同じ日に喜びと悲しみを共有するイスラエル人たち:解放された人質たちが病院から自宅へ・戦死者を葬る人々も 2025.10.17

Released hostages Eitan Horn reacts as friends and family welcome him back to his home, after leaving hospital following his release from captivity in Gaza, in Kfar Saba, October 16, 2025. (Stoyan Nenov/Reuters)

元の生活に戻る元人質たちを迎えるイスラエル人たち

イスラエルでは、20人の生存する人質が帰還したが、このうちの2人、エイタン・ホーンさんと、ニムロッド・コーヘンさんが、病院での健康状態確認を終え、それぞれクファル・サバと、レホボトの自宅へと戻ることができた。

2人が乗った車は、それぞれの街で、歓喜して2人を迎える群衆に埋め尽くされていた。

www.timesofisrael.com/because-of-the-people-two-ex-hostages-return-home-from-hospital-to-cheering-crowds/

元人質たちは、家族にこの2年間経験してきた恐ろしい事実を、家族を通して、明らかにし始めている。

手足を縛られ、暗い穴に放り込まれ、今にも頭を撃ち抜かれる恐怖など。特に解放される数日前に、7人の男性が、全員が座る場所もない穴に放り込まれ、立っているしかない状態に置かれるなどである。

(photo credit: STOYAN NENOV/REUTERS)

骨と皮になり、自分の墓穴を掘らされている様子のクリップを撮られた、エビヤタル・デービッドさんは、あの状態になる3ヶ月半前から意図的に、飢餓状態に置かれていたという。

ハマスは、「骨と皮になった子供のポスターを作るためだ」と言っていたとのこと。

飢餓状態で戻ってきたので、今まだ普通に食事摂取ができない人もいる。人質たちは2年という長い拷問状態に置かれていたことから、これからの回復にも苦難と忍耐に直面すると予想されている。

www.ynetnews.com/article/h1xsadnsxe

帰ってこなかった家族を葬るイスラエル人たち

帰ってきた人質とその家族ともに喜ぶ人々もいれば、愛する人を葬る家族とともに泣くイスラエル人もいる。10月16日(木)、イスラエル各地では、遺体となって帰ってきた人々の葬儀が行われていた。

病院から元人質のエイタン・ホーンさんを迎えたクファル・サバでは、その同じ16日(木)に、遺体で帰ってきたタマール・ニムロディ軍曹(18)の葬儀が行われ、数千人が見送っていた。

 

葬儀では、タマールさんの父親のアロンさんは、タマールさんが、従軍する際、父親として、我が家から従軍を回避する者はいないと従軍を進めたこと、またガザでの配置にも反対しなかった自分を後悔していると語った。「私の長男である息子よ。どうか私を赦してほしい。赦してほしい。」と言っていたとのこと。

ニムロディさんは、ADHDがあるので、従軍後も重要なポジションには置かれていなかったという。

しかし、2023年10月7日の1週間前に昇格の面接を受けた後、ガザに配備されたもようである。ニムロディさんは、その日にハマスに殺されていた。

www.timesofisrael.com/the-moment-we-so-feared-tamir-nimrodi-final-hostage-with-fate-unknown-confirmed-dead/

ベドウィンのムハンマド・アリ・アトラシュ軍曹も家族たちに葬られていた。今後、イスラエルのあちこちでこのような様子が続くことになる。

石のひとりごと

日本ならおそらく、喜ぶ方が自粛するのかもしれないが、イスラエルではそうではない。喜んでいる人は喜んだらいいし、悲しむ者は悲しむ。この極端さが、いわばイスラエル人を強くしているようにも思う。

自分がクファル・サバにいたら、どちらに行くだろうか。やはり悲しんでいるほうだろうか。。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。