人種差別?エチオピア系青年ガザで行方不明 2014.7.12

アシュケロン在住のエチオピア系ユダヤ人アブラ・マンギストさん(26)が、昨年のガザとの戦争ツック・イタン作戦が停戦に入った約1ヶ月後、単独でガザ地区に入り、そのまま行方不明になっていたことが報道解禁となった。

アブラさんは、昨年9月、アシュケロンの砂浜からそのまま歩いて南下し、柵を超えて、一人でガザ地区内に入り、パレスチナ人の漁師らに捕まった。そのままハマスへ連行されたとみられる。

イスラエルのメディアによると、ハマスは、アブラさんを逮捕したものの、イスラエル兵ではないことがわかったため、解放したところ、そのままエジプトの方へ行ってしまったと主張しているという。

ハマスの証言をそのまま信じる事はできないのだが、いずれにしても、生死は不明であり、もし生きていたとしても行方不明ということである。最悪の場合、アブラさんが、ハマスからISISの手に落ちた可能性もある。

イスラエル政府は極秘で対処していたが、この件については、人質交換に応じるケースではないと判断し、昨日報道解禁となったものである。

問題は、アブラさんが、黒人で人種差別を受け、社会的弱者とされるエチオピア系であったことと、精神的に不安定(一部のメディアでは精神病と報道)な人であったということである。

イスラエル政府は、本気でアブラさんと取り戻そうとしていなかったのではないか、人種差別の匂いがするといった記事の扱いになっている。また、人が一人で柵を超えて行くのを軍はだまって見過ごしたのかとも言われる。

これについてイスラエル軍は、監視カメラで民間人らしき人物が柵に近づいていたため、駆けつけて、制止しようとしたが間に合わなかったと状況説明している。

また、当時はまだ停戦に入ったばかりで、様々な情報が混乱していたと言っている。

実際、イスラエルのメディアによると、もう一人、同じ時期に、アブラさんと同様に、精神的な課題があったとみられるベドウイン青年(イスラエル市民)がガザ地区に入ったまま、行方不明になっている。この人については名前を含め、詳細はまだ解禁になっていない。

<ネタニヤフ首相が尻拭い>

アブラさんとベドウインの2人がガザで行方不明になっていることについて、イスラエル政府は、この件を、闇の中で対処しようとしたのか、政府の治安委員会にすら知らせていなかった。

またアブラさんの家族に対し、ネタニヤフ首相府の担当官が、「だまっていないと息子は長い間帰らないことになる。」といった脅迫まがいの発言をして、家族に厳しく口止めしていたことが、チャンネル10の調べで明らかになった。

全国放送で、家族と担当官の会話の録音テープ流されたことを受けて、担当官はすぐに家族に謝罪。さらに、ネタニヤフ首相が直々に家族を訪問し、「政府としては、アブラさんを奪回するため、できるだけのことをする。」と伝えた。

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4678478,00.html

<微妙なエチオピア人系住民の社会的地位>

アブラさん一家は1980年代にモーセ作戦でエチオピアからイスラエルに移住した一家である。イスラエルへ移住したものの、貧しさから抜け出せず、エルサレムからアシュケロンへ移動した。

3年前には、アブラさんの兄が、自ら食を断って餓死自殺。これをきっかけに、両親は離婚。このころからアブラさんの精神状態が不安定になったという。昨年の戦争中は、警報が鳴っても、シェルターに入らず、町をふらふらと歩くアブラさんの姿が目撃されてる。

アブラさんの母親は、2人目の息子の消息がわからなくなって10ヶ月間、情報ももらえないまま、ただ待つ事で痛みはますばかりと苦しみを訴えている。

エチオピアからの移住者については、イスラエル人の中にも、ユダヤ人かどうかを疑う人も、少なからずいるようである。最近、イスラエルにあるエチオピア人に対する人種差別が、問題となり、大規模なデモも発生している。

<イスラエル兵2人の遺体返還への交渉は継続>

アブラさんと、まだ情報が明らかにはされていないベドウイン系市民の問題とは別に、イスラエルは、昨年の戦争中にガザで戦死したイスラエル兵2人の遺体を取り戻すよう、努力が続けられている。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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