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モロッコとイスラエルが国交樹立で合意:トランプ大統領
トランプ大統領は10日、イスラエルとモロッコが、国交正常化で合意したと発表した。アラブ諸国で、イスラエルとの国交に合意を表明をした国は、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダンに続いて4国目になる。
モロッコは、先の3国とは違い、ユダヤ人とは非常に深い歴史を持つ国である。(後述)イスラエルには、100万人にのぼるモロッコ系ユダヤ人(スファラディ)がおり、その文化は、イスラエルにも深く影響を与えている。
これまで正式な国交がない中でも、年間5万人のイスラエル人が、モロッコへ旅行に行っていた。したがって、今回の合意は、以前から十分予想されてきたことであり、長く待たれていたことであったとも言える。今後モロッコとイスラエルは、外交関係、直行便、技術協力などを開始するとのこと。
この良きニュースがちょうどハヌカの初日であったことから、ネタニヤフ首相は、嘆きの壁でのハヌカ・メノラーの点火式にアメリカのフリードマン大使を招き、アメリカへの栄誉のしるしとして、ハヌカ・メノラー1本目の点火を大使に委ねた。
スピーチで、ネタニヤフ首相は、アメリカのトランプ大統領に、イスラエルと中東に平和をもたらすことに努めてくれたことに深い感謝を表明。また、この合意が、イスラエルとモロッコにとって、非常に暖かいものになると述べた。
また、モロッコとイスラエルの関係は、長く互いの愛と尊敬に基づくものであったとし、今回のモハンマド国王の英断は歴史的な決断であったと述べた。
両国の調印式は、トランプ大統領在職中にワシントンで行われるとみられている。
モロッコとユダヤ人の歴史
ユダヤ人が最初にモロッコに移住し始めたのは、70AD、エルサレムが破壊され、ユダヤ人の長い流浪が始まったころとされる。
その後、8世紀に入ると、イスラム帝国(ウマイヤ朝)に支配される。イスラム帝国はここからアル・アンダルス(スペイン)攻撃、支配するようになる。様々なイスラム王朝の支配のあと、大航海時代、15世紀末からはスペインの影響も受けるようになる。
以後、スペインでの異端審問や、1492年のアンダルシア法案(キリスト教に改宗しないユダヤ人はスペインから追放)で、さらにモロッコにユダヤ人が逃れてくるようになった。この人々が、アラブ文化の中で、ユダヤ教スファラディ文化を築き上げていくことになる。モロッコには全国各地に、ユダヤ人のシナゴーグ(カサブランカだけで15箇所)や、歴史遺産が残されている。
その後20世紀初頭、イギリスとフランスの進出の中、モロッコは一時、フランスの保護領となったのち、フランスとスペインの合意で、1912年、スペイン領モロッコとなった。その後、第二次世界大戦中、再びフランス(自由フランス)の支配下に入る。
ホロコーストの時代、モロッコは、ナチスと、それに組したフランスのビシー政権に対し、「ユダヤ人もイスラム人もいない。モロッコ人がいるだけだ。」として、ユダヤ人を引き渡すことはなかったという。
しかし、いた北アフリカで米軍とナチスが争うようになると、モロッコのユダヤ人も強制収容書へ送られたり、虐殺を経験するようになった。1948年にイスラエルが建国してからは、反ユダヤ主義が悪化するようになり、ユダヤ人はイスラエルへ移住していった。
しかし、1956年にフランスから独立すると、移住は一時停止されたが、1963年に再開され、10万人のモロッコ系ユダヤ人がイスラエルへの移住していった。イスラエル建国の1948年、モロッコにいたユダヤ人は、26万5000人。2019年には、2100人になった。
モロッコの歴史には、ユダヤ人の歴史、文化が深く刻みこまれている。このため、モロッコは、反ユダヤ主義がありながらも、他のアラブ諸国よりは、ユダヤ人社会に寛容であった。特に1999年に死去したハッサン王はユダヤ人を保護したことで知られている。
www.jewishvirtuallibrary.org/jews-of-morocco
このため、モロッコとイスラエルには正式な国交がない中で、長いユダヤ人の歴史を訪ねて、イスラエルから毎年、多くの観光客が、モロッコを訪問していたのであった。両国の国交が成立すれば、観光はさらに進むと期待されている。
なお、現在、2500人いるモロッコのユダヤ人は、高齢化が進み、ほとんどは60歳以上だという。新型コロナによる死者が、多く出ていると懸念されていた。
モロッコと西サハラ問題
トランプ大統領は、アブラハム合意を進めるにあたり、応じた国々に感謝の印を約束している。UAEには、最新ステルスF35戦闘機、スーダンは、テロ支援国家のレッテルを外すなどである。
モロッコの場合は、南の西サハラの主権を認めるというものであった。この西サハラは、モロッコの南部に位置し、アルジェリア、モーリタニアとも国境を接している。サハラ沙漠の一部でもあり、国土のほどんとは沙漠である。
この地域は19世紀後半にスペイン領になったが、1958年にタルファヤ地方とイフニ地方をモロッコ(2年前に独立したばかり)に返還。1975年、マドリード協定で、残りの部分を北部はモロッコ、南部は、モーリタニアが分割統治するようになった。
すると、この地域の住民からなるポリサリオ戦線が、これに反発し、アルジェリアの支援で、サハラ・アラブ民主共和国の樹立を宣言。武力闘争を開始する。3年後、モーリタニアは、この地域から撤退。するとモロッコがその地域も支配しようとして武装闘争が続いた。
しかし、1983年、アフリカ統一機構(OAU)のうち26カ国が、このサハラ・アラブ民主共和国を承認し、翌年、OAUに加盟する。するとモロッコはOAUから脱退。紛争が続く。停戦に至ったのは、1991年。以後、国連が監視している。
2017年、モロッコは、アフリカ統一機構へ復帰。西サハラの実質的な管理を行っているのだが、紛争は終わっていなかった。今年11月、つまりはほんのひと月前、モロッコが、モーリタニアとの国境で、サハラ・アラブ民主共和国(ポリサリオ戦線)と衝突。ポリサリオ戦線は、停戦が終わったと宣言するに至っている。
この30年前からの紛争で、西サハラ地域からアルジェリアに難民となって逃れた人々が、そのまま忘れられているという。国際社会からも見捨てられ、人道支援もなおざりにされているとBBCは伝えている。
www.bbc.com/news/world-africa-55266089
この状況の中で、今回、アメリカは、西サハラの主権は、モロッコにあると認めたということである。これでポリサリオ戦線が、諦めて、和平になればよいが、スーダンと同様、まだ紛争に湯気が上がっている地域ということである。
アブラハム合意:進展と課題
UAEとバーレーンについては、民間機直行便の発着による観光、技術協力など、実際の国交に向けた動きがどんどん進んでいる。UAEについては、西岸地区の製品をボイコットするための生産地表示を義務化しないなど、実際のイスラエルとの友好関係にまで言及し始めている。
スーダンについては、UAE、バーレーンと違って長年イスラエルに敵対してきた国である。1967年の六日戦争の際、アラブ諸国がその首都ハルツームに集まり、3つのノー”イスラエルとの和平にNO,イスラエル承認にNO、イスラエルとの交渉にNO”を宣言したことで知られる。
そうした背景がありながら、スーダンがイスラエルとの合意を表明したのは、アメリカにテロ支援国家のレッテルを外してもらい、国際社会との貿易を通じて経済を回復させるためである。
しかし、合意を表明した政権は、2019年8月に立ち上がったばかりの政権で、まだイスラエルとの平和な国交に合意しない者もいる。実際の調印は、2022年に正式な政府がたち上がってからではないかとも言われている。
mtolive.net/筋金入りテロ国家・スーダンがイスラエルとの和/
石のひとりごと
アラブ社会とイスラエルとの国交は、それぞれの事情や、経済的な必要から実現しているのだが、そこに多少の無理はあるのかもしれない。トランプ大統領は、多少、汚く、またゴリおししてでも、イスラエルとアラブ諸国との和平を進めているといえる。欧州もコロナで忙しく、アメリカの動きにいちいち反応していられないようでもある。
時期アメリカ政権がバイデン氏になるのかどうか、まだ決定したわけではないが、バイデン氏は、アラブ諸国とイスラエルとの和平の流れは続けたいと表明している。ただ、ここまで大胆で思い切った条件をバイデン氏が提示できるかどうかは不明である。トランプ政権も今のうちに、できるだけの多くの国とアブラハム合意を進めておこうとしているようである。
最大のターゲットはサウジアラビアだが、モロッコとの合意の背後には、サウジアラビアがいたという分析もある。サウジアラビアとの合意は、あるだろうか。それこそ大ニュースになるだろう。来年1月20日まで、まさに、まだまだ何が起こるかわからない状況である。