今年も27日夕刻からハヌカが始まり、町のあちこち、正統派の家々の前や窓辺に、ハヌキヤとよばれるろうそくに火がともりはじめた。嘆きの壁では、28日、ネタニヤフ首相が2本目のろうそくに火をつけた。ろうそくは毎日1本づつ、12月4日の夜まで続けられる。
エルサレムでは、冬時間になってから、午後4時をすぎると一気に暗くなる。嘆きの壁でのろうそく点火は、4時半ぐらいと、夜長の季節になっている。
*ハヌカとは?
紀元前168年、イスラエルのマカビー一族が、当時エルサレムを支配していた残虐きわまりないシリア軍を撃退。神殿をきよめなおしたという事件を記念する祭りがハヌカである。
ちなみに当時のシリアの支配者アンティオコス4世エピファネス王は、反キリストの型ともいわれるほど神殿を汚した人物。
マカビー一族が神殿をきよめ直したとき、神殿には神殿用の聖なる油が一日分しかなかった。しかし、神殿のろうそく(メノラー)は8日間燃え続けたという。この伝説にしたがって、ユダヤ人たちは、9本枝のメノラーに毎日一本づつ、8日間、火をともすのである。(一本は着火用)
この時期、イスラエルの教会で語られるメッセージは、「イエスによる罪の赦しときよめに感謝し、自分自身を今一度捧げ直す」ということがテーマになることが多い。(イエスも祝ったハヌカ・・ヨハネ10:22,23)
<ハヌカの風物詩>
ハヌカでは、油にちなんで、「スフガニヤ」という揚げパン、「ラトキス」とよばれるポテトパンケーキを食べる。町にはカラフルなスフガニヤが並んで、見るだけでも楽しい。ただし、かなりのハイカロリー。ヘルシー志向の人のために、ノンオイルスフガニヤも登場している。(これでは無意味だが・・・)
「楽しむ」天才、ユダヤ人は、この時期、様々なフェスティバルや催しを開催し、夜な夜な楽しんでいる。キブツなどでは、住民が皆で集まって子どもの劇や合奏が披露される。日本では、こういう場合、かなり練習し、子どもたちは緊張しながら、親たちの前にでるものである。
ところが、子煩悩のイスラエル人は、できのよさには、ほとんど関心がない。ただただわが子がかわいいので、できあがりはどんなにひどくても、そこに立っているだけでうれしいのである。超にこにこ顔で見ている。
子どもの方も、「これは父も母もやってきたことで、自分もやっている」的な感じだが、このような習慣の中でコミュニティに守られながら”ユダヤ文化”を身につけていくのである。
近くのモシャブのハヌカの集まりを取材させてもらった。多くの家族連れが集まってごちゃごちゃで、いつのまにか子どもの演奏が始まっていたが、案の定、予想以上の完成度の低さ・・。親以外にはほとんど聞いていないのではと思われた。
教師かなにか、前に立っている司会らしき人が叫んでいたが、だれもあまり聞いていないので、いつ始まったのか、いつ終わったのかわからないほどだった。それでも、楽しい!これがイスラエル人である。
ところで、クリスマスと同時期に来るハヌカには、ユダヤ人の子どもたちも、おもちゃを買ってもらったりしている。
最近では「お年玉」ならぬ「ハヌカ玉」というか、おじいちゃんおばあちゃんが、孫にお金を与える習慣も登場し、テレビではその是非や、与え方が論じられていた。
<テルアビブらしいハヌカ>
テルアビブでは、世界最大の高さ27mの電気ハヌキヤがたちあげられ、市民を楽しませている。また28日夜には、ダンスなどのフェスティバルが行われたが、その締めをゲイ・グループが行う。
ハヌカとは関係がないが、11月29日は、1947年に国連がパレスチナ分割案を採択し、イスラエルの存在が認められた日である。
この日を記念して、29日、テルアビブでは「ナクバ・フィルムフェスティバル」が始まった。これは、「イスラエルの建国はパレスチナ人にとっては「悲劇」だった」という見方を取り扱った映画祭ということである。
ハヌカにゲイ、イスラエルの建国への別視線・・テルアビブの反逆児ぶりは、相変わらずである。が、同時にイスラエルがいかに民主主義国かということも世界は認めるべきであろう。
<ハヌカでもテロに休みなし>
ハヌカ2日目の28日、エルサレム郊外では、走行中のユダヤ人家族(母と3人の子ども)の車に、1.5Kgの大きな石が投げつけられ、2才の女の子が中等度の頭部外傷を負った。
家族は、ハヌカのろうそくをともすために帰宅途中だった。警察は容疑者のアラブ人4人(15~20才)を逮捕した。
<ハヌカ直前、国民的歌手急逝>
日本でいえば、加藤登紀子かさだまさし。60~70年代にイスラエルのフォークソングでヒットを飛ばし、いわば近代イスラエル文化を創り上げてきた1人、アリック・アインシュタイン(74)が、ハヌカ直前に、大動脈瘤で急逝した。
50才以上の人なら、この人の歌とともに育ったといってもよく、亡くなってからの扱いは、美空ひばりが亡くなったときぐらいの反応だ。ネタニヤフ首相も公式にあいさつをしている。3日たった今も、自宅前に花が置かれ、まだニュースで特集がとりあげられている。