ガザ南部国境に復興の足音:キブツ・べエリの瓦礫撤去開始 2024.2.14

Oren Sharabi, left, her mother Nira and sister Ofir walk through their Kibbutz Be’eri on January 1, 2024. (Canaan Lidor/Times of Israel)

10月7日のハマスの侵攻で最も大きな被害を受けた地域の一つ、キブツ・べエリは、約1000人が390の家屋に住んでいる自然豊かなキブツであった。

春には、赤いカラニット(アネモネ)の花が一斉に咲くキブツであった。「ダロン・アドム(南の赤)」と呼ばれるフェスティバルにも加わっていたキブツである。

以下はそのころの様子

www.touristisrael.com/darom-adom-festival/9365/

しかし、昨年10月のハマスによる侵攻で、キブツ住民97人が死亡。25人が拉致された。家屋は、4軒に1軒、全部で130軒が、銃弾で穴だらけで、大きく破壊され、全焼状態にあって、住めなくなっている。住民たちは、まだ避難している。

悲惨な現場は、これまで、メディア関係者や来訪する首脳らが見学にきたりしていたが、いよいよ、復興にむけて、先週からブルドーザーが入って、解体作業を開始した。

復興計画は2年で、担当建設業者によると、130軒の復興に3億シェケル(120億円)と予測されている。まずは全壊している住宅は数十軒あるが、これらを解体した上で、新たな家を建てるのに1、1軒あたり、150万シェケル(6000万円)かかる。

キブツ・べエリの住民で、エシュコル地方(ガザ国境周辺地域)責任者のハイム・ジェリンさんは、破壊された家を1軒ぐらいは、メモリアルとして残す案もあったが、微妙だった。残したい思いと、前に進みたい思いがあった。」と語っている。メモリアルとして、別のところへ半壊状態の家屋を移動させる案もあるとのこと。

キブツ・べエリの住民の多くは、まだ死海近くのホテルでの2次避難中である。しかし、近く、ネゲブ地方のキブツ・ハツェリムに移動して、2025年ぐらいまで滞在することで合意している。

キブツベエリには、アボガド畑や、柑橘類があり、生き残った住民たちは、その世話や収穫には来ているという。

またこのキブツの最大の収入源であった印刷工場は、ハマスの総攻撃からわずか2週間で、営業を再開。数百人が仕事を再開していたという。

この他の被害を受けたキブツや地域も復興を担う建設業者の入札が行われている。

www.timesofisrael.com/on-beeri-bulldozers-begin-kibbutz-rebuild-by-clearing-out-rubble-of-october-7/

石のひとりごと

それにしてもハマスのものすごい破壊力。人間によるものとは思えないほどである。全壊した家の様子はどこか、津波にあった家を思い出すところもある。

まさに、シムハットトーラーの気持ちの良い静かな早朝、人々がまだ眠っているか、もしかしたら、祈ってる人もいたかもしれない時に、まったく予期しない時に、襲ってきた悪の津波であったのだろう。

まさに、「わたしの民イスラエルが安心している住んでいるとき、実に、その日、あなた(ゴグ)は奮い立つのだ。(エゼキエル38:14)」を思わせる光景である。*今回がゴグマゴグの戦争であると言っているわけではない。

それでも立って、生きていかなければならない。今、まるで津波の後のような瓦礫の解体作業と、復興作業が始まっている。

敵は全く違うが、能登半島の被災者の方々もまた、家族や家、これまでの平穏な毎日を急激に奪われてしまった。今なんとか前を向いて、復興へと立ちあがろうとされている。主の支えと力が与えられるよう祈る。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。