荒れ模様のパレスチナ自治区 2016.11.6

先週から、西岸地区で、検問所などにいるイスラエル兵を標的にしたパレスチナ人のテロが相次いでいる。これと並行し、パレスチナ難民キャンプで、暴力的な派閥争いも報告された。

<パレスチナ自治警察官がテロ事件>

10月31日、ラマラに近い入植地ベテル近くの検問所で、パレスチナ人がイスラエル兵らに向かって発砲し、兵士ら3人が負傷した。1人(20)は下肢を撃たれて重症となっている。犯人はその場で撃たれて死亡した。

www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/219590

犯人は、パレスチナ自治警察特殊部隊隊員のモハンマド・タークマン(25)だった。タークマンが、パレスチナメディアに語ったところによると、自治警察は、事件発生前に自宅にタークマンを捜索しに来たという。タークマンは、任務で使う武器を持ったまま部署を離れ、犯行に至っていた。

www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/219672

イスラエル軍はこの警察官の自宅を破壊するとともに、親族一同のイスラエル国内での労働許可を剥奪した。

この事件が発生した翌日には、ヘブロンの父祖の墓付近の検問所に、あやしい動きのパレスチナ人女性がいたため、治安部隊が鞄の中をチェックしたところ、ナイフ2つを所持しており、その場で逮捕された。

www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/219637

この他、3日夕方から夜、イスラエル軍兵士を狙ったナイフによるテロが西岸地区の入植地オフラでも発生。テロリストは撃たれて死亡。ツルカレムでは兵士への発砲で、1人が負傷。テロリストはその場から逃亡したため捜索中である。

<難民キャンプでパレスチナ人同士の争い>

チャンネル2が報じたところによると、西岸地区では最大のナブルス近郊、バラータ難民キャンプ(人口23000人)では、ここ数週間、毎夜、パレスチナ自治警察部隊が突入して、”危険分子”を逮捕している。

このうち2回は2000人規模の部隊で、自治警察の突撃隊と、それに抵抗する難民キャンプの間で実弾による銃撃戦になっている。

チャンネル2の取材では、キャンプ住民らが、銃弾で穴だらけになった壁を見せ、「彼ら(パレスチナ自治警察)は、我々の上に200万シェケル分の銃弾を無駄に使った。」と語っていた。

こうした難民キャンプと、パレスチナ自治政府の間で、衝突が発生するのは今に始まったことではない。2015年にも大規模な衝突が発生している。この背景には、パレスチナ自治政府内部の派閥争いが緊迫化していることが考えられる。

アッバス議長率いるパレスチナ自治政府が、難民キャンプで”危険分子”として逮捕しているのは、ハマスに加え、アッバス議長のライバルと目されるモハンマド・ダーラン氏の支持者などアッバス氏に反抗的なグループである。

ダーラン氏は、アッバス議長と同じファタハのメンバーだが、ガザ地区難民キャンプ出身で、2007年にハマスがガザ地区を占領するのを阻止できなかったとして、後には西岸地区を追放されている。

しかし、ダーラン氏は、追放後アラブ首長国連邦に在住し、湾岸アラブ諸国やエジプトとの強い支持基盤を確立し、経済力も得た。その経済を使って西岸地区の難民キャンプを支援してきたことから、キャンプ内にはダーラン氏の支持者も少なくないのである。

これに対し、アッバス議長は在職12年の間に、難民キャンプの生活改善をまったく図ってこなかった。また、アッバス議長が、イスラエルの治安部隊と協力したり、先にはペレス故大統領の葬儀にも列席したアッバス議長への反発も高まっている。

そのためアッバス議長は難民キャンプの取り締まりを強化しているというわけである。

そのダーラン氏だが、自分が時期議長になる気はなく、現在イスラエルの刑務所にいるマルワン・バルグーティが議長を支持すると表明。アッバス議長後には、西岸地区に復帰する意思を表明した。

バルグーティについては、前首相のサエブ・エレカット氏も支持を表明している。アッバス議長後と目される指導者がいない中、もし、将来、議長選挙が行われた場合、バルグーティが投票最多になる可能性がある。

バルグーティは、テロを先導してイスラエル人複数を殺害したとして、終身刑7回、つまり、イスラエルに死刑がないので死刑にならないだけで、実質、死刑以上の刑を言い渡されている。

もし選挙が行われ、バルグーティが議長になることがパレスチナの民意であることが明らかになった場合、ちょうどパレスチナのネルソン・マンデラのようになり、イスラエルに釈放への圧力がかかると懸念されている。

www.jpost.com/Middle-East/Palestinian-Affairs-The-post-Abbas-scenario-470085

<アッバス議長は何を考えているのか?>

こうしてみると、アッバス議長の信任は、ジリ貧のようでもある。それでも今の地位に居続けるためには、国際社会を味方につけておくしかない、というのが、アッバス議長の作戦のようである。

アッバス議長はこれまでにユネスコでパレスチナを国家と認めさせた。続いて今は、神殿の丘をユダヤ人の歴史と切り離したような決議案を認めるに至っている。アッバス議長が次にアプローチしているのは、国際法廷で、イスラエルを戦犯にすることである。

しかし、こうした国際社会での動きが、特にパレスチナ人の生活に変化をもたらしたとは言いがたく、むしろ、”何もなしえなかったリーダー”とのイメージがパレスチナ人の間で広がっている。

アッバス議長後の次世代が、今より過激になるのか、意外にその逆になるのか、はたまたハマスに取って代わられてしまうのか、これはもうフタを開けてみないと、パレスチナ人ですら、まったく予想もできない。。。という状況である。

*パレスチナ難民キャンプとは?

パレスチナ難民キャンプと呼ばれている地域は、イスラエルが独立したことによって発生したパレスチナ難民のキャンプである。とはいえ、イスラエルが独立してからすでに68年。実際には、当時難民とその子孫が住んでおり、いわゆるテント生活のキャンプではない。粗末だが屋根のある家々やアパートが隣接する地域である。

上記バラータ難民キャンプのように、大きなパレスチナ自治区都市に隣接し、現在、ガザ地区に8箇所(約122万人)、西岸地区に20箇所(約74万人)となっている。

パレスチナ人というと、全員貧しいように思われがちだが、東エルサレムにも西岸地区のパレスチナ自治区にも、かなりの豪邸がところどころにみられる。海外にビジネスを持っていたり、様々な理由でパレスチナ人にも富豪は少なからずいる。

一方で失業率は高く、貧しい人は、子供が道でものを売り歩くほど、とことん貧しい。パレスチナ社会も、多様性に富んだ社会であり、貧富の差はかなり大きい。ダーラン氏はこの貧しい人々への支援活動を行っていた。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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