www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4645979,00.html
カトリックとプロテスタントの復活祭は先週日曜だった。これに対し、正教会、または東方教会の復活祭は今週末だった。
先週末は、西洋人と韓国人中国人などのアジア人で混雑したエルサレムだったが、今週はロシア人の他、グルジアや、ルーマニア、エジプト、エチオピア人、エリトリア人など、(ロシア人は別として)オリエンタル系の人々であふれかえっている。
特に11日は、聖墳墓教会(イエスの十字架と復活の地とされる教会)での聖火の奇跡の儀の日であったため、旧市街は、ユダヤ地区以外は、大混乱だった。
聖火の儀とは、イエスの復活を記念し、聖墳墓教会内でともされた火を世界中の正教会司祭らが受け継ぎ、それぞれの国の人々に祝福を届けるという儀式である。その火をもって12日の復活祭を各地で行うのである。
この儀式の発祥は、歴史家エウセビウス(263-339年)の記録によれば、162年にまで遡る。当時復活祭の時に、十分な油がなかったため、司祭はランプに水を注ぐように指示した。すると天から火が与えられたという。
今は、当然、天から火が降ってくる事はないので、教会の中で火が起こされ、その火を人々がリレー式にわかちあって光がどんどん広がって世界中に届けられていくという儀式である。NHKなどでどりあげられたこともあるはずだ。
www.timesofisrael.com/orthodox-christians-mark-holy-fire-rite-in-jerusalem/
この日、聖墳墓教会の中は、たいまつみたいな長いろうそくを持った人々でぎっしりになる。それらが全員火を受け取るのだから、よく今まで、火事や服に火がついてしまう人がいなかったものである。伝統では、この火は、さわっても火傷しない、むしろ触ったら祝福になるという奇跡の火なのだそうである。
この儀式は、昔からエルサレムにとっては、キリスト教巡礼の目玉であり、特に17,18世紀にはロシアから群衆となって巡礼者が訪れていたという。これもまたエルサレムの一場面である。この昔ながらの伝統行事をを取材に行って来た。
*正教会、東方教会とは?
エルサレムのキリスト教会は、西暦70年の神殿崩壊までは、初代教会と呼ばれ、ユダヤ人指導者が導いていた。この後を引き継いで、エルサレム教会を導いたのが正教会である。
正教会は、最初はギリシャ正教だけだったが、やがて教義の違いや地域によって、ロシア正教、エジプトのコプト教、エチオピアの正教会、アルメニア正教会といったグループに分かれていった。
一方、西のカトリックは、ローマ帝国の主都がまだローマの時代に、ローマを中心として発達した教会である。後にカトリックから分裂するプロテスタントも含めて西方教会と呼ばれる。
やがて、ローマ帝国が東西に分裂して東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の主都がコンスタンティノープルになると、エルサレムの重要性は維持しながらも、正教会の中心は、コンスタンティノープル(今のイスタンブール)へと移って行く。この流れを東方教会と呼ぶようになっていった。
こうして東西、文化的にも違う2種類のキリスト教会が対立する図式ができあがっていった。東西教会は、1054年に正式に相互は門、つまり、分裂している。今世紀に入ってから、歩み寄りと和解へ試みがすすめられているところである。
現在、信者の数では、西のカトリックの方が圧倒的に多い(13億人)が、東方教会(3億人)は、エルサレムで最も古くから存在する元祖ということで、オーソドックス、”正”教会と呼んでいるのである。
*聖墳墓教会とは?
イエスの十字架と墓があったとされる地をおおうようにして建てられている教会。325年に、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世が建立した。
その後、イスラムや十字軍が入れ替わり立ち代わり支配する中、何度も火災や破壊に見舞われ、様々な時代に再建、改修がほどこされた。古くはローマ時代、ビザンチン時代から、十字軍の痕跡などが混在する歴史的にも重要な建物である。(エルサレム旧市街はユネスコ世界遺産)
長い歴史を経て、聖墳墓教会には、ギリシャ正教、ロシア正教、コプト教、シリア正教会、エチオピア正教に加えて、カトリックもいるという雑居状態となっている。
実質的に最大勢力はギリシャ正教であるため、その代表が正教会総主教として聖墳墓教会の代表である。しかし、教会内で、暴力沙汰になる争いも後をたたない。政治的にも非常に繊細な場所となっている。今は、1853年に、オスマントルコのスルタンの元、全教派でとりあえず合意した”現状維持”を、なんとか保っているという状況である。
昔からどうしても意見がまとまらないため、教会の扉の鍵は、なんと1187年以来、サラディンのお世話で、地元で有力なアラブ人でイスラム教徒のヌセイベ一族が管理することになっている。
それから900年近くになる今も、ヌセイベ家が、教会の扉を毎日開け閉めしているというなんとも情けない話。。。
<入るだけでも祝福!?:聖墳墓教会のイースター>
正教会信徒は世界に3億人である。それがエルサレムに集まってくるのだから、教会内に入るだけでも相当な祝福だと考えられている。この日ばかりは、いかに記者証があっても入れてもらえなかった。管轄は教会なのである。
あらゆる裏道から入れるかどうか挑戦してみたが、どの道も若いイスラエル兵らが、柵をたてて、5人ぐらいでがっちり閉鎖している。
兵士たちの前には、中に入りたいが入れないというキリスト教徒がびっちりつめかけている。その中をかきわけて現地住民のパレスチナ人がやってきて「通らせろ」と怒鳴っている。たまに正統派ユダヤ教徒もやってきて兵士と交渉している。・・・が、通らせてはもらえない。
兵士に「いつ開くのか」ときくと、「知らん」という。しつこく聞くと、「俺だって早く帰りたいんだ。任務でなかったらこんなところにはいない。休日なのに!」と言われた。
看板でも出して「あと何分」とか書けばいいのに、次から次へと「いつ開くのか」「なぜ閉鎖しているのか。」と際限なく聞かれているのだから、兵士らもいい加減、うんざりしているのだろう。兵士たちは、6時だとか2時だとか2時半だとか、けっこういい加減に答えていた。
立って待つ事1時間半。この間、まわりで押し合いへし合いしている人々に話を聞いてみた。おそろいのぼうしのエジプト人コプト教のおじさんたちのグループはとても感じがよかった。ロシア人の美しい女性たちも、待たされているのに、手にはろうそくを持ってうれしそうに立っている。
その女性は私にもろうそくの束をくれた。イエスの生涯33年を記念して33本がひとまとめになっているのだとか。
別のロシア人の女性は、家族とともに巡礼に来ていたのだが、アラブ人に裏道を通って教会まで案内するといわれたそうである。その額なんと一人200ドル。当然断ったということだが、ひっかかる人もいるのだろう。
赤ちゃんを背負った黒人のエリトリア人の若い家族もいた。白いガーゼのような布を身にまとっているエチオピア人もいる。
後からはグルジアの男性が話しかけて来た。モルドバから来たという女性も。前にはルーマニア人正教徒の若い女性ダイアナさん。英語ができたので、いろいろ教えてもらった。
今日は何のお祝いかと聞くと、驚いたことにイエスの十字架と復活によって、私たちには永遠の命が与えられていると、福音派も顔負けの正確な福音を語ってくれた。
そうこうするうちに、わーっと言う声とともに火が届いた。次々にろうそくに日がリレーして行く。ぎゅうぎゅう詰めの群衆の中をろうそくがともされるのである。けっこう危険なのだが、大丈夫である。例のエジプト人のおじさんたちも笑顔で火を受け取っていた。
<聖墳墓教会周辺>
それからさらに待つ事さらに45分。聖火の儀式が終わったということで、やっと閉鎖が解除になった。兵士たちも表情が疲れきっていたが、それでも「ハグ・サメアッハ」とキリスト教徒らに言いながら人々を通していた。
教会に近づいて行くと、正面の土産物屋さんの前に「押すな。」と複数の言語で書かれた大きなたれまくがあった。
儀式は終わっているのだが、その周りにる兵士や、警察官の多いこと、多いこと!巡礼者に負けないぐらいの数がいて驚いた。若い兵士らは、一応の任務完了で、まだ片付けも終わっていないカオス状態の中、立ったままかなり遅いお昼の菓子パンを食べながら談笑していた。
休日返上でそこまで警備してくれたイスラエル兵に東方教会信徒たちは感謝すべきだろう。
教会入り口は、まだまだ人間の団子状態。出る人と入る人がごっちゃになり、将棋倒しになりそうだった。あまりのもみくちゃで、ここで入場を断念。雨も降って来て最低となった。しかし、もみくちゃになりながらも人々は笑ったりして、悲惨な感じはない。
以前、カトリックのグッドフライデーのエルサレムを取材しやが、兵士と怒鳴り合いになるは、柵を押し倒すはで、マナーはさらに悪かったのを思い出した。ファーストフードに慣れている西欧人よりやはり、オリエンタルの方が、ゆっくりしているのかもしれない。
世界の中心、あらゆる人々が集まるエルサレムの不思議に改めて感動させられた一日だった。
<石のひとりごと>
今回、通常プロテスタントには偶像礼拝とみられている聖墳墓教会を取り上げた。不快に思われた読者があればお詫びしたい。
しかし、エルサレムには、こうした昔からの伝統行事や、イエスの名の元に行われている、プロテスタントの目からみれば偶像礼拝ともとれる行事が、実にたくさん存在していることは知っいただき、とりなしに覚えていただければと思う。
それにしてもエルサレムには、本当にありとあらゆる人々が大群衆でやって来る。それをイスラエルは、拒否するのではなくすべて受け入れ、自国の兵士をだして警備させ(つまり大金を使っている)、いかなる大群衆でも、安全に巡礼できるようにしている。
こんな大技をどこの国ができるというのか。イスラエルがもしパレスチナ人に支配されている土地だったら、一人として安心してエルサレムに来る事はできなかっただろう。やはりイスラエルはこの地を所有し、管理するように召された人々なのである。
あともう一点学んだことは、正教会の人々がいったいどのような信仰を持っているのか、まだまだ不明だが、ルーマニア人正教徒のダイアナさんがあまりにも正確に福音を語った事に驚かされた。
皆がダイアナさんのような信仰を持っているとは限らないのだが、正教会だからといって、頭から偶像礼拝とだけ片付けてしまうのは少々偏見であったかもしれないと思わされた。主はこの人々をも愛しておられる。彼らの笑顔の背後に中東で激しい迫害にあっている正教徒たちを思わされた。
エルサレムに住んで4年目になるが(前期も含めると8年目)、ここはいまだに驚きの満載である。まさに、とこしえに興味深い町である。