ヒゼキヤ王の宗教改革を示す考古学的発掘発表:エルサレム・ダビデの町 2025.1.17

The ritual structure discovered in the City of David. (Kobi Harati/City of David)

戦争が続く中でも、イスラエル国内はおおむね平常な日常が続いている。各地で発掘も続けられている。

1月14日(火)、エルサレムのダビデの町で発見された、約2800年前、紀元前8世紀のカルト的な祈りの場として使われていた部屋が公表された。

エルサレムの神殿での礼拝に集中させるという宗教改革を実施したヒゼキヤ王の時代の施設で、部屋には、その過程で破壊された形跡もある。

聖書によると、紀元前8世紀、ヒゼキヤ王が王に就任した時、前のアハズ王の影響で、人々は、本来のイスラルの神、主とその神殿を軽く見て放置していた。

近くに礼拝所を作って、エルサレムに来ることもなく、それぞれが好きなように信仰生活を送っていた。

このため、ヒゼキヤ王は、神殿を修理し、神殿から不要なものを排除して、これを聖別し、各地に存在するカルト的な礼拝所を排除したと書かれている。ヒゼキヤ王と、その後のヨシヤ王もこれを実行した王であった。(第二歴代誌29、34)

イスラエルにはいくつかこれを証明する場所が発掘されているが、エルサレムでこれが発見されるのは初めてであり、大きな発見である。

今回公開されたのは、220平方メートルの部屋で、祭壇とワインプレスなど、礼拝に必要なインフラがそろっている。また理解不能なVのマークや、礼拝していたとみられる石があり、いわゆる偶像礼拝かカルト的な礼拝が行われていたとみられる。

この部屋には、それが破壊された跡があり、ヒゼキヤ王の改革の時に破壊されたとみられている。

イスラエル考古学庁(IAA)の発掘責任者はイーライ・シュクロン博士は、確かに2800年前の第一神殿時代の儀式構造であり、神殿からわずか数百メートルの場所にも、そういう場所があったということを証明する貴重な発見だと言っている。

この部屋は、1909年に一部が発見され、2010年に本格的な発掘が始まった。発掘開始から15年になるが、上記のような結論が出るまで時間がかかったとのこと。

www.timesofisrael.com/in-first-researchers-find-where-jerusalemites-prayed-before-temple-became-only-game-in-town/

<石のひとりごと>

イスラエルでは考古学的発見が、時事情勢と並行して出てくることが少なくない。発表をそういう時期にしていのかもしれない。しかし、今苦難にあるイスラエルに対し、この発見である。

イスラエルに、今一度ヒゼキヤ王のように、彼ら自身の神である主に立ち返るよう、主がメッセージを発しておられるのかもしれない。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。