ベツレヘムでは12月に入ると、様々なクリスマスのイベントが続く。2日、そのかわきりとして、まぶね広場の巨大ツリーの点火式が行われた。3日より、ベツレヘムは、クリスマス・マーケット、子供のためのイベントなどが毎日のように行われる。1年で最もにぎやかな時期となる。
クリスマスイブには市が主催する聖歌隊のコンサートが行われ、夜には、アッバス議長も出席して、生誕教会でのカトリックのミサが行われる。
しかし、言うまでもなく、ベツレヘムはクリスチャンの町ではない。クリスチャンはどんどん出て行ってしまい、今は、イスラムの町である。パレスチナ自治政府をあげてクリスマス行事をやるのは、キリスト誕生の町としての世界への責任、宣伝というところである。
www.al-monitor.com/pulse/originals/2016/12/palestinians-bethlehem-christmas-municipality-tree.html
<分離壁とイスラエルへの憎しみの町>
ベツレヘムは、パレスチナ国家設立を目指すことで合意したオスロ合意により、1995年からエリアA、パレスチナの完全自治の地域となった。ところが、その後、ベツレヘムから多数のテロリストが、イスラエルで、深刻なテロ事件をするようになった。
その対処として、イスラエルは、ベツレヘムとの間に、高さ8mのコンクリからなる防護壁を立てて、テロリストが入ってこないようにした。
ベツレヘムのベラ・バブーン市長は、今やベツレヘム管区には,19箇所ものユダヤ人入植地があり、防護壁や、入植地を結ぶ新しい道路によってベツレヘム管区は分断。防護壁建設のための土地の一部はイスラエルが、パレスチナ人から搾取したと訴えている。
国際社会は、この防護壁こそが平和への障害だとして、いっせいにイスラエルを非難する。ベツレヘム側の防護壁には、世界中のアーティストが、平和運動の一環として絵を書いて観光客が来るほか、壁の前にホテルを建てて、「世界で最も景色の悪いホテル」と称して訴えている。
しかし、壁ができるまでに、多くのテロリストがイスラエルで、自爆テロなど深刻なテロ事件を起こし、多くのイスラエル人が死亡したことは誰も語らない。イスラエルの存在自体がすでに悪いと考える人が多いので、イスラエルへのテロはどういうわけか正当化されてしまうようである。
一般のパレスチナ人がこの分離壁でおおいに迷惑していることは確かである。しかし、だからといってテロを行う一部のパレスチナ人のことは棚にあげ、イスラエルだけを一方的に責めるのは、これもまた不条理ではないだろうか。
ベツレヘムの防護(分離)壁前ホテル:BBC取材
www.bbc.com/news/av/world-middle-east-39157856/banksy-hotel-the-walled-off-opens-in-bethlehem
今年もクリスマスがやってくる。世界中がベツレヘムでの出来事を祝う。この時、今現在のベツレヘムに住む一般の非常に貧しいパレスチナ人たち、そこにひそむテロリストたちの憎しみで凝り固まった思想、また、このクリスマス期間中も、ベツレヘム周辺で護衛にあたるイスラエル兵たちを覚えてとりなしていただければ幸いである。