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イラン(ペルシャ)と戦争中:シェルター内でのプリム
3月2日(月)日没から、3日日没まで、イスラエルと全世界のユダヤ人は、プリムを祝っている。シナゴーグでは、聖書の中のエステル記全体を読んで、神である主が、ユダヤ人たちに逆転勝利を与えた事を覚える。
イランのミサイルが飛来する中、イスラエルでは、シェルターの中で、プリムを祝う様子が伝えられていた。
プリムの話は、今イスラエルと世界中のユダヤ人が直面する、厳しい現状とあまりにも一致すると感じる人が多く、今年のプリムは、ユダヤ人たちにとって、かなり現実味を帯びていたようである。ポイントは以下の3点である。
①世界中で、反ユダヤ主義が急速悪化しており、イスラエルとユダヤ人の存在を無くすことが正義ととらえる人が増えている。
②イスラエルの存在を消すと堂々と宣言するイランとその傀儡が実在する。
③イスラエルとアメリカが反撃し、ハメネイ師は死亡。その傀儡勢力を今、豪快に打ち滅ぼす勢いにある。
ネタニヤフ首相は、プリムに先立ち、国民と世界に向けて、ビデオメッセージを発信していた。その中で次のように語っていた。
「2500年前、古代ペルシャで、私たちを完全に滅ぼそうという、今と同じことを言う政権がいた。
しかし、ユダヤ人のモルデカイと王妃エステルが、勇気と機会をもって、ユダヤ民族を救った。
最初のプリムのとき、くじ(プル)が投られ、そして、悪のハマンはそれとともに滅んだ。今日も同じだ。プリムの日に、くじは投げられた。悪の政権も終る」
イスラエル人のメシアニックジューで、元IDF関係者として現状にも詳しいBehold Israelのアミール・ツァルファティ氏も、エステルの時代は終わっていない。今ユダヤ人を取り囲んでいる状況は当時と本当に同じだと語っている。
エルサレムアッセンブリーのメノー牧師は、ハマンをイランのイスラム最高指導者ハメネイと、その傀儡の敵たちたとえ、モルデカイをネタニヤフ首相に例えていた。
*エステル記とは:アマレクに通じるハマン
エステル記は、今から2500年前(日本史では弥生時代)のこと。当時、ユダヤ人たちはバビロン捕囚中で、国がなく多くはペルシャ(今のイラン)で厳しい生活を強いられていた。
ペルシャの王、アハシュエロス王が王妃との問題から、新しい王妃を迎えることになり、エステルが、その美しさから、王妃に選ばれた。エステルは、ユダヤ人であることは隠して王室に入った。
王室には、ユダヤ人を憎む妻を持つハマンという首相的な存在がいた。ハマンは、王からユダヤ民族を抹殺する、つまりジェノサイドを実行する許可を取ることに成功する。ハマンは王の命令として、全国どこででも、ユダヤ人を見たら殺せとの指示を全国に出すのである。
この大虐殺の実行日を決めるにあたり、ハマンは、くじをひいた。くじはヘブライ語で「プル」であり、それが複数形になった名称が「プリム」である。
この時、エステルの叔父で育て親のモルデカイは、エステルに次のようなことを伝え、今こそ立ち上がる時だと述べた。
「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。(エステル4:14)
これを聞いたエステルは、「死ななければならないなら、死にます」と勇気を持って、王の前に出て、ハマンの陰謀を告げることになる。
王はハマンを処刑する。そうして、ハマンが出した命令を覆す次のような命令を出すのである。
・・その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことを許した。(エステル8:11)
こうして、ユダヤ人たちは襲撃の大嵐の中で、反撃し、逆転勝利するのである。
この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。(エステル記9:1)
ユダヤ人たちは、ユダヤ人を滅ぼそうとしに来る敵が、どの時代にも出てくることを自覚している。これらの精力を、最初に約束の地に入るヨシュアの時代に現れた敵対者の名前をとって、「アマレク」と呼んでいる。ハマンは、系列から見ると、このアマレクの末裔である。
ホロコーストの時代、ユダヤ人たちは、ナチスをアマレクと呼び、戦後も「アマレクを忘れるな」と警戒を次世代に引き継いでいった。この視点で見れば、「イスラエルに死を!」と平気で叫ぶイランは、現代のアマレクということである。
しかし、歴史は、アマレクは現れても、必ずイスラエルは生き延び、滅びるのは、アマレクという原則であることを示している。
振り分けられるクリスチャン界:私たちはどう理解すべきか
世界では、今、イスラエルをとりなすとともに、イランが、自由な国に再建されること、またイランにいるクリスチャンたちのために祈る人々が多く起こされている。
一方で、イスラエルとアメリカの攻撃を非難する側に回る人々も多い。いわば、振り分けられている様相である。
アミール・ツァルファティ氏は、この時代にあって、先に救われているクリスチャンたちは、エステルのように、いよいよ立ち上がる時だと語る。
エステルが王にとりなしたように、イスラエルが滅ぼされないよう、主にとりなす時だというのである。
エステルもそうだったが、私たちには、この働きを断るという選択肢がある。しかし、断っても、別のとりなし手が立てられることになる。主は基本的に私個人を必要としているわけではないのである。
この使命を受け取るか拒否するか。その選択の自由は与えられている。しかし、みことばによれば、後でそのツケを払うのは、主ではなく、断った者たちだと警告する。
日本でも、イスラエルを支援するクリスチャンや教会はあるが、どちらかといえば、非難する教会の方が多い。
クリスチャニティ・トゥディが伝えたところによると、日本キリスト教協議会(NCC)は、3月1日、「アメリカとイスラエルがイランへの攻撃を開始したことについて、深い憂慮をもって、強く抗議する」との声明を出した。
同時に、「イランを含むいかなる国による軍事的拡大や報復にも反対します」とも表明し、「私たちは米国およびイスラエル、ならびにイランを含む関係諸国に対し、全ての軍事行動の即時停止、国際法の遵守、対話と外交による平和的解決への努力を求めます」とも表明していた。
www.christiantoday.co.jp/articles/35660/20260301/nccj-against-us-and-israeli-attacks-on-iran.htm
微妙な感じだが、個人的には、これはやはり人間の知恵が土台になっていると思う。
聖書をみれば、イスラエルが悪い時は、主ご自身が罰せられる。イスラエルはツケを払うことになっている。しかしそれで主がイスラエルを見放すことはないというのがパターンである。
だから私たちも何はともあれ、またたとえ、自分にリスクを招くことになったとしても、主の側に立ち、イスラエルを非難する側に立つべきではないと思うのである。
今ペルシャ(イラン)との本格的な戦争が起こっている。このタイミングでプリムが来たことからも、私たちは、エステルに学ぶ時ではないだろうか。
あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。(エステル4:14)
