第57回目エルサレム統一記念日:極右から左派まで混在するイスラエル社会象徴 2024.6.8

Jerusalem’s Old City, June 5, 2024. (Sam Sokol/Times of Israel)

いつもより過激?第57回エルサレム統一記念日

6月5日は、1967年の六日戦争以来、57回目のエルサレム統一記念日だった。

今年もエルサレムは、神がユダヤ人に与えたと信じる右派ユダヤ人の若者たちが、エルサレムに集結し、イスラエルの旗を振り回して喜びを表現した。

嘆きの壁では、朝から、すでに、輪になって踊りながら、喜びを表現する若者たちがいた。ユダヤ教正統派なので、男女分かれてのダンスである。エルサレムが、ユダヤ人の国、イスラエルの首都であることを祝っているのである。

午前中にいた若者たちは、午後の過激な若者たちと違い、自分の国やエルサレムを喜んでいるという感じである。

午後になると。第二神殿の絵のついたTシャツを着るなど、シオニストの若者たちが続々と集まってくる。個人ではなく、グループごとに若いユースリーダー的な人が率いている。

この日に備え、イスラエルの国境警備隊員3000人が、前日から厳重な警備を開始。エルサレム市内の公共交通は午後2時には、広範囲に一時的に停止となった。

厳しい警備の中、メインのイベントは、午後4時ぐらいから行われる、グレートシナゴーグ前での集会と、そこから嘆きの壁までのフラッグマーチ(旗の行進)である。

今年は、問題の極右政治家ベングビル氏が、「エルサレムは私たちのものだ。ダマスカス門も、神殿の丘も私たちのものだ」「勝利のためには、北のヒズボラも滅ぼすべき」と過激なスピーチを行っていた。

その後、若者たち数万人が、旗を振って叫びながら旧市街を壁沿いに進み、ダマスカス門を経由して、嘆きの壁へと行進していった。

旧市街では、イスラエルの旗を振り回して、イスラム地区を突っ切っていく。パレスチナ人の店はほとんどは閉まっている状態である。その中を、激しく興奮した右派の男子たちが、「完全な勝利」とか「ガザへの再定住」などと、アラブ人たちには聞きづてならない言葉を叫んでいた。

やがて、「アラブは死ね」と叫び始め、アラブ人たちに石を投げるなどして衝突。警察が必死にこれを分離しようとしたが、ユダヤ人ら18人が逮捕された。
www.timesofisrael.com/jerusalem-day-flag-march-marred-by-far-right-violence-under-shadow-of-war/

この日、取材していたジャーナリストたちも軽く負傷した人が出ていたとのこと。筆者は午前中に旧市街に行ったが、この時点では、まだ若者たちが平和的に、喜びを表現しているだけであった。この人々も、第二神殿のTシャツを着ていたが、その後帰路についていたので、午後の過激派とは別の動きをしていたとみられる。

中道左派たちの動き

この日、左派たちは、パレスチナ人への挑発だとして、エルサレムには行かないと主張する。

一方、旧市街では、イスラエル人全部が右翼ではないということを表すため、ユダヤ人・アラブ人双方に立つと主張する、イスラエル人のグループ「Standing together(共に立つ)」も立っていた。

今年のフラッグマーチは例年になく過激であった。残念ながら、毎年、アラブ人を排除しようとする極右ユダヤ人の行動が激化しており、国際社会での印象を悪くしていると、上記団体の創設者アロン・リー・グリーンさんは語っている。

June 5, 2024. (Gadi Gvaryahu/Tag Meir)

また別の団体は、「花の行進」として、アラブ人たちに花を手渡していくユダヤ人のグループもある。

ユダヤ人はいったい何をいいたいのか。アラブ人たちにとっては、なんとも複雑だろうか?

エルサレム統一記念日は、多様なイスラエル社会を象徴しているような1日であった。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。