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戦争が1年を超え、人質はまだ帰らず、多くの戦死者も出ている。国内には、数千人の負傷者やPTSDに苦しんでいる国民も数えきれない。観光業もまだ復活の見込みはたっていない。
しかし、それでもイスラエルは、防衛関係で収益を上げている。戦争後に目をむけて、観光業の復活に備える動きも出ている。
イスラエルの防衛技術で株120%上昇:テルアビブで初の国際防衛サミット開催
イランの経済が厳しくなる中、イスラエルは、その防衛技術で収益を上げている。
特に迎撃ミサイルシステムなど防空技術が優れていることから、それらを受注することによる収益が上がっており、防衛関係企業の株も上昇を続けているのである。
2023年10月7日からは、戦争状態にある中、ドイツにアロー迎撃ミサイルシステムを販売したこともあり、2024年6月の時点で、防空システムは、全輸出の36%と、2023年の19%を上回った。
迎撃システムの他、レーダーや、電子戦システム、ドローンや、通信システムなどあらゆる防衛関係技術を取引している。
Ynetによると、テルアビブ証券取引において、イスラエルの防衛関係企業の株は、平均で120%上昇している。特に3社はその価値が3倍になったという。
www.ynetnews.com/business/article/sjwuyzav1e
*テルアビブで国際防衛技術サミット開催
テルアビブでは、今年12月10―11日の2日間、テルアビブ大学にて、初の国際防衛技術サミットが開催された。このサミットでは、学者と政府、産業界をつなぐ機会も提供された。
イスラエル軍のエイヤル・ザミール少将は、AIがどう変革をもたらすかの可能性を強調。
デフェンス部門R&Dのダニエル・ゴールド博士は、イスラエルのミサイル防空システムの進歩について、ヤフダ・アルマキアス氏は、スタートアップとの連携について語った。
イスラエルのミサイル防衛機構ディレクターのモシェ・パテル氏は、国際協力の重要性を強調し、アメリカの防衛システムとイスラエルの能力を結合し、世界の安全保障を強化する役割を語った。
全体として、イスラエルは、進化する脅威に直面し続ける中で、回復力と適応力を強調。イスラエルは、どんな状況が来ても、才能、資源、ビジョンからなる独自のエコシステムで、防衛革命の最前線に止まる準備があると示した。
defence-industry.eu/israel-hosts-first-international-defense-tech-summit-in-tel-aviv/
english.tau.ac.il/news/defense_tech_summit
デイ・アフターの観光業に2億3000万シェケル計上
イスラエルは戦争中であり、まだ海外航空会社のほとんどは、イスラエルへの発着を止めたままである。
イスラエルのエルアル航空は、ほぼ独占状態で、価格を吊り上げているので、なかなか利用することも難しい。
12月の今は、クリスマス前で、本来なら、観光客であふれる時期だが、海外からの観光客はほとんど来ていない。
まだ回復の傾向もほとんどないが、政府は、観光業のデイ・アフター(戦後)に備え、2億3000万シェケル(100億円程度)を計上した。観光省は、これで55の観光地の整備を始める。
たとえば、エルサレムのイルミネーション、ガリラヤ湖のギノサレでの水の上を歩く体験コーナー、ツファッドの整備、キリアット・エアリムの契約の箱関係施設などなど。。となっている。
しかし、ヘブロンなど、ユダヤ・サマリヤ地区(西岸地区)の整備も大々的に入っており、若干政治的な匂いも否定できないが・・
石のひとりごと
イスラエルという国は、全部が正しいわけではないが、それでも、絶対にあなどれない国だと実感する。主の許しなしに、この国を痛めつけることはできない。またたとえ絶望状態に陥っても、必ず、どんでん返しで立ち上がる。世界もそれを何度も目撃しているのである。
イスラエルは、今、ガザ、ヒズボラ、イランに続いてイエメンのフーシ派の攻撃も受けている。反撃して、世界からは非難の的になっている。しかし、それで絶望には絶対に陥らないだろう。
イスラエルは、危機に直面した時にこそ、元気になる国だと思う。以前にも紹介したが、以下は、いつもイスラエルを思わされるみことばである。
それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。(ピリピ3:14-16)
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。(第二コリント4:7-11)