パレスチナ関連の重大テロ:最近のまとめ 2018.2.17

ここ2週間の間にパレスチナ人による重大なテロが、2件発生したので、まとめておく。

6日、西岸地区の中にあるイスラエルのアリエル市で、ユダヤ教ラビのイタマル・ベン・ガルさん(29)が、19歳のパレスチナ人にナイフで刺されて死亡した。妻とまだ幼い子供達4人が残された。

テロリストは、ヤッフォに住むイスラエルのアラブ人アベッド・アル・カリム・アシシ(19)。母親はイスラエル人で、父親がパレスチナ人。れっきとしたイスラエル国籍のアラブ人であった。

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5090186,00.html

12日、イスラエル軍の軍用車がナビに従っていて誤って、西岸地区、ジェニンに迷い込んだ。乗っていた女性兵士、男性兵士は、パレスチな人の群衆に囲まれ、石を投げられるなどしてリンチされそうになった。

この時、100人以上のパレスチナ自治治安部隊、警察などが、協力して2人を救出。自治警察の警察車両に乗せてイスラエルへ無事引き渡した。軍用車両もイスラエルに返還している。

兵士2人は顔などにひどい負傷をおい、1人は武器を奪われていた。

パレスチナ自治警察は、イスラエル兵を救出した理由について、人道的な点だけでなく、もし兵士が死亡した場合、イスラエル軍がジェニンになだれ込んでくることを防ぎたかったと語っている。

エルサレムポストが、パレスチナ自治警察の情報として伝えたところによると、昨年1月から11月8日の間に、道に迷ってリンチされそうになり、自治警察に救出されたイスラエル兵は、564人にのぼるという。

www.jpost.com/Arab-Israeli-Conflict/IDF-soldiers-assailed-by-Palestinians-after-accidentally-entering-Jenin-542398

<嘆きの花嫁:犠牲者家族未亡人たち2人>

今年1月9日、西岸地区では、小さな子供を6人も持つ父親でラビのラジエル・シェバフさん(35)が、車からの銃撃テロにあい、殺害された。

その遺族で未亡人となったヤエル・シェバフさん(32)が、今回夫を失ったミリアム・ベン・ガルさんを訪問した。

2人はまったくの他人ではない。ヤエルさんの夫はミリアムさんの夫を知っており、ヤエルさんとミリアムさんも顔見知りであった。しかし、これまで、互いに話したことはなかった。今回のことで2人がだれよりも近くなったと感じている。

ミリアムさんは、夫の葬儀で、自分と左右に並んで歩く両親の間で、健婚式のことを思い出したという。結婚式でもちょうど同じように歩いたからである。するとやエルさんの父親も夫の葬儀の時に同じことを言っていたと言った。

ミリアムさんの夫の遺体は、結婚式の時に使った祈りのショールに覆われていた。結婚式の時は、その同じ祈りのショールを肩に羽織っている夫の後ろを、ミリアムさんとその左右に両親がとともに歩き、その後ろから大勢の家族親族友人たちが、ちょうど、葬儀の日と同じように続いたのだという。

ヤエルさんは、「葬儀は新しく生まれ変わる日のようなもの。結婚式で人生が変わるが、死も同じ。この日から人生は大きく変わる。人生は変わっていくもの。私たちは、生まれ変わって、自分をアップクレードしていかなければならない。」とミリアムさんに語った。

また、イスラエルの建国に戦いがあって兵士が亡くなったように、今入植地として開拓する地も正式な市になるまでには、戦いがあり、死ぬものもある。そういうものだと語り、今は夫がが望んだように、ハル・ブラハ(祝福の山)がイスラエルのものになるようにと願っている。それこそがテロへの勝利だと思うと語った。

<石のひとりごと>

テロで、大事な夫や父親を亡くした人がいる。北部では、緊張が高まり、夫や息子を従軍させている家庭は気が気ではないだろう。一方で首相が逮捕されるかもしれないという。日本人なら1人で、3回ぐらい自殺しているのではないか。しかし、イスラエル社会の様子には、全く変わりない。

深刻なニュースのあとには、お笑い番組が続くし、春になったので国立公園は、毎週末大勢の家族連れでにぎわっている。しかし、よく考えれば、ここで起こっている事は、やはり、どれも日本なら何ヶ月も引きずるような大事なのである。

犠牲者家族になってしまったときは、「自分の番」が来たと受け止めるしかない。しかし、社会は、昨日のニュースももう明日には消え去っている。何であったかさえすっかり忘れてしまうのである。

とにかくさっさと切り替え、今日も明日もせいいっぱい楽しく生きる。いつまでも覚えていて根に持つ、という暇がない感じである。

先日、ホロコーストの時代に、6歳にして、家族を全員を失い、収容所を転々とさせられ、最後はベルゲン・ベルゼン強制収容所で、死体の山の中で過ごしたという女性の話を聞いた。その人は、ホロコーストから解放後も母親、つまり世話をしてくれる女性が6人も次々に変わったという。死に別れたことがほとんどである。

しかし、最終的にはアメリカへ引き取られ、その後は幸せな人生となったと自ら語る。今では大勢の子供に恵まれ、孫が20人以上、ひ孫もたくさんいるという。

彼女はいまでは、世界中で、刑務所にいる囚人たちにも励ましになっている。「何がなんでも、あきらめてはならない。やらなければならないときは、やらなければならないだけ。」彼女のメッセージには、ものすごい力があった。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。