27日は、イスラエルで第二インティファーダ(2000-2005)勃発から13年の記念日だった。これを受けてハマスとイスラム聖戦が、イスラエルに対する第三インティファーダを始めるとの宣言を行った。自爆テロも辞さないという。
27日は金曜日でイスラムの礼拝日である。エルサレムでは、イスラエル治安部隊が、暴動を起こす可能性の高い50才以下のパレスチナ人男性が、旧市街の神殿の丘へ入ることを禁止した。
正午12時:ダマスカス門周辺では、相当数のパトカー、救急車、囚人護送車、国境警備隊や暴動処理の機動隊、騎馬上の兵士などいつもより相当に数が多く、かなりものものしかった。ずらりと並ぶ騎馬上の兵士は、まるでかつてのローマ兵のようだった。
イスラムの礼拝が終わると共に、暴動が始まった。大勢の記者とともに暴動の撮影に走ったが、直径20センチもあるような石が、直ぐ横に飛んできて、地面で割れた。
すると今度はイスラエル軍の手榴弾が飛んできて、大きな音と共に破裂した。手榴弾といっても、後で聞くと、威嚇用の音だけのものだったらしい。
イスラエル軍は、実弾の武器を使わず、棍棒をもった兵士、騎馬上の兵士らが馬を使って暴徒を蹴散らしている。といっても馬が実際に人間を蹴り上げることはない。馬が大きいので逃げざるを得ないのである。
状況は常に動いている。はっと気がつくと機動隊真ん前、パレスチナ人との間に立っていた。この状況の中では、確実にパレスチナ人が投げてくる石の方が危ない。・・があわてて逃げた先はイスラエル側。
そのうち、むこうで怒鳴り声がすると思ったら、パレスチナ人が逮捕されていた。いっせいにそこへ走る。このような動きのくりかえし。まるで大人の鬼ごっこのようだった。
午後3時すぎ、急に終了ムードになった。紛争は約3時間。緊張しながらあちこち走り、水を飲む暇もなかった。みると治安部隊の兵士たちも、ゆっくり水を飲みながら歩いている。多くの兵士が携帯で電話していた。近頃、兵士が2人死亡したので、家族に無事を知らせていたのかもしれない。
この後、路面電車で帰宅しようとすると、機動隊兵士たちもすでに電車で帰路についていた。重い防弾直帰を棍棒にさしてくつろいでいる。
7-8分もすると、もうオープン・マーケット、マハネイ・ヤフダに着いた。戦場から突然日常の世界へ。明日は安息日だ。
混雑するマーケットで普通になすびときうりを買ったが、私自身、ちょっと気が変になりそうだった。私はたった3時間、紛争の中にいただけである。戦場と自宅を1週間単位で往復するイスラエル兵たちの神経を思わざるを得なかった。
<神殿の丘のとりあい>
この暴動を見ていたパレスチナ人の男性は、「一般のパレスチナ人は通常は静かにしている。しかし先日、イスラエル軍がアルアクサ(神殿の丘のこと)でパレスチナ人を逮捕した。こんな事態になると、もう押さえられない。
ユダヤ人は今アルアクサを分割しようとしている。ユダヤ人はじわじわとアルアクサを取り上げようとしているのだ。第三インティファーダは起こると思う」と言った。
この男性に限らず、パレスチナ人は口をそろえて、「イスラエルはユダヤ人をアルアクサに入れるのに、アラブ人には制限する。こんなことは許されない。」という。
しかし、実際には、ユダヤ人が神殿の丘に自由に入れないのであって、東エルサレムのパレスチナ人は通常は自由に神殿の丘に入っているのである。
金曜日と、ラマダンなど特別な例祭の時は、東エルサレムだけでなく、西岸地区のパレスチナ人も神殿の丘に入っている。基本的にパレスチナ人の入場が制限されるのは、暴動が懸念されるときだけである。
また一昨日、パレスチナ人が神殿の丘で逮捕されたのは、治安部隊に石を投げるなどしたからである。この日はユダヤ人も神殿の丘への入場を許されなかった。
どこかでなにかの誤解が発生しているのか・・両者の憎しみは和平交渉では解決できそうもないようである。