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今回、不思議な形で、国会で6議席しかないベネット氏が首相となった。これもまたみこころとは思うが、どんな人物なのか、どうしてそうなったのかをまとめる。
絶対になれそうもない人物が首相になったという形なので、逆に、周囲と連携をとりながら、イスラエルという国にために、全力を尽くしてくれるのではないかと思うところである。
スタートアップで成功した億万長者
ナフタリ・ベネット氏は、1972年生まれの現在49歳。1967年(六日戦争後)にアメリカから移住した両親の元、3人兄弟の末息子として、ハイファで生まれた。
一家は、父親の仕事の関係で、ベネット氏が10歳になるころまでに、数年づつアメリカ、カナダ、イスラエルを移動している。両親は基本的にアメリカ国籍なので、ナフタリもアメリカ国籍を生まれつき持っている形であった。
ベネット一家がイスラエルに定着するのは、ナフタリが10歳になって以降(1982年)である。
その後は、ベネット氏は、中学高校時代をハイファで育ち、ユースグループなどでリーダーシップを発揮した。1990年に従軍してからは、特殊戦闘部隊の司令官として、第一、第二インティファーダ、レバノンとの数々の紛争で活躍している。その合間に、ヘブライ大学で法律の学位を取得した。
6年間の従軍を終えると、ベネット氏は、アメリカへ移動。ニューヨークで詐欺行為を防ぐためのソフトウエアを開発するスタートアップの会社を、友人と共に立ち上げた。
やがてベネット氏がCEOに就任した後の2005年に、この会社を売却。1億4500万ドル(約200億円)を得て、33歳にして億万長者となった。なお、売却後もこの会社は、イスラエルで営業を継続しており、ベエルシェバとヘルツェリアで400人の雇用を提供している。
この後に立ち上げた会社も2013年に売却し、1億ドル(110億円以上)を獲得。その後は、今に続く様々な投資でも成功し、アメリカの経済誌フォーブスも取り上げるほどのビジネスマンである。
要するに、ベネット氏は、政治で儲ける必要はまったくない、経済的な汚職の余地はまったくない人物と言える。
個人としての家族は妻と4人の子供の父親である。現在、テルアビブ北部ラナナに自宅がある。
政治家としての歩みと首相への道のり
1)ネタニヤフ首相の元での政治
ベネット氏は政治家としての歩みを、2006年にネタニヤフ前首相の元で開始している。
2006年から2008年までベネット氏は、リクードで、ネタニヤフ前首相のいわゆる官房長官的な働きを担った。
2010年からは、西岸地区入植地関連を担当している。宗教シオニスト(聖書的にイスラエルはユダヤ人の国と考える人々)として、西岸地区への入植活動を支援していたため、パレスチナ人からも右派として知られるようになった。
2012年には、リクードを離脱。さらに、宗教シオニストとしての立場を明確にし、2013年、右派ユダヤの家党の党に入り、党首となる。
この年、ユダヤの家党は、国会で12議席を獲得してネタニヤフ前首相の連立政権に加わり、ベネット氏は、経済相、宗教相、移住相も経験した。
ネタニヤフ首相とはあまりよい関係ではなかったようだが、ネタニヤフ首相は、連立政権維持のために、ベネット氏を味方につけなければならないという、微妙な関係が続いた。2015年のネタニヤフ政権では、ベネット氏は、教育相のポジションも経験した。
2)政府分裂の混乱期のやりとり
2018年、リーバーマン氏が、ネタニヤフ首相に反旗を翻し、防衛相を辞任すると、ベネット氏は、そのポジションを求めた。しかし、ネタニヤフ前首相はこれを却下し、自身が、首相と防衛相も兼ねるという、ベネット氏にとっては屈辱的なこととなった。
この後、ベネット氏は、ユダヤの家党の党首を辞任して、新しく右派党を結成。この党から、2019年4月の選挙に臨んだが、この時は、まさかの、最低得票率(4議席)を獲得できないという事態になった。
当然、ネタニヤフ首相は、ベネット氏を政府から追放する。この時、ベネット氏は、相棒として、行動を共にしていたシャキード氏とともに、国会からも姿を消すこととなった。
しかし、2019年9月に再選挙になる。右派党は、前のユダヤの家党(スモルトヴィッチ氏)と統一しての新右派党となる。ベネット氏は、その党首として選挙に打って出る。
この時、6議席を獲得し、ネタニヤフ首相の連立政権に参加している。このころ、ネタニヤフ首相の汚職疑惑が問題となり、兼務していた閣僚のポジションを明け渡すことになる。
このため、この年の2019年11月から2020年5月まで、暫定ではあったが、ベネット氏は念願の防衛相に着任したのであった。
しかし、2020年3月、再び総選挙になると、右派とユダヤ教政党だけでは、どうしても過半数の連立をとれないと見たネタニヤフ首相は、ついに中道左派、青白党のガンツ氏(この時の青白党にはラピード氏が含まれている)と手を組んで統一政権を設立する方向へと向かう。
すると、ベネット氏は、右派として、左派系ガンツ氏との合併に反発。野党に回ると発表した。このころ、新右派党のスモルトヴィッチ氏が、ベネット氏から離反して、元のユダヤの家党を復帰した一方、ベネット氏は、新しくヤミナ党として出発したのであった。
一方、ガンツ氏はラピード氏を裏切ってネタニヤフ首相と統一政権を組んだことから、ラピード氏が、青白党を離脱。元の未来がある党に戻ることとなった。
そしてこの統一政権も破綻し、2021年3月に4回めの総選挙となった。この時は、ガンツ氏に幻滅した人々が、中道左派のラピード氏に投票。未来がある党が躍進して17議席を獲得する。
3)4回目選挙でキングメーカーに
この選挙において、ベネット氏のヤミナ党は7議席を獲得し、ネタニヤフ首相側に着くのか、ラピード氏側に着くのか、ベネット氏の動きによっては、どちらが政権をとるかの大きな鍵を握る立場に立つこととなった。
ネタニヤフ首相は、あれほど喧嘩していたにもかかわらず、ベネット氏に、右派なのだからと、リクードへの復帰を呼びかけた。
一方、ラピード氏は、先に首相になるという超おいしい好条件を提示して、ベネット氏に、打倒ネタニヤフ陣営、チェンジブロックへの加入を呼びかけたのであった。
結果的に、ベネット氏は、左派も同席するチェンジブロックに入ることを決めた。
これは、ネタニヤフ首相が、ガンツ氏とともに統一政権立ち上げた際、ベネット氏が「左派との政権は不可能」と断言して拒絶したことから考えると、意見を大きく転換することを意味する。
このために、ネタニヤフ首相は、「ベネット氏は、首相になるためだけに、右派としてのアイデンティティを捨てた詐欺師であり、嘘つきだ。」と非難したのである。
また、13日、ベネット氏をまっさきに非難し、スピーチの妨害したのは、かつて、ともに右派政権を目指して、新右派党を立ち上げた、ユダヤの家党、スモルトヴィッチ氏であった。
こんな形で裏切られたベネット氏が首相になることが、よほどに腹立たしいことであり、耐えられなかったのであろう。
今回は、ネタニヤフ前首相が、30議席分の得票であったのに首相になれず、わずか7議席(一人脱落したので6議席)という低い支持しかないベネット氏が首相になったという、なんとも不思議な流れであったということである。
石のひとりごと
日本では、一回黒星がついた政治家が、もう一度出てくることはない。また、一度人間関係が崩れると、その後、またその人とともに歩むということは、特に政治の世界では、ほとんどないように思う。
しかし、イスラエルでは、失敗は失敗とはみなされないので、何度でもやり直しが効いている。また、人間関係も必要とあらば、いつでも元にもどしてしまうようである。
感情ではなく、実質を重視するイスラエルの世界ということだろう。
これは、いったん口にしたら、何がなんでも、たとえ、不条理や無理がみえても、変更がほぼ効かないという日本社会と、大きく違っている点である。人間関係も、しこりを残すので、日本では修正は効きにくいのかもしれない。しかし、これが大きな信頼ということにもつながるわけである。
しかし、そのイスラエル社会でも、さすがにベネット氏のいうことが、変わりすぎることには、辟易している人も少なくない。今言っていることが、近い将来かわってしまうかもしれないからである。
とはいえ、こうなった以上はベネット氏を信頼するしかないけどねと、イスラエル人の知人たちは言っていた。筆者は、逆にこの柔軟性にかけてみたいと思うのが、どうだろうか。
イスラエルと日本、2で割ってちょうどということなのだろうか・・・