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キリスト教徒巡礼者ホテルに宿泊するイスラエル人
コロナ禍で、世界中のクリスチャンたちが聖地旅行ができなくなって1年半以上になる。聖地旅行が回復する見通しはまだ遠く、回復までには、少なくとも数年はかかるとみられている。通常なら1年先まで予約でいっぱいになるようなガリラヤ湖畔のキリスト教徒向けホテルでも、海外からの予約はほとんど入っていない。
このため、イスラエル国内の観光は、国内需要に頼らざるを得なくなっており、ガリラヤ湖周辺のカトリックの宿泊施設でも、宿泊客の90%がイスラエル人だという。(10%はイスラエルに在留するヨーロッパ系の外交関係者たち)
イスラエル人宿泊者を受け入れているのは、ガリラヤ湖では、パンと魚の教会タブハや、ティベリアのスコッツホテル、エルサレムのノートルダムホテル、旧市街のオーストリアンホスピス、マグダラのホテル、クライストチャーチなど。
しかし、海外旅行ができなくなったイスラエル人が、国内で旅行するとあって、ホテルの宿泊代は、特に死海などのリゾート地では、通常の何倍にもなっていると聞く。このハアレツ紙の記事によると、イスラエルのゲストハウスの1泊は700-1200シェケル(2万5000円から4万円)。若干質素で、エアコンなし、キリスト教巡礼者ホテルでも500シェケル(1万6000円)である。
ガリラヤ湖畔のカトリック系巡礼施設の場合
イスラエル人、特にユダヤ人にとっては、歴史的にキリスト教会に迫害された経過があるので、教会に足を踏み入れること自体、ある意味勇気のいることであろう。
ガリラヤ湖タブハ(パンと魚の教会)のホテルによると、当初、イスラエル人が宿泊すると、十字架がとりはずされて引き出しにいれられていたり、ダイニングの十字架がはずされていることもあったという。
また、キリスト教施設では、コシェル(ユダヤ教食物規定)の認定を受けられないので、宿泊にくるイスラエル人は世俗派ということになる。
世俗派の場合、ぜいたくなリゾートホテルに馴染んでいるので、キリスト教巡礼者向けの、質素感になじまない人も少なくなかったという。当初のイスラエル人客を呼び込む試みはうまくいかなかったと、タブハのホテルのマネージャーは語っている。
こうした経験から、タブハでは、その歴史やキリスト教文化、キリスト教僧侶との対話といった、違いを楽しむことのできるイスラエル人に来てもらえるよう、宣伝の戦略を変えた。
ようやく、最近はそういうイスラエル人が宿泊に来るようになっている。最近では、近くのキブツのユダヤ人たちが、子供のバル・ミツバを行う時にタブハのホテルと利用するケースもでてきたとのこと。
ガリラヤ湖畔のもう一つの巡礼地、マグダラでは、1世紀のシナゴーグの遺跡が発掘され、2019年に公開が始まった。イエスも来ていたとされ、人気の観光スポットになりつつあった。しかし、今では、閑古鳥である。
発掘と管理を担当するカトリック教会は、遺跡を含む広大な敷地に美しい教会やホテルを建設途上であったが、今では、経済的にもかなり苦しいとのこと。
そこでイスラエル人宿泊者を受け入れるようになったが、一番困ったのは、コシェル(ユダヤ教食物規定)が提供できないこと。イスラエル人の客は世俗派ではあるのだが、まずは、朝食で人気であった、ドイツ系のウインナー(豚肉)を出すのをやめたとのこと。
しかし、ここに来て、キリスト教徒たちが、ユダヤ人の“シナゴーグ”を大事にする姿に感動するイスラエル人もいるという。
エルサレム旧市街巡礼ホテルの場合:オーストリアンホスピスの場合
エルサレム旧市街にあるオーストリアンホスピスは、十字架の道、ビアドロローサの途上にあり、まさにキリスト教巡礼者の宿泊所である。同時に、イスラム地区でもあり、ここにイスラエル人が宿泊するのは、やはり抵抗もあるだろう。ここはさすがに、まだ空室が目立つとのこと。
しかし、ここには、コロナでも滞在を続けている海外のボランティアが働いており、宿泊にくるイスラエル人は、その人々との会話を楽しんでいる。
メシアニック向け福音派ホテル:クライストチャーチの場合
エルサレム旧市街ヤッフォ門を入ってすぐにあるクライストチャーチ。イギリスのプロテスタントによって1849年に建てられた。
中東では最も古いプロテスタントの教会である。当時、イギリスが領事館を建てたのに乗じて、イスラエルでの宣教のためにやってきたクリスチャンたちである。
近年では、ユダヤ人でイエスを救い主と信じるメシアニック・ジューたちの礼拝も行っている。この教会敷地内には、主にプロテスタントたちが宿泊するホテル(32室)がある。メシアニックジューはイスラエルでは嫌悪される立場にあるが、このホテルにも、イスラエル人が宿泊するようになっているという。
このホテルでは、ホームページを英語からヘブライ語にしたり、イスラエル人向けの団体ツアーを企画したりしているとのこと。このホテルの部屋には十字架はないが、新約聖書が各部屋に開いた状態で置いてあるとのこと。イスラエル人には、新鮮?な発見であろう。
このように、コロナ禍の影響で、思いがけず、ユダヤ人とキリスト教の接点が生まれているようである。
石のひとりごと
コロナ禍で、イスラエル人が、キリスト教に触れる機会がすすんでいるのは、不思議な祝福かもしれない。
しかし実は、コロナの前から、イスラエル人グループが、カトリックに神父さんの説明を聞きながら、ビアドロローサを歩いているのを見たものだった。そういう時代には、すでに入っていたのではある。
今、外国人観光客がいない静かな中で、キリスト教文化やクリスチャンに出会うイスラエル人が増えているのであれば、さらに福音に対して心が和らげばと思う。
イスラエルに行きにくい状況になって1年をすぎた。それでも、目をつむれば、その景色だけでなく、その風、におい、石の感触まではっきりと思い出すことができる。
旧市街を歩き、嘆きの壁の混雑した雰囲気、目の前に広がる壮大なユダの渇いた山々、ガリラヤ湖の水・・その場に立っている気分も十分ある。聖地旅行に行かれた人も同じだろう。
まだ一度も行ったことがない人は、ぜひコロナが早く終息し、またその地に行けるよう祈っていただければと思う。