明だと反論している。

イスラエルの90人もの実務についている医師たちの主張は無視できないものがある。しかし、1日に3000人もの無症状陽性者を放置すると、重症者の数も倍増すると予想される。それで、医療崩壊は防げるのか。また、そうならないように、どのようにして、すべての高齢者を保護するのか聞いてみたいところである。

また、ノーベル賞受賞者のレビット博士は、新型コロナ感染に関する予知がことごとく外れていたという経緯が指摘されている。この90人のキャンペーンが、今必死になっているガムズ教授の耳に、どの程度、届くのかは不明である。

<イスラエルで論議:高齢者の命は軽いのか?>

The funeral of former Sephardic Chief Rabbi Eliyahu Bakshi-Doron, who died from complications of coronavirus, Jerusalem, April 13, 2020 (photo credit: Courtesy)

上記のような論議が出てくる一方、死者が1000人を超えたという現状は重い。この一人一人は、だれかの祖父母であり、中にはホロコーストで苦しんだ挙句に、国のために戦ってくれた人もいる。それが、病室で孤独に死んでいっているということに注目するべき時だと訴える記事もある。

Yネットは、病室で、医療従事者と同じ防護服に身をまとった家族が、死亡した患者のそばで泣いている写真をアップしていた。家族をコロナ患者のベッドサイドに案内するのは、イスラエルだけだろう。

さらにイスラエルでは、すでにコロナに感染し、回復した人が、ボランティアとして、個室で戦っている患者のベッドサイドに行くという対策もとられている。この人々は自分が、孤独にコロナと戦った経験から、リスクをかえりみず、この働きに加わっているという。

前回紹介した時は、超正統派だけだったが、BBCが、一般の男性がこの働きに加わっている様子を伝えていた。

またテルアビブのラビンスクエアでは、1019脚のだれもすわっていない椅子に、それぞれ、亡くなった1019人の名前をつけて並べ、失われた命の重さを政府に訴えようとするパフォーマンスが行われた。

www.jpost.com/israel-news/1019-empty-chairs-express-losses-of-coronavirus-in-israel-641343

エルサレムポストのコメンテイターのナダブ・エイヤル氏は、イスラエル社会がコロナの死者1000人という数字にどれぐらい真剣かと投げかけた。死者の多くは80歳以上の高齢者だが、もし死者が30歳代、40歳代の人々であれば、今ごろ、イスラエルはもっと真剣に取り組んでいたのではないかと訴えている。

確かに経済への影響が大きく、本来脅威ではない若年層に自殺者がでるなどの問題も出てくる。そうなると、少しでも納得しうる世代がなくなることを受け入れるしかないとの考え方もあるが、軽い命などないはずで、どうにももやもや感がのこるとエイヤル氏は書いている。

www.ynetnews.com/article/BJOMz4GNw

<石のひとりごと>

1000人もの命が奪われたということに、イスラエル人は少なからずショックを受けているようである。とはいえ、経済の破綻も無視することはできない。今後、いのちをどうとらえ、どうコロナと向き合っていくのか。全く先がみえないとはまさにこのことである。

来年の今頃、イスラエルは、世界はどうなっているのだろうか。私たちには、想像もつかない。たとえエキスパートでってもわからない。しかし、主にはそれは見えている!ローマ書の次のみことばが心に響いてくる。

ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と計りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが、まただれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。