シェルター不足の東エルサレム:全国のアラブ人地域にシェルター不足の問題 2025.6.21

In this image taken with a slow shutter speed, projectiles light up the night sky over Jerusalem during an Iranian missile attack, Friday, June 13, 2025, in Jerusalem. (AP Photo/Mahmoud Illean)

イスラエルに住んでいる人は、今年1000万人を超えた。住民は、イランが亡き者にしたいと考えているユダヤ人だけではない。21%、およそ5人に1人はアラブ人である。

イランのミサイル攻撃下で、この人々はどうしているのか。

妻と娘2人を殺されたアラブ人クリスチャン

Raja Khatib mourns over a casket during the funeral northern Arab-Israeli city of Tamra, June 17, 2025. (Ahmad Gharabli/AFP)

イランへの攻撃が始まった翌日6月14日(土)に、イランからの反撃の弾道ミサイルは、ハイファ郊外のアラブ人地域、タムラに着弾。アラブ人女性4人が死亡していた。

この女性たちは、皆、クリスチャンだった。

妻のマナルさんと、娘のハラさん(20)、シャダさん(13)義理の妹の同名マナルさんを、一瞬で失ったラジャ・カトリブさんは、17日(火)、親族友人たちとともに、号泣の中で葬儀を行なっていた。

タムラは、イスラム教徒とキリスト教徒が混在するアラブ人の町である。今、全国的に、アラブ人地域で、シェルターが、十分に整備されていないことが問題となっている。

葬儀の翌日18日(水)には、ヘルツォグ大統領が、慰問していた。

www.timesofisrael.com/with-few-shelters-but-plenty-of-roadblocks-east-jerusalem-arabs-squeezed-by-war/

東エルサレムと旧市街のアラブ人たち

エルサレム市は、人口37万6500人のうち、39%はアラブ人である。イランから発射されたミサイルは、東エルサレムのオリーブ山の上からも通過が観測されている。

そのオリーブ山の頂上にあたるパレスチナ人の町アトゥルはじめ、東エルサレムのアラブ人地域には、十分なシェルターがない。

イスラエルの専門家によると、東エルサレムには、シェルターがない古い家がほとんどである上、アラブ人たちが、違法に建てている家が多く、そうした家には、シェルターが併設されていないのである。

東エルサレムのアラブ人たちは、サイレンとともに、学校など公共のシェルターに駆け込むしかない。しかし、それも極端に少ないことがわかっている。

エルサレム市報道官によると、市内には、452の学校にシェルターと、市内全域にある公共シェルターは190か所、シェルターにもなる地下駐車場が57カ所と、身体障害者用の地上シェルターが19カ所となっている。

しかし、これらはほとんどが西エルサレムにあり、東エルサレムにあるのは、学校など60カ所だけである。Times of Israel によると、それらのシェルターは超満員で、入れたらラッキーの状況だという。

エルサレム北部、ラマラとの間に位置するアラブ人の町、カフル・アカブ(人口12万人)に住んでいるアラブ人の場合、サイレンが鳴ってから、シェルターがある学校まで、6キロもあり、車で20分かかる。これでは意味がないわけである。

 

 East Jerusalem’s a-Tur neighborhood on June 14, 2025. (Courtesy/Ir Amim)

混乱を防ぎ、人々の安全を維持するためか、イスラエルの治安部隊は、エルサレム各地で、封鎖を行っている。これらを回避するため、あちこちで渋滞になっているとのこと。

オリーブ山のパレスチナ人の街、アトゥルでは、東エルサレムに入る道路が封鎖されている。

これでは、何かあってもMDAが入ることができないと不安が出ている。

石のひとりごと:エルサレムの平和のために

普段はぶつかり合うことが多い、ユダヤ人とアラブ人だが、今、イランという共通の脅威の前に、これまでの不仲のツケが出ているようである。イスラエル国内やエルサレムのアラブ人たちは今、どう感じているのだろうか。

ガイドの友人、モニカさんによると、西エルサレムでは、それなりに店も開いているが、旧市街周辺と中では、イエス復活の園の墓はじめ、ほとんどの教会が閉鎖、神殿の丘、嘆きの壁にも入れなくなっている。治安部隊が入場を制限しているからである。

当然、店も全く開いていない。その空っぽの様子を、少しアップしてくれている。

いろいろ衝突があるとはいえ、全世界から人々が集まってきて、非常に元気で賑やかなエルサレムが、今また空っぽになっている。その様子はなんとも悲しいとしかいいようがない。

満員になったり、からっぽになったり。人間の都合で、何度こんなことを繰り返すのだろうか。

主の名が置かれているエルサレム。以前、この町を歩いているときに、なんともいえない町の“人格”を感じたことがあった。

世界中から来る人々を待っているエルサレム。この町は今、泣いていることだろう。

モニカさんが、上記クリップであげているのは、聖書から詩篇122編である。

人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。

そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。

エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」

私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。 (詩篇122)

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。