ヤド・ヴァシェムでホロコーストを生き延びた500年前のメギラーでプリム:神戸に避難したバールさんの足跡 2025.3.14

Yad Vashem Synagogue

ホロコーストを生き延びたメギラー

プリムの間、シナゴーグでは、聖書の中のエステル記が読み上げられる。これをメギラー朗読という。

その朗読を聞きながら、会衆は、ユダヤ人を絶滅させようとした人物ハマンという名前が出るたびに、雑音とともにブーイングを出す、という楽しい例祭である。

イスラエル国立ホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムでは、今年も500年前のエステル記の巻物からの朗読が行われた。

この巻物は、ホロコーストを生き延びたバール・ショーさん(97)とその知人による献品だという。

バールさんは、ナチスがクラクフに攻め込んできた際、姉一家と避難し、杉原千畝のビザで日本を経由して、生き延びたサバイバーである。(当時12歳)

この巻物については、ポーランドで、ナチスに殺されたバールさんの父の知人が、戦後に発見し、保護していたものだという。いわば、ホロコーストを生き延びた巻物である。

その後、バールさんとこの知人の息子が相談し、これをヤド・ヴァシェムに献品にすることを決めたとのこと。

今年のプリムでの読み上げに、バールさんは出席できなかったが、そのひ孫たちが出席した。

神戸のシナゴーグでもプリム

当時の神戸ユダヤ人共同体(ジューコム)

バールさんは、1939年9月1日にナチスがポーランドに攻め込んだ、その日に、姉の家族と共にクラクフから避難を開始した。

奇跡的にポーランド東部に到達し、機転の効いた義兄により、オランダのキュラソービザ、続いて、杉原千畝氏から日本通過ビザをもらって、日本に到達。敦賀から入国して神戸で約4か月滞在した。

バールさん一行は、日本が真珠湾攻撃をする前の1941年7月に、日本を出国し、上海を経由してニュージーランドで避難生活をする中、戦後を迎えた。

イスラエルには、1955年に帰還し、その後、企業を立ち上げた。バールさんによると、国会など重要な建物の空調は、バールさんの会社が担当したとのこと。ショーさん家族は、今も大勢の家族に恵まれている。

当時、バールさんたち、ユダヤ難民が数千人いた神戸には、今もシナゴーグがある。

3月12日(木)、ラビ・シュムリックとその家族の元、プリムの祝いが行われた。今年のテーマは、牧場で、人々はその仮装で参加していた。

このシナゴーグには、100人ほどのユダヤ人とその家族、最近では多くのユダヤ人観光客も来るようになっている。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。