<エルサレム>
基本的にクリスマスはユダヤ人に関係がない。逆に彼らを迫害したキリスト教会を連想させるものでもあるため、エルサレムでは、ホテルなど観光客への配慮が必要な場所以外に、クリスマスの空気はまったくない。
しかし、一般に常識的なユダヤ人たちは、相手がキリスト教徒だと知ると「メリークリスマス」とあいさつをしてくれる。エルサレム市も、キリスト教徒に敬意を払うためか、今年も23日にクリスマスツリーになるもみの木を早い者勝ちで無料配布した。
今年は、旧市街への入り口で最もにぎやかなヤッフォ門にクリスマスツリーが立てられる予定だったが、ユダヤ教徒からの反対もあり撤去された。
ユダヤ教正統派の中には、「クリスマスには悪霊が働く」といい、悪霊の影響を受けないために、クリスマスイブにはトーラーの学びをせず、ミツバとよばれる律法にかなったよい行いもしないようにするという宗派もある。(Ynet)
メシアニック・ジューたちの間でも、クリスマスは「異邦の偶像礼拝」として敬遠されている。しかし、変わり種?のエルサレム・アッセンブリーだけは、アメリカやヨーロッパなどクリスマスの文化を持つ国から移住した人たちに楽しんでもらおうと、24日夜、礼拝ともちよりの食事会とが行われた。あっぱれ熱血メノー牧師。
会では7カ国からのチームが、クリスマスの歌をそれぞれの言葉で歌った。世界の四隅から人々が移住してくるイスラエルだからこそ可能なプログラムで、感動していた人も多かった。ちなみに日本語もエントリーした。
<ベツレヘム>
2012年、パレスチナは、ベツレヘムの生誕教会ユネスコ認定、国連での格上げで、特別な意味でのクリスマスとなった。生誕教会での深夜ミサには、アッバス議長の他、ファイヤド首相も出席した。(議長らはイスラム教徒)
生誕教会前広場は、今年も電飾で飾られた大きなツリーと、数千人の観光客でにぎわった。(写真はYネットより)。ベツレヘム市内34カ所のホテルは、すべて満員。広場ではステージが組まれて、クワイヤが歌ったり、パレスチナ人の子供たちや鼓笛隊によるパレードなども行われた。
しかしながら、台頭するイスラム主義や迫害を受けて、西岸地区のクリスチャンは今も海外へ流出し続けており、ベツレヘムのキリスト教徒の人口は全体の3割程度にまで落ち込んでいる。実際は、ベツレヘムはイスラムの町なのである。
そのため、ベツレヘムのクリスマスは、観光客勧誘目的と政治的な要素もありで、けっこう世俗的であることを否めないのも事実。
<イスラエル国内のアラブ人クリスチャン>
パレスチナに比べると、民主国家イスラエルでは、多少の差別は避けられないが、確かにキリスト教徒も自由に信仰を守る事ができている。ナザレなど北部には多くのアラブ人クリスチャンがおり、静かで家庭的なクリスマスを楽しんでいる。
レバノンの国境からイスラエル領内わずか8キロのところにある町ミーリヤは、人口3100人。めずらしく100%キリスト教徒の町である。実際に日曜に礼拝に来るのは全体の8%だというが、一応、全員ギリシャ・カトリック教徒。教師や弁護士など高学歴の人が多く、皆中流家庭である。
この町で教会の長老的存在ラウヤさんのお宅を取材。大きなクリスマスツリーをはじめ、家中が様々なクリスマスグッズで飾られていた。
ラウヤさん一家は、世俗的な一家だったが、1996年、彼の妻の重篤な病気が奇跡的に癒されたという経験から、祖父母をはじめ、全員、信仰に立ち返ったという。今では毎日午後5時、家族や近所の人々も参加して、聖書朗読と祈りを続けている。
娘さんがアラビア語でおなじみのクリスマスの賛美歌「神の御子は今宵しも」を歌ってくれた。迫害多いイスラム諸国のことばアラビア語でも、この歌が歌われていることに感動だった。(写真・手前がラウヤさん)
<ネタニヤフ首相あいさつ>
ネタニヤフ首相のクリスマスのあいさつ。今年はけっこう政治的だった。中東で信教の自由が認められ、クリスチャンの礼拝が保護されているのはイスラエルだけだと強調。来年はぜひ「永遠に私たちの首都エルサレム」を訪問してくださいと語った。(それを笑顔なく怖い顔で語っているのが若干おもしろかったりする。)
www.mfa.gov.il/MFA/Government/Communiques/2012/PM_Netanyahu_Christmas_greeting_24-Dec-2012.htm